2024.11.01infomation
大映京都のスチール・カメラマンだった都筑輝孝さんが遺した資料展
12月28日で、今の京町家での活動を終えます。目下、引っ越しに向けて少しずつ片付け作業をしています。何事にも終わりがあるというのは淋しいものです。
2021年秋に「大映京都の特撮技術『画合成』原画展」をした折に、大映時代の資料を持って来館されたのが都筑輝孝さんでした。五社協定時代の1968年に公開された映画『祇園祭』には、大映から製作助手の肩書で参加されていたと知り、当時のことを聞かせて貰ったこともありました。以降、折に触れ、大切に手元に保管されていたスチール写真、台本などを携えて来館いただき、寄贈して下さいました。その時に、お話を伺ったことも今となっては良き思い出です。
今年3月に、いつも都筑さんに付き添って頂いていた従弟の高田憲一さんから都筑さんが亡くなられたことを聞いて、早い別れに驚くとともに、とても悲しくなりました。享年90歳です。ご自分が一生かけて尽くした映画への愛はお話のそこここに溢れていました。今頃は泉下で、撮影現場で一緒だった人々と懐かしい映画の話に花を咲かせておられることでしょう。地上でも、都筑さんの映画の現場で活躍された様子を偲ぼうと、寄贈頂いた資料類を額装して展示しています。
つい先日、漫画家の永美太郎さんが『夏のモノクローム』を上梓され寄贈して下さいました。内容は戦後大きな社会問題になった東宝争議を舞台に、映画人として生きた人々が、どう振る舞ったかを描いています。その舞台となった東宝に、1953年京都の高校を卒業した都筑さんは、お父様の友人岸田九一郎氏を頼って上京します。東宝の特殊照明を担当していた岸田氏の伝手でレッドバージ時代の東宝(第二組合)に入社し、映画技術者としてスタートします。早速、1954年『ゴジラ』(本多猪四郎監督)や『七人の侍』(黒澤明監督)の現場に見習いとして参加しました。
東宝争議後蔓延していた映画界での荒んだ生活を心配した親御さんの勧めもあって、京都に戻り、1955年大映京都に入社。大映では照明助手を務めます。この頃の大映では『大阪物語』(1957年、吉村公三郎監督)、『雁の寺』(1962年、川島雄三監督)、『越前竹人形』(1963年、吉村公三郎監督)などの名作や傑作映画に参加されてます。1966年『大魔神』シリーズ3部作も手掛けておられますので、2021年の特撮技術をテーマにした私どもの展覧会に、懐かしさも相まってお越しいただけたのでしょう。
順調に見えましたが、やがてテレビが登場し、映画界は斜陽産業と呼ばれるようになっていきます。1968年公開『怪談雪女郎』(田中徳三監督)、『牡丹燈籠』(山本薩夫監督)からスチールマンに転身され、それを機に奥様の旧姓都筑に改姓されます。展示している『怪談雪女郎』の大きなスチール写真は、ひと際目を惹きます。スチールマンになって最初に手掛けたこの一枚で都筑さんの評価が決定しました。天性のセンスもありましょうが、長年照明部で培った技術の成果だとも言えましょう。とにかくこの1枚をぜひ実際にご覧頂きたいです。
1971年、36歳の時に大映倒産の憂き目に遭い、失業した都筑さんは、京都ハトヤホテルのメニュー写真なども撮影しながら、フリーの契約で、前年に設立された勝プロモーション作品『子連れ狼』やテレビ時代劇『唖侍 鬼一法眼』などのスチールを担当。千葉真一さんの依頼で、新人だった真田広之さんのプロモーション用写真も担当されました。先日のエミー賞で各賞を総なめしたハリウッド映画『SHOGUN-将軍』で真田さんが述べた感動的な受賞スピーチを聞かせてあげたかったです。『唖侍 鬼一法眼』撮影担当の渡辺貢先生がカメラを覗いている大きな写真も懐かしさを覚えるとともに嬉しく拝見しました。連れ合いが大阪芸大映像学科時代の同僚でもあり、映画撮影のノウハウや映画人としての心得を教えていただいた恩師で、大変親切にして頂きました。
パネルには「破産と闘う大映労組」もあります。大映倒産に際し、退職金も出ない中、組合は東京の多摩川撮影所にあった映画フィルムを抑え、余剰のフィルム(プリント)を夜中のトラックで東海道を走り、京都府庁に運びました。結果、京都府に買い上げられ、映連の協力もあって、京都では無償でこれらの作品を上映できるようになりました。京都府フィルムライブラリー事業の始まりです。「京都で作られた映画は京都で」という組合員の思いが実を結んだのです。
1972年に大映技術者集団の「映像京都」が設立され、テレビシリーズの他東宝、東映作品にも参加。1978年深作欣二監督の東映作品『柳生一族の陰謀』『赤穂城断絶』も担当されました。しかし、1981年に勝プロが倒産。その5年後の1986年51歳の時に大映京都撮影所が完全撤去されました。掲示した都筑さんの年表もここまでにしています。展示では、大映末期の映画作品や東宝、東映時代のスチール作品も展示しています。
あまり、スチールマンの名前は世に知られていませんが、この展示を機会に、そうした裏方で映画を支えていた人々のことも知って貰えたら、と願っています。