おもちゃ映画ミュージアム
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2017.05.09infomation

7月2日、錦影絵上演とワークショップのご案内

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7月2日13時半、当団体正会員でもある大阪芸術大学教授池田光惠さん率いる「錦影絵池田組」による「虚實皮膜の間」と題した錦影絵の上演とワークショップを開催します。上演するのは、桜白浪憑依豆袋より「憑いてない日」(上掲チラシ第1部に掲載されている左写真)と「花輪車」「曲独楽」(同右写真)。錦影絵が、どんなに幻想的で美しいものか、ぜひ実際に体験していただきたいです。

錦影絵は、関東では「写し絵」と呼ばれています。池田先生が以前お書きになったものを引用しながら錦影絵の歴史を書けば…

「上方では明和年間(1764~72年)に西洋幻灯機が伝わると、すぐに座敷用幻灯機が製作・販売され、座敷で演じられる幻燈が流行しました。その後、この座敷影絵が興行用に改良されて、寛政年間(1789~1801年)にはすでに上方一帯に木製幻灯機芸能の形式が確立されていました。通説では、大坂で演じられていた西洋の模造品である木製幻灯機の見せ物が、江戸に伝わり「江戸写し絵」となって木製幻灯機芸能として確立した後、天保年間(1830~44)に再び上方へ至って、その呼称も「錦写し絵」から「錦影絵」へと変遷した、となっています。しかし、当時の演目や座敷、また新たに発見された種板を考察した最近の研究で、「錦影絵」という呼称はともなわないものの、「江戸写し絵」が伝播したとされる天保年間よりも早い寛政年間には既に上方での木製幻灯機芸能の形式が確立されていたと考えられます。」

錦影絵の上演形態、そして今回の上映会場である京都との繋がりについては、チラシに書いてありますのでお読みいただければ幸いです。「錦影絵池田組」のホームページをご覧いただくともっと詳しくおわかりいただけます。そのトップページに「1779(安永8)年には、幻燈見世物が大坂難波新地で演じていたとされます」とあるのに、ちょっとびっくり。日本の映画興行の始まりも大阪難波の南地演舞場【明治30(1897)年2月15日】でした。難波の地は娯楽と古くから切っても切り離せない縁があるのでしょうか。また、チラシ掲載「錦影絵と京都」に名前が登場する京都最後の幻燈師・歌川都司春のお孫さんにあたる山田哲寛さんに、4月9日聞き取り調査をした様子はこちらで書きました。

先だって池田組のメンバーである大阪芸術大学の学生さんたちが訪れて会場を下見して、いろいろ工夫すべきことを話しあっていました。今度のワークショップでお客さまに体験して貰うキットも見せてもらいました。小さなお子さんでも大丈夫ですが、小学校低学年以下のお子さんは保護者同伴の方が良いでしょう。上演は映画上映の時と同様、会場を真っ暗にした中で行います。ミュージアムの2階のホール側に面した窓に美濃和紙で作ったスクリーンを張り、お客さまは1階のホールからそのスクリーンに映し出される影絵をご覧いただきます。2階の和紙スクリーンの後ろでは、メンバーがそれぞれ「風呂」と呼ばれる道具を手に演じます。

後継者を育成するのはなかなか大変ですが、「一度廃れた伝統芸能の灯をもう一度蘇らせたい」と池田先生はじめメンバー全員で頑張っておられます。先ずは、錦影絵を知ってもらうことが大切ですね。

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4月末に米国のバックネル大学に戻られたエリック・フェイデン先生に錦影絵のことを紹介しましたら、大層興味をお持ちになったので早速池田先生を紹介。そのあと大阪芸大まで見学に行かれ、続いて池田先生の紹介で錦影絵コレクションがある兵庫県立博物館にも足を運ばれるなど、もの凄くのめり込まれました。「今後は米国内各大学と連携して、巡回公演できないか尽力する」と大変な惚れ込みようです。

写真は帰国される3日前にお別れの挨拶にミュージアムに来館いただいたエリック先生ご一家。ご案内した生演奏と活弁付無声映画の上映会にもご家族で鑑賞していただき、「クール‼」と大好評でした。日本の人たちにも、こうした伝統芸能・文化にもっと関心を持っていただけたらと願っています。

錦影絵上演は入館料込み1000円、ワークショップ参加は材料費(500円)が別に必要です。準備の都合上、できるだけ事前予約をお願いいたします。たくさんの皆さまのお越しをお待ちしております。

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