2024.10.24column
10月23日に嬉しかったできごと
「いい加減片付けないと」とずっと思っていた作業に取り組む日々をどうにかひと段落終えて、久しぶりに振り返り。先ずは昨日の嬉しかったことから。
22日の京都新聞朝刊を広げて、知り合いの黒田雅夫さんが載った大きな記事にびっくりぽん。ほどなくその亀岡の黒田雅夫さん本人から電話が掛かってきました。大きな扱いに本人が驚いておられました。先週にも電話が掛かって来て話したばかりでしたので、続けて弾んだ声を聞けて私も嬉しく思いました。先週の電話は、10月16日国立京都国際会館で開催された京都府戦没者追悼式に参加された折、念願だった西脇隆俊京都府知事さんとの面談が叶い、その折に昨年出版された絵本『今を生きる 満州からの引き揚げの記録』を進呈したのだそうです。
知事さんはしっかりと絵本を読んで下さっただけでなく、府の担当者に黒田さんが確認されたところ、22日の京都新聞記事も読んでおられたとのこと。そのことも黒田さんを感激させていました。
それから、戦没者追悼式では厚生労働省次官の方にも絵本を差し上げることが出来たそうです。それにとどまらず、次には厚生労働大臣にもお会いできるそうです。その時に、ずっと願ってこられた旧満州に眠ったままの大勢の戦没者の遺骨収集を直接お願いされるそうです。さらにその先にも道が拓けていて、何と黒田さんは強運の持ち主かと思います。次々と家族を失い、9歳でたった一人で満洲から引き揚げてきた黒田さんは、逃避行の最中だけでなく、帰国してからも様々な人との幸運な出会いがあって、今があります。電話をしながら「黒田さん、本当に長生きをされて良かったですね」と言いました。これまで何度同じことばを口にしたことか。
今頃、と思いながら“廟嶺京都開拓団”の申し込み者範囲を黒田さんに尋ねましたら、京都市内中から集め、それでも足りなくて国民小学校6年以上で編成した隊もあり、13部隊で渡満したそうです。これまでずっと、西陣の人々が中心だったとばかり思いこんでいましたが、もっと広い範囲だったのですね。約80年振りに再会した田畑克枝さんも南区の出身でしたし、黒田さんは亀岡の出身でした。南山城地域の井手町多賀で訓練をして、渡満しました。
これは、8月17日京都府向日市寺戸町の永守重信市民会館で開催された「向日市民平和と人権のつどい」で、自らの体験を語る黒田雅夫さん(向かって右)と、その活動をいつもサポートされているご子息の中学教員毅さん。当館でお二人に初めてお会いしたのは2020年8月23日、地域の地蔵盆にあわせて黒田さんの体験を聞かせて貰う催しをした時でした。実に親孝行な毅さんのおかげで、黒田さんはいろいろなところからの講演依頼に応えておられます。
8月17日ご招待を受けて座った席の前の方が、偶然新聞記事で紹介されている田畑さん(写真手前左の後姿の女性)で、ステージで投影されている写真は昨年末、生きて再会ができた喜びに涙するお二人の様子。休憩時間に私も田畑さんのお話を聞かせて貰い、更に感激しました。春になり雪が解けて露わになった遺体を見て、義眼だった黒田さんのお母さんに土を被せてあげたのが同級生だった田畑さんだったそうです。こういった奇跡が実際に起こるのですね。そして、新聞記事によると二人で連絡を取り合いながら「語り部活動」をされているのだそうです。戦争体験者が年々減っていく今、お二人の活動は益々大切に。どうぞ、健康に気を付けてお過ごしください。弾んで日頃の活動を聞かせて下さる黒田さんの声を、私はこれからもずっとずっと聞き続けたいです。
そして、昨日は4月27日に来館いただいた永美太郎さんから、新刊『夏のモノクローム』(㈱リイド社)を寄贈頂きました。
薄墨での表現が良いですね。
戦後の映画スタジオが激しい労働争議で分裂し、そこを舞台に展開する映画人たちの苦悩と情熱を、とても丁寧に調べて描いています。登場人物たちは実在だったあの人かな、この人かな、と想像の翼を広げながら読みました。占領軍の顔色をうかがいながら製作しなければならない時代、1948年4月8日、組合側の度重なるストライキに会社は「赤狩り」を開始し、大勢の従業員を解雇。それに対して組合側は抗議して撮影所を占拠してストライキを決行。10月19日に組合幹部が自発的に辞表を提出し、一方の会社は解雇者の約3分の2を再雇用する条件を出して、195日間に及ぶ労働争議が決着するという日本映画史上の大事件になった背景を、不勉強であまり知らなかっただけに私は永美さんの漫画で勉強させて貰いました。
写真は4月27日来館時の永美さん。色紙に描いて下さったのが、この漫画の主人公「木田夏美」。
丁度今年6月15日に発表された斎藤慶子さんの論考「労音によるロシアバレエ普及:エリート文化の大衆化」を送って貰って読んでいたところでした。労音はこの東宝争議の翌年1949年に発足しています。1950年前後にかけて占領軍による民主化の一環として労働組合活動が活発化しますが、朝鮮戦争を機に「赤狩り」が行われ、1965年をピークに労音は急速に会員数減少に転じます。今は27日の衆議院議員選挙直前で、選挙カーから聞こえてくるウグイス嬢の声で喧しいですが、優れた芸術を大衆に届けたいという思いは、いつの時代も政治に振り回されているし、利用もされているのだなぁと読みながら思いました。
昨日嬉しかった出来事の最後は、愚息と一緒に期日前投票に初めて行ったこと。「棄権はいけない、白票もいけない、一票を無駄にしてはいけない」と選挙のたびに言って聞かせていたのですが、彼なりに俄かに勉強して「今度ばかりは、投票するわ」と漸く目が開いたよう。今の政治のままではマズいと普段政治に関心がない若者も、「どうせ変わらない」と決め込んでいる若者も、どうぞ貴重な1票を無駄にせずに投票して下さい‼