おもちゃ映画ミュージアム
おもちゃ映画ミュージアム
Toy Film Museum

2018.01.17infomation

研究発表と活弁映画上映『魔法の時計』(1928年)

2月12日(月/祝)13時半、「フランス前衛映画派の巨匠」と称されているラディスラフ・スタレヴィッチ(1882-1965)の『魔法の時計』(1928年、当館所蔵)を取り上げて、佐野明子・桃山学院大学国際教養学部准教授に研究発表をしていただきます。演題は「L.スタレヴィッチの日本における受容」。

この企画は、11月22~26日に「持永只仁展~人形アニメを通した日中友好の足跡を追う」を開催した折り、持永さん(1919-1999)のご息女、伯子さんに『魔法の時計』をご覧いただきながら「持永只仁さんも、この作品をご覧になったのかしら?」と質問したことから始まりました。その時は「学校を抜け出しても映画を観に行ったような人だったから、観たかもしれませんね」との返事でした。

「ロシア・アニメの父」スタレヴッチは、ポーランド人で帝政時代のロシアに住み、博物学の先生で博物館長もしていました。博物学の授業用にいつも映画を利用していて、ある時昆虫を使って撮影を試みましたが失敗。そこで、「これらの動物を自分で作り上げることが出来れば良いのだ」と考えました。そうして最初の作品『麗しのリュカニダ』が出来上がりました。同時期の代表作に『カメラマンの復讐』(1912年)などがあります。1917年のロシア革命後、彼はパリに亡命し、その後もフランスでアニメ製作を続けます。

『魔法の時計』は1930年に大阪毎日新聞社が輸入し、大阪の中央公会堂で日本初公開されました。その後は、チラシにもありますように「教育映画」として『吾等の映画』鑑賞会という成人向けの教育映画上映会や慶応大学で上映されるなどしました。スタレヴィッチの『蛙の王様』と『蟻と蟋蟀』は学校巡回上映のプログラムに入っていますが、『魔法の時計』も上映されたかまではまだわかっていません。ですが、批評家などから大変評価が高かった作品ですから、伯子さんがおっしゃる通り、東京の美術学校時代にご覧になった可能性もありましょう。日本や中国で人形アニメーションの土台を築いた持永さんは、スタレヴッチの作品から影響を受けたに違いないと思い、論文『1928-45年におけるアニメーションの言説調査および分析』を書かれた佐野先生に、そのあたりのことも含めてお話をしていただきたいと依頼しました。

余談ですが、1月12日に来館いただいたイラン・グェン東京藝術大学大学院特任准教授から「かつてカメラマンを連れた日本人がフランスのスタレヴィッチを訪ねた」という話を聞きました。直ぐに川本喜八郎さんの名前が浮かびましたが、飯沢匡さんの可能性もあるそうです。イランさんは川本さんにお会いになった時に尋ねられたそうですが、ニコッと笑うだけで答えられなかったとか。いったい誰だろうと思っていましたら、この記事を書くにあたり読んだ1930年4月11日号『THE MOVIE TIMES』に載っていた柄澤廣之さんの「スタレビッチの人形映画『魔法の時計』について」で判明しました。鈴木重吉監督でした‼ 柄澤さんは同年3月30日号『サンデー毎日』に掲載された鈴木監督の「スタレヴィッチ氏訪問記」も引用して書いておられたのです。

連れ合いが無声映画の残存率の低さに危機感を覚え、発掘と修復、保存の活動を始めるきっかけとなった作品の一つに1997年に復元した鈴木重吉監督『何が彼女をそうさせたか』(1930年、帝キネ)があります。ひょんなことで鈴木監督と繋がったことを面白く思いながら、直ぐにご遺族に電話して、スタレヴィッチのアトリエで撮影された写真が残っていないか尋ねました。今も探して下さっていますが、万一出てきましたら当日ご覧いただこうと思っています。

12日は、人気活動写真弁士の坂本頼光さんに東京から来ていただき、今ではほとんど観る機会がない『魔法の時計』を台本書き下ろしでご覧いただきます。当時の雑誌に書かれたキャッチコピーそのままに「見逃して悔を千載に残す勿れ」。ほかにサプライズ上映の可能性もございますので、どうぞ、お楽しみになさってください‼

なお、古い京町家での催しですので、暖房していても充分ではありません。できるだけ暖かい服装でお越しください。大勢の皆さまからのご予約をお待ちしております。

 

 

 

記事検索

最新記事

カテゴリー

月別一覧