おもちゃ映画ミュージアム
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Toy Film Museum

2022.05.15column

盛会で終えた故・勅使河原宏監督『1日240時間』上映と講演会

今朝の京都新聞で、昨日開催した「勅使河原宏生誕95年記念上映と講演~Part2」の様子を掲載していただきました。おかげさまで定員いっぱいでの上映になり盛会のうちに終えることができました。Part1に引き続いて参加して下さった方が幾人もおられ、研究者の姿も多く見かけました。他にも「万博が好き」という方や1970年大阪万博の時に実際ご覧になた方もおられました。

友田先生は勅使河原宏さんと安部公房さんの研究を20年以上されています。2025年大阪・関西万博が近づいていることから、1970年大阪万博の折に、“自動車館”で4面スクリーンで上映された『1日240時間』を取り上げて、一般財団法人草月会様のご協力で見せてくださいました。

これが前川國男さん設計“自動車”館内の様子。横幅8メートル×高さ5メートルの巨大なスクリーンが正面とその左右に配置され、天井にも1面ある4面スクリーン作品です。前川さんの作品には、昨年重文指定を受けた(財)木村産業研究所(1932)や、地元京都でいえばロームシアター京都になる前の京都会館(1960)があり、東京の国立西洋美術館(1979)もあります。

先生が指さしておられる座席も動く仕組みになっていたそうです。万博の統一テーマは「人類の進歩の調和」。そして、“自動車館”のテーマは「リズムの世界」。監督は勅使河原宏さん、脚本は安部公房さん。講演で名前は上げられませんでしたが、この作品の音楽は佐藤勝さんでした。音楽も重要なポイントだったと思います。

先にあげた写真の左スクリーンに映る博士が、生き物の動きが10倍になる不思議な液薬“アクセルチン”を開発し、それを飲むことで1日分の仕事が1時間でこなせるようになります。右スクリーンに写る女性は助手の役。それを開発したことによって、様々な悲喜劇が巻き起こり、二人は逃走を図り、ついには肉体が全速力で回転するタイヤに変貌するという色彩豊かなSFミュージカル作品です。

友田先生によると、残念ながら、この万博の時に作られたフィルムは、ほとんどが散逸しているそうです。そのような状況の中、幸いにして『1日240時間』のフィルムの存在は勅使河原プロダクション・プロデューサー野村紀子さんとスクリプター吉田英子さんが記憶されていたことから、2013年にフィルム倉庫から見つけることができました。

ここで思い出すのは、2018年11月11日に高橋佳里子さんのご協力で見せていただいた『ミセス21世紀』ですね。お父様の映像作家故・高橋克男さんが手掛けた日本政府館で上映されたアニメーションです。佳里子さんは自力で復元し、初披露して下さったのがこの日でした。上映したのが大阪・関西万博が決定する直前だったこともあり、新聞やテレビで大きく報道されました。この場合は高橋さんが映像を手元で保存されていたことが幸いして、こうして美しいカラーアニメーションを見ることができました。当日の様子はこちらで書いています。

勅使河原さんは公私ともにアーカイブにこだわった人だったようで、フィルムは散逸を免れ、科研費を得た友田先生が草月会所蔵のフィルムをデジタル復元され、こうして拝見することができました。これまで、2013年に東京大学「記録映画アーカイブ・プロジェクト」での上映と、2018年、当時友田先生が所属されていた信州大学で上映、2021年シネマヴェーラ渋谷特集上映で上映と、これまで3回上映されましたが、万博が開催された関西での上映は初めてということで、そのことを友田先生はとても喜んでくださいました。

安部公房さんは、棒、縄、カバン、布などどこにでもあり、誰でも使うものに注目したそうですが、自然界でタイヤのモデルになったものはありません。どこかで原作があったように書いてあるのを読みましたが、“自動車館”での上映だからでしょうか、タイヤに変貌してしまう発想が面白いです。特撮には、『ウルトラマン』(1965)の高野宏一さんの名前も。

今から52年前、“自動車館”で見た記憶がある男性は、学生だった当時の教師から「ワコール館と自動車館には行くな」と言われたそうです。世の男性が喜びそうな映像が映し出されるので、敢えて注意を促したのでしょう。当時は大阪城で「ハンパク」運動をやっていて、こちらの方は制止されなかったようです。「ハンパク」という言葉は連れ合いも聞いていたそうで、「草月粉砕」という言葉も耳にしていたようです。莫大なお金を費やして実施した大阪万博ですが、一過性で終わってしまいました。終わった後のパビリオンなどは、地面を掘って埋めたそうです。フィルムに関していえば、お金をかけて、いろんな人が関わったので所有権が分からないという事情もあるそうです。当時は映画界自体が、普通の映画館でも上映後の管理がいい加減だったとも。

1950年代から勅使河原宏さんと安部公さんは、共に前衛芸術運動に参加して岡本太郎さんや花田清輝さんに師事して、『おとし穴』(1962)、『砂の女』(1 964 )、『白い朝』(1965)、『他人の顔』(1966)、『燃えつきた地図』(1968)など多数の作品を一緒に作り続けましたが、勅使河原蒼風さんの長女で二代目の霞さんが亡くなったことから、勅使河原さんが家元制度3代目を継承し、そのことも要因になって、二人の合作はこの作品が最後になります。そういった視点からみても、この作品がデジタル化して保存されたことは貴重です。

復元に際しては、便宜的にひとつのスクリーンで見られるようにされましたが、4つの作品としても保存されましたので、将来4面スクリーンでの上映が可能になれば、当時を追体験できる可能性も。大阪万博には当時のトップクリエイターが総動員されましたが、先ほどの男性がおっしゃった「ハンパク」のように、多くの知識人が万博に反対したのも事実です。70年代の反安保活動の盛り上がりを威圧するべく、首都ではなく大阪に人々の関心を逸らす意図があったのではないかという見方もあり、実際人々は万博で浮かれて、60年代活発だった活動は70年代に入って下火になります。

様々なスクリーンの実験が各パビリオンで展開され、「これからは映像の時代だ」と言われましたが、1971年に数々の名作を世に送り出した大映が倒産し、映画界は悪化の一途を辿ります。大阪万博は莫大なお金を使って、終わりました。新型コロナウイルスの感染拡大で経済は疲弊し、少子高齢化も進行していますし、ロシアによるウクライナ軍事侵攻によって世界中が翻弄され、自然環境問題も深刻です。こうした先行き不透明、縮小する経済情勢、問題山積の中で、優先して取り組むべき課題は何か!2025年に開催される大阪・関西万博は果たして、どのように展開されるのか、注目していきたいです。

大勢の方に関心をもって集まって頂きました。Part3開催を望む声も頂戴しました。何らかの工夫を凝らして実現できればいいなぁと思っています。

途中で帰られる方も何人もおられましたが、最後にお決まりの集合写真を。質問も次から次へと出て、とても内容の濃い充実した催しになりました。ご参加いただいた皆さまに心より御礼を申し上げます。

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