おもちゃ映画ミュージアム
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Toy Film Museum

2018.03.20column

島津製作所創業記念資料館見学

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1月24日から始まった第23回京都ミュージアムロードも、いよいよ明日で終了。来館の方にばかり勧めても、自分が参加しないのもどうかと思い、小雨降る中を合羽を着て自転車で、京都市中京区木屋町二条南の島津製作所創業記念資料館へ行ってきました。

DSC04465かつては、すぐ隣に高瀬川を掘削した角倉了以邸があり、一之船入の石碑などがあります。水運でこの辺りは大いに賑わいました。今の堀川六条付近で仏具製造をしていた父清兵衛の次男として生まれた島津源蔵は、万延元(1860)年に、この地に移り住み、明治8(1875)年に理化学器械製作所を創業します。角倉邸は舎蜜局(せいみきょく)になっていて、そこに出入りして、お雇い外国人から最先端の知識も学びます。

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 右奥に初代島津源蔵の銅像があります。創業当初の場所。その奥に舎蜜局がありました。その後、明治21年、27年に増築し、その建物は武田五一近辺の建築家の手によると考えられているそうです。創業当時の佇まいを伝えているということで、平成11(1999)年に国の登録有形文化財に指定されました。源蔵の「科学技術で社会に貢献する」精神は今も継承されています。

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居室。奥の庭に枝垂れ紅梅が咲いていました。この二階に三室に分かれて、手前から明治時代、大正時代、昭和から現在にかけての製造販売してきた理化学器械や産業機器などが展示してありました。

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来館者から幾度となく「同じものが島津資料館で展示してある」と聞いていたゾートロープ(驚盤と書いてありますが…)。

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こちらは、幻灯機。

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 写真器(三脚台と乾板付き)。

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 ニュートン氏七色板。ニュートンは、『光学』(1704年)という本で、可視領域のスペクトルの色は、紫、藍、青、緑、黄、橙、赤の七色だと言っています。「手回しのハンドルを回すとどのように見えるのか」と検索したら、良く似たものの動画がありました。

当館に関するものをUPしましたが、これらは、明治期のものが置かれた部屋にありました。

初代源蔵が明治27(1894)年に急逝して、後を継いだ二代目源蔵はX線や蓄電池の開発など、次々と新分野を切り開き、日本独自の産業技術発展に尽力しました。GSバッテリーは、島津のS、源蔵のGだと、初めて知りました。

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その二代目源蔵が70歳の時に書いた「分福茶釜」木版。説明書きによれば「我が国では蒸気を茶釜の沸騰音などで長年、日常的に利用してきたのに対し、英国のジェームズ・ワット(1736-1819)は、蒸気を熱エネルギーに変換し蒸気機関を発明したことに触れ、科学的に物事や現象を見る心の大切さを諭している」内容で、自宅の庵に掲げていたそうです。最近、私はスチームパンク愛好家と知り合いになり、SNSで交流していることから、興味深く思いましたので、紹介まで。

二代目源蔵は、家業が忙しくて小学校に1年半余りしか通えなかったそうですが、15歳で作った感応起電機は見るからに凄いもの。発明王エジソンもそうですが、学校へ行っていなかったからこそ、発想が自由だったのかもしれません。

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これは、うちにある『児童工業物語』(小学生全集68巻、昭和3<1928>年4月1日、文芸春秋社発行。A5判サイズ)。こんな難しいものを小学生が読んでいたなんて、びっくりポンです‼

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当館所蔵の高蜜という日本の会社が作った映画撮影用カメラ。所蔵する昭和3(1928)年のニュース映像にも写っています。このカメラ内部のことを先の『児童工業物語』は説明しているのです。きっと源蔵少年も、こうした本を小さいころからむさぼり読んだのでしょうね。ちなみに、以前来館いただいたスチームパンカーのご夫妻は、このカメラ内部に随分と魅了されていました。映画も蒸気機関車も19世紀産業革命の時に生まれました。

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