おもちゃ映画ミュージアム
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Toy Film Museum

2020.12.05column

NHK「サラメシ」で紹介された伊那バスとガイド飯

12月3日、NHK「サラメシ」再放送を見ました。前日にFacebookで繋がっている本島和人さんの記事で長野県の伊那バスの「ガイド飯」が放送されると知ったからです。ランチそのものへの関心よりも、伊那バスが取り上げられることへの関心から。

昨年11月21~22日、ふと思い付いて、幻燈師・岸本與(1873ー1954)の足跡を知りたいと長野県にフィールドワークに行きました。彼のご遺族から長野県上伊那郡宮田村教育委員会へ幻燈機と沢山のガラス種板が寄贈されていて、それを拝見するのが主目的でした。その時のことは、こちらこちらに書いています。書いたブログの最後は、親切に対応してくださった同教育委員会の小池勝典学芸員への謝意で締めくくっていますが、この後実は私、大失敗をしたのです。

小池さんが、伊那バス高速バス停「宮田」へ送ってくださったのですが、その折り、役場近くにも高速バスのバス停があると仰っていました。私は自分が調べてきたバス停が役場近くではないと思い込んでいたので、私が思うバス停近くまで送っていただき、御礼を述べて別れました。高速道路沿いに小さな小屋があるだけのバス停で16時31分発関西行バスの到着を待ちましたが、時間が過ぎ、遅れているのだろうともう少し待ち、、、とうとう心配になって伊那バスに電話したところ「宮田村」バス停を既に出発しているとのこと。掲示物から、うすうす場所を間違えていたのではないか、小池さんが言うバス停ではなかったのか、と心配になっていたのが、実際その通りで、ガーン‼

目の前をビュンビュン車が飛ばして過ぎていきます。晩秋の夕暮れは早い。辺りが少しずつ暮れていき、いやがおうにも不安が増します。これから、どうすれば良いか、いつものパニックどころではない大パニック。伊那バスに電話を掛けて助言を求めました。電話の向こうの女性は、本当に親身になって、しかも冷静に、「ひょっとしたら、次のバス停に間に合うかもしれないから、今からタクシー会社の電話を言うので、至急呼んで、急いで向かってみてください。万一乗れない場合に備え、同じバス停から発車する名古屋行バスの座席を取っておきます。気を付けて」と言ってくださいました。すがるような気持ちでタクシー会社に電話するのですが、なかなか繋がらない。焦りはピーク。漸く繋がって事情を話し、急いで高速道路バス停近くでタクシーを待つことに。

年配の運転手さんに事情を話して、急いで次の高速バス乗り場に向かって走って貰いました。その運転手さんの機転で、見事バスと同着のような形で伊那バスに乗り込むことができました。座席に倒れるように座り込み、伊那バスに電話しました。無事バスに乗り込むことができたことを伝え、名古屋行バスの予約取り消しをお願いしました。電話の向こうの女性は「間に合って、本当に良かったです」と我が事のように喜んでくださいました。

以来、「高速バス」と聞けば、直ぐに連想するのは、この時の伊那バスさんの親切な対応です。暮れなずむ見知らぬ土地でたった一人、高速道路脇のバス停で「どうしたら帰れるのか」途方に暮れた時間。心細く、不安で仕方なかった思い出と一緒に生涯忘れないでしょう。もとはといえば、早合点して、よく調べなかった自分の所為ですが。。。バス停では、前日朝、阪急観光バス「京都深草高速バス停」で一緒になったご夫妻のお顔があって、再会にびっくりしました。旅は道連れ、世は情け。ご夫妻と一緒に京都深草でバスを降りたのは、21時10分でした。

一時はどうなるかと心配しましたが、こうして当初の予定通り無事に京都に戻ることができた1泊2日の長野フィールドワークでした。

長々書きましたが、このようなことがあったので、伊那バスさんがどのような会社か御礼の気持ちもあって、「サラメシ」録画画面に食い入るように見ました。伊那バス。

ガイドさんらが美味しそうにほおばっていた社員食堂のランチ。それぞれの好みを把握しておられる調理師さんの栄養満点料理。

伊那バス伝統の手作りガイドノート。信州だけではなく関西や関東へも行くので、広範囲にわたって、それぞれが訪問地のことを下調べして、頭に入れてバスに乗り込みます。自分たちで考えたプランも社長さん始め役員さんの前でプレゼンしてOKが出れば、コースに採用されます。乗り込んでくださったお客様にお渡しするグッズもみんなで考えながら手作りして、とても心がこもっています。

これはある先輩ガイドさんの勉強ノート。今年採用された3人は「勉強で毎週ボールペンの替え芯2本使う」と言っていましたので、もの凄い勉強量ですね。それぞれが、一生懸命自分のノートを作って勉強に取り組んでおられる姿をみているうちに、勝手に想像している電話の向こうで親切に対応して下さった女性と重なり、とても素晴らしい社風のバス会社なのだなと思いました。

再放送を見る前に、本島さんに、伊那バスさんに凄く感謝していることを伝えましたら、興味深いことを教えて下さいました。

「伊那バスの観光ガイドの研修を始められた故・宮下慶正さんは、若き日に満蒙開拓青少年義勇軍の幹部を志願して、1941年6月に第四次西海浪滝川(にしはいろうりゅうせん)義勇隊開拓団(横川中隊)の教学・教練指導員として上下伊那・諏訪・南北安曇郡の少年240名とともに満州へ渡りました。入植後まもなく横川正二団長はチフスのため急死。宮下さんが団長に代わって開拓団を指導し、敗戦後は少年たちとともに逃避行を続け、帰還した。その体験は『満州開拓義勇軍回顧録 けらの旅 第3・4部』(1966年)に詳しい。

帰還後、教職に戻り中学校長などを務め、退職後、伊那バスに入り、研修指導を担当された。40年余り前、伊那バスの会社見学の際に、観光バスガイドの研修について話を伺ったことを思い出した。

義勇軍で犠牲となった少年たちの慰霊碑を建立し、慰霊を続けておられた。また数多くの著作があります。現在の研修担当の島崎さんは、私の若い頃の教え子で、高校卒業して観光バスガイドになり、宮下さんの後を引き継いで、ずっと研修担当として頑張っている姿は嬉しい。」と。

手前の女性が、おそらく島崎さんなのでしょう。新人ガイドさんのノートづくりを指導されている様子。サラリーマンのランチを紹介する短い番組ですが、そこから「満蒙開拓青少年義勇軍」に関する話も聞けました。

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