おもちゃ映画ミュージアム
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2022.09.29column

多くの人にご覧いただきたい映画『原発をとめた裁判長 そして原発をとめる農家たち』

京都シネマ10時半からの映画『原発をとめた裁判長 そして原発をとめる農家たち』は上映後に拍手で包まれました。9月23日に同館で始まったばかりなのに、今日が最終日とは惜しいです。そうと知って、慌てて今朝見に行きました。満員とまではいきませんが、大勢のお客さまでした。

これは9月24日上映後に登壇された主人公の樋口英明・福井地方裁判所元裁判長と小原浩靖監督のサイン。小原さんからトークイベントがあると連絡があり、連れ合いが見に出かけた折のものです。この後、お二人は大阪の第七藝術劇場にも登壇されたので、お忙しい時間を過ごされたと思います。

この映画には、キーパーソンが他に幾人もおられますが、河合弘之弁護士さんもそのお一人。昨夏の「戦後76年、戦争パネル展『戦争の真実』」の折に、小原浩靖監督の前作『日本人の忘れもの フィリピンと中国の残留邦人』」短縮版を毎日上映しましたが、それを認めて下さったのがこの映画のプロデューサーでもある河合弁護士が率いるKプロジェクトでした。日本人の証明ができずに年老いた今も帰国できないでいる残留邦人がたくさんおられる事実を一人でも多くの人に知って貰いたいと思ってお願いしました。

今日29日は日中共同声明調印から50年の節目です。9月24日NHKスペシャル「中国残留婦人たちの告白~二つの国家のはざまで~」が放送されました。元日本語教師藤沼敏子さんと北京電影学院元教授(日本映画史研究)王乃真さんのお二人が、それぞれ30年間にわたって長年中国にいた日本の女性たちの証言を記録されていて、今回の番組では記録に残っている37名のうち存命の7名の方に改めて話を聞き、過去の証言とあわせて紹介されていました。王元教授は「日本人であろうと中国人であろうとこの歴史は避けることはできない。日本の若者や未来の中国に残すのです」と仰っていたのが印象に残りました。約4000人以上の女性が8月9日ソビエト軍侵攻後の混乱の中を中国で生き抜いたそうです。

様々な出来事で彼女たちの人生は翻弄されましたが、中国残留婦人(終戦時概ね13歳以上だった女性たちのことをいう)が親族の同意なしに日本に帰国できるようになったのは、1994年に“中国残留婦人支援法”ができてからのこと。国交正常化から22年も経っていました。「なぜ、こんなに遅れたのか?」という問いに、当時厚生省社会・援護局中国孤児等対策室長だった竹之下和雄さんが「行政は過去のやり方にとらわれる部分もたくさんあるので、『なるほど違うなぁ。このひとたち(中国残留婦人)も“残留孤児”たちと同じような措置をとらなければいけない』と思い始めても、『明日からそういう風にしよう』というわけにはいかない。婦人たちの層が若干遅れたのは結果としては申し訳ないけれど、ある意味ではやむを得なかったと私は思っています」と取材に答えていました。行政にはびこる硬直した考え、前例踏襲主義の弊害が多くの人々の人生を台無しにしたのです。この傾向はいろんな問題にも当てはまるように私には思われてならず、憤りながら見ました。他人ごとではなく自分ごととして受け止めて、臨機応変に思いやりのある行政をして欲しいと願わずにはおれません。

話は横に逸れましたが、樋口元裁判長は、2014年5月21日関西電力大飯原発3・4号機の運転差止を命じる判決を下し、翌年4月14日にも原発周辺地域の住民ら9人の申立てを認め、関西電力高浜原発3・4号機の再稼働差止の仮処分決定を出しました。2017年定年退官の後は、原発の危険性を訴えて講演活動をされています。「原発では核分裂反応をとめても、電気で水を送り続けてウラン燃料を冷やし続けない限り、過酷事故になるのです。停電したり、断水したりするだけで過酷事故になるのです。原発は運転をとめるだけでは安全を確保できない。ところが原発の配電や配管の耐震性が低いために強い地震による停電や断水の危険が大きいのです。しかし、電力会社は『この原発敷地に限っては震度6や震度7の強い地震は来ませんから安心して下さい』と言っているのです。この電力会社の言い分を信用するかしないかが原発訴訟の本質です」と樋口さん。

河合弁護士も「原発というものは過酷事故=急激かつ甚大な公害の危険が常に付きまとう。地球温暖化という緩慢・広範囲な危険を避けるために原発過酷事故という急激・甚大なリスクを犯すというのは本末転倒だ。ロシアのウクライナ侵略での原発攻撃・原発占拠から学ぶべき教訓は原発の停止・脱原発である」という意見に共感します。「脱原発と自然エネルギー推進は車の両輪だ。その両輪を同時に描いたのがこの映画だ」というわけで、この映画の希望は自然エネルギー推進に取り組む「原発をとめる農家たち」の活躍です。福島県の二本松営農ソーラー㈱代表の近藤恵さん。そこで働く若い塚田晴さんと菅野雄貴さん。長年の経験に裏打ちされた二本松有機農業研究会設立者の大内信一さんと後継者の督(おさむ)さん。その画期的な農業・酪農に用いられたソーラーシェアリングを発案した長島彬さんの貢献も大きいです。放射能汚染でダメージを負った福島の農業ですが、今彼らの表情はとても明るい。ソーラーパネルで発電しながら、農業や酪農にも多くのメリットがある笹谷営農型発電農場は今、二本松市約19000世帯の10%の電力が供給可能だと言います。こうした取り組みが広がって、食料自給率や自然エネルギー比率を高めて、原発に頼らず安全な世の中になれば良いなぁと思います。

詳しくは、ぜひお近くの映画館でご覧ください。映画を観ながら、東日本大震災の翌年の2012年、福島県に相馬野馬追を見に行った時の思い出を重ねていました。その折の思い出はたくさん書きましたが、ここではその一つのURLを貼ります。あれから10年経ち、二本松で農業を営む人々の前向きで明るい表情が強く印象に刻まれました。

【12月12日追記】

10日にお越しくださったお客様は、見学後急いで京都大学に向かわれました。その目的だった講演会の記事が11日付け京都新聞に載っていました。この日は映画『原発をとめた裁判長』上映はなかったそうですが、機会があれば是非映画もご覧いただきたいです。

 

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