おもちゃ映画ミュージアム
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Toy Film Museum

2017.07.17column

新聞各紙で紹介いただいた「中川信夫監督展ー人間としてー」

6月10日の中川信夫監督について、正会員で酒豆忌実行委員の長谷川康志さんが講演された様子が、6月15日付け神戸新聞に掲載されました。

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この発表に先立ち、京都新聞でも6月2日付けで告知記事掲載。

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そして4日には京都民報さんも書いてくださいました。

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 そして、6日には朝日新聞に

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さらに、14日には毎日新聞にも書いていただきました。IMG_20170614_0001 (2)

 マスコミの皆さまには感謝で一杯です。おかげで広範囲な地域からお越しいただくことができ、中川監督について多くの皆さまに知っていただくことができました。中川監督が「第3回山路ふみ子文化財団特別賞」を受賞されていることから、同賞40年を記念した冊子やリーフレットが同財団からたくさん届けられて、期間中ご来館いただいたお客さまに進呈させていただきました。

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写真中央下の透明ケースの中に入っているのが、特別賞のトロフィー。

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素敵なチラシ作製、展示に腕を振るわれた酒豆忌実行委員の長谷川康志さんご夫妻。右におられるのが、とても気さくで優しい中川信夫監督のご子息。監督自身とご遺族が大切に遺品を保存継承してこられたからこそできた今回の展覧会でした。展覧会の間はずっと京都におられて、毎日お顔を見せてくださいました。

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10日の長谷川さんの研究発表会後の集合写真。この日の発表会では、当館所蔵『槍持街道』(1936年、部分)の他、『東海の顔役』(1935年、中川監督昇進第1作)撮影風景と『御用唄鼠小僧』(1935年、市川右太衛門プロ)撮影風景の映像を特別に早稲田大学演劇博物館からお借りして上映しました。両作とも右太衛門旧蔵で後に同博物館に寄贈されたのだそうです。『東海の顔役』は、ロケに行った時に市川右太衛門さんがW8㍉で自ら、あるいは周囲の人が撮った映像。今でいえばメイキング映像ですね。少し中川監督も写っていて、監督が写りこむ最古の映像だそうです。関西では、おそらく初めての上映でした。『御用唄鼠小僧』は、作品自体が残っていないので記録映像として貴重です。戦前から戦後のサイレント映画最後時期にかけて親交があった映画評論家・滝沢一先生が中川信夫監督と共同で脚本を執筆。筆名は「猿沢丈介」。中川監督は1929年にマキノプロ御室撮影所に入りますが、倒産。その後、奈良の市川右太衛門プロに入りました。

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こちらは、6月17日酒豆忌in京都。1905年に京都の二尊院門前町で生まれた中川監督は、1984年6月17日に亡くなられました。その命日を監督の好物だった豆腐とお酒で偲ぼうという催しです。「酒豆忌」と命名されて30年、初めて出生地、京都での開催となりました。大勢の人が各地から集って賑やかな集いとなりました。

それから、京都文化博物館さんのご厚意で、この日12時45分から代表作『東海道四谷怪談』を特別上映していただきました。大勢の人にご覧いただいたそうで何よりでした。ご協力、心から感謝しております。

ご来場いただいた皆様、そして尽力された関係者の皆様にも心から御礼申し上げます。ありがとうございました‼

 

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