おもちゃ映画ミュージアム
おもちゃ映画ミュージアム
Toy Film Museum

2016.03.14column

タイの活弁

3月11日午後7時から始まった「第11回大阪アジアン映画祭ウエルカム・パーティー」に参加しました。私は、昨年に続いて2回目。前回はパーティーも良かったのですが、会場の大阪市中央公会堂の建物に魅せられて、高揚したのを覚えています。こうして今日まで残った優れた建築物を何とか次世代に継承して欲しいと思うのですが、耐震の問題は大きくて、各地で問題になっていることに心を痛めています。

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 アジア各地からのゲストをお招きしての交流会が華やかに繰り広げられました。

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 会場で、昨年12月12日の「第5回無声映の夕べ」に参加してくださった業界紙ヴァラエティのアジア映画批評家としてトップのマギー・リーさん(写真左)とバッタリ出会い、再会を喜びました。その記念写真を撮るのに、たまたま通りがかった男性にシャッターをお願いしました。それを縁に彼と話していて、面白いことを教えてもらいました。それが、タイの活弁。

彼の名前は、ドンサロン・ゴーウィットワ二ッチャ―さん(写真右)で、今回日本初上映『あの店長』(2014年)のプロデューサーの一人でした。1990年代のタイのバンコックにあった伝説の海賊版ビデオショップ(劇場で上映されなかった世界各地のインディーズ映画の傑作を集めてコピーして販売していた)の存在意義からタイの映画界までも検証するドキュメンタリーで、3月7日とこの日にも上映されました。

私どもが、無声映画の発掘をして保存するだけでなく、活弁上映会などもしていると伝えたことから、タイのかつての状況を教えてもらいました。

タイでは、1950年代からトーキーになりますが、戦後はお金がないので、16ミリで撮影し、サイレント作品を作っていたそうです。音を付けるのにお金がたくさんかかるので、弁士の方が安上がりだったからです。吹き替えは、いつも同じ人がやっていました。そうしたことは90年代まで続きました。昔は1週間に4番組を作る忙しさで、俳優たちは一々セリフを覚えてられませんから、適当に口パク。当時は年に300本も作っていたそうです。今は年50本くらいで、インディーズが多いようです。

タイの有名な俳優のMitr Chaibancha(1934-1970)は、『ゴールデン・イーグル』という作品の撮影中にヘリコプターから落ちて亡くなりました。サイレント時代のタイで物凄いスパースターだったのですね。YouTubeで彼を紹介する動画を見つけました。タイの作品は歌が上手できれいな女性が多く出演し、マレーシアなど周辺諸国にも人気で多く販売されていたそうです。

ドンサロン・ゴーウィットワニッチャーさんから、タイの映像アーカイブで優れた活躍をされている人がおられることを教えていただきました。今NPO法人映画保存協会のHPでタイ国立フィルムアーカイブについて書かれているものをみました。余りタイの映画を見る機会がありませんが、同国の映画環境を少しでも知ることができて良かったです。

タイにも国立映画博物館があるのに、日本にはありません。当館が開館に際していただいた応援メッセージに「欧米ではよく目にするけれど、日本にはなかったもの(!)…」や「ロンドンの映画博物館、パリのシネマテークやリヨンのリュミエール博物館、イタリア・トリノの国立映画博物館など、外国の古都には映画博物館がある。…」というものも含まれていました。行政に陳情しても実らず、「このままでは、貴重なフィルムが劣化して救えなくなる」と見切り発車で民間で開設しました。運営は実際大変ですが、こうして国内外のアーカイブに関心を寄せる人との出会いがあることは、今後の活動への励みになります。今日の出会いがタイとも繋がって、今後相互に協力できたら素晴らしいと思います。

事情がよくわからないで、開館当初「日本独特の活弁」と紹介していましたが、そうとばかりも言えないことがわかってきました。仮に日本の影響があった場合でも、その国独特の発展があって人々の娯楽に貢献していました。YouTubeでUPされていた韓国の活弁上映の様子は、日本と異なり、お国柄を彷彿させます。 『청춘의 십자로 뮤직비디오(青春の十字路)』韓国人弁士版上映。

昨年7月の台北映画祭野外上映で「おもちゃ映画」上映に際し、チャンバラにアグレッシブな音楽は見事に合致し、新しい楽しみを方を教えてもらいました。

いつか、世界各地の活弁士さんの競演を観てみたいと、夢は膨らみます。

 

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