おもちゃ映画ミュージアム
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Toy Film Museum

2018.05.23infomation

「新野敏也のレーザーポインター映画教室第3弾」のレポート(2)

【第一部:発掘されたフィルム!埋もれた問題作!】 その2

(A)

(B)
「リトル・モーリッツと新妻ロザリー」Little Moritz enlève Rosalie 
1908年 パテ・フレール作品(フランス)
製作:シャルル・パテ、監督:ロメオ・ボゼッティ 
出演:モーリッツ・シュワルツ、サラ・デュアメル
伴奏:坂本真理(キーボード/語り)
※2017年6月4日 イオンカルチャークラブ葛西「喜劇の王様たち」の公演より 

本作は、【失われたフィルム】のひとつで、現存しないとされております。また、失われていた映画だから珍しいというだけではなく、この作品には我々の知る映画史をくつがえすような、革新的で驚くべき技法が多く詰まっております!製作年度が1905年、1908年、1911年との説もあり、タイトルにも謎があります。いずれの謎もあとで解説するとして、まずは概略とポイントからお伝え致します。

ストーリーは、新郎モーリッツが寝坊して、ようやく新婦ロザリー宅に到着。そそくさと結婚式場へ向かうべく馬車で出発するも、途中で床が抜け、その下には偶然にも蓋のないマンホールがあり、二人揃ってドボン。それで下水溝を徘徊するうち、壁を壊したところが警察署で、とにかく怪しい奴とばかりに新郎新婦は牢屋にブチ込まれる。そのあとを追って結婚式の参列者も警察署へ到着し、警官たちも一緒に参加して牢屋の中での挙式、メデタシメデタシ(?)というものです。

最初にお伝えしたように、この映画の製作年度については三通りの説があります。作られた年が一番遅い1911年だったとしても、同年代に天才と謳われたD・W・グリフィスの作品と比べても遜色ない(というより、それ以上の)完成度で、スポークン・タイトル(中間字幕)など状況説明やセリフもなく、すべてがパントマイムだけで緻密に構成されている驚異の作品です。室内と屋外でのドラマ的な対比や、画面の左側を《寝坊して慌てて礼服に着替える新郎モ-リッツ》コマ落とし撮影、右側を《イライラ新郎を待つ客人》正転スピード撮影と、ワンシーンを二分割のマスク合成で作り込むなど、演出でも特筆すべき点が多く、映画黎明期のショボい寸劇だと侮るなかれ、トンデモナイ演出力の凝縮、単なる古典喜劇では片付けられないオーパーツみたいな映画なのです!

オープニングとエンディング(写真A)は、ロスコー・アーバックル(1887~1933)が数年後に発表する「でぶと海嘯(デブ君の漂流)」に影響を与えたのではないか(写真B)と思えるくらいにチャーミングな趣向、しかも表情のクローズ・アップ!このシーンだけでも同時代に作られたおびただしい劇映画の中において、別格の冴えを感じます。でも、今日では存在すら忘れ去られてしまったコメディアンの主演作な訳で残念です。

主演のリトル・モーリッツ(本名マウリッツ・シュバルツ)は、1890年に帝政ロシアで生まれたドイツ系ユダヤ人のコメディアンです。芸名を「モーリッツ・シュワルツ」として、19世紀末フランスのカフェ・コンセール(現代でいうところのライヴハウスみたいな会場)や演芸場で、コメディエンヌのロザリーと組んで大活躍していたとの話です。1902年(1908年の説もある?)にパテ・フレール社と契約し、先行デビューの大スターであるボワロー(芸名アンドレ・デード、本名アンドレ・ドゥ・シャピュ:1884?~1938)、マックス(芸名マックス・ランデール、本名ガブリエル・マクシミリアン・ルベール:1882?~1925)、プランス・リガダン(芸名シャルル・プランス、本名シャルル・プティ・ドゥマンジュ:1872~1933)に続く第四のキャラクター「リトル・モーリッツ」として売り出され、人気を博しました。相棒のロザリー(またはロザリエ、本名サラ・デュアメル:1873~1926)は、生粋のフランス人コメディエンヌです。

そして当時のモーリッツ作品を監督したのは、映画黎明期の人気コメディ作家ロメオ・ボゼッティでした。彼については後述しますが、《ボゼッティ監督のモーリッツ&ロザリー喜劇》は1911年頃まで量産され、大ヒットしたようです。ですが、この年代に活躍したフランス映画人の多くが経験する悲劇を被ります。それは第一次大戦で、モーリッツやボゼッティも巻き込まれてしまいます。映画会社が軍需工場へ転化したり、役者やスタッフが徴兵されたり等々、戦争によってヨーロッパ経済の混乱、それに伴い映画界も零落が訪れます。フランスに平和が戻っても、彼らの活躍していた場所には往時の栄華がありません。ボワロー、マックス、リガダン、モーリッツの所属していたパテ・フレール社も経営が傾いておりました。パテに限らず、戦争をはさんでヨーロッパの映画界は、新興のハリウッドに主導権を奪われてしまったのです。そこで、かつてヨーロッパで大人気だったコメディアンたちの多くは、再起を賭けてハリウッドへ渡ります。モーリッツも同様、1926年に単身渡米、そして小さな映画会社にて「モーリス・シュワルツ」の名で監督・主演を務めます。以降は、1950年代前半まで脇役ながらもコロンビア社のB級映画やブロードウェイの舞台に出演して、晩年にイスラエルへ移住し、1960年に亡くなりました。

監督のロメオ・ボゼッティは、1879年にイタリアのロンバルディアで生まれ、幼年期に地元のミュージック・ホールでコメディアンとしてデビューを果たしていた人物です。いつからフランスへ移住していたのかは不明ですが、1906年にパテ・フレール社がボワローの後釜として迎えました(参考までに、同じ頃、ボワローはイタリアのイタラ社に引き抜かれ、「クレティネッティ」というキャラクター名で再デビューして、国際的なスーパースター・コメディアンとなります)。

パテでの役者ボゼッティは人気がイマイチ、ゴーモン社へ移り史上初の女性監督アリス・ギイ(1873~1968)の助手を務めた後、監督として再びパテと契約を結びます。そして、手品一座の助手から漫画家を経て映画監督に転身したエミール・コール(1857~1938)と組んで、多くの狂騒劇を生み出し、大ヒットを連発します。モーリッツ&ロザリー作品は、ちょうどこの頃に作られた傑作なのでしょう。悲しいことに、彼の人生も第一次大戦に翻弄され、以降の活動はわからず、1948年にフランスのシュレンヌで人知れず静かに世を去りました。もはや誰からも忘れられた喜劇作家のひとりですけど、映画黎明期に道化師やアクロバット芸人による狂騒劇を創案したことは、喜劇映画の帝王マック・セネット(1880~1960)に多大な影響を与えたとされております(尚、このプロフィールは、僕が30年前に無声映画の喜劇専門書籍を作る際に、フランス大使館、及び当時のユニ・フランスの協力を得て調べたこともあります故、許可なくIMDb等に英語で転載しないで下さいネ)。

このモーリッツ&ロザリーのコンビ作品は、パテ・フレール社よりどの位の本数が製作されたのかはわかりません。20世紀後半に映画研究家デヴィッド・ロビンソン氏は、このコンビについて「フィルムはすべて失われ、今日再見することができない喜劇」として「その代表作Little Moritz enlève Rosalieは・・・」と、この度の上映作品Little Moritz épouse Rosalie のストーリーを紹介しておりました。因みに、映画史家イーフリアム・カッツ氏や古典喜劇研究の大家カールトン・C・レヒュー氏も同様の記述をしております。推測するに、おそらくロビンソン、カッツ、レヒュー三氏はいずれも共通する古いソースから「失われた喜劇」としたか、あるいは三人のうち誰かが最初に幼年期の記憶で書いた解説に、他の二人が賛同していたのかもしれません。

この「現存しない」情報を信じていた僕は、1986年にアルゼンチンの大富豪でフィルム収集家のエンリケ・ブッシャール氏の所蔵リストの中にLittle Moritz épouse Rosalieの文字を見つけて、こりゃエライこっちゃ!と慌てて連絡を取り、複製をお願いしました(蛇足ながら、後日にフィルムから起こした写真を、ポルデノーネ無声映画祭の最高責任者リビオ・ジャコブ氏へ送りましたところ、あまり興味を示されず、逆にイタリアで活躍したアンドレ・デード作品を薦められてしまいました!?)。この発見がインターネットの時代ならば、ニュースとかでちゃんと公表されて、僕も少しは話題になったかもしれませんネ。

話を戻しましょう。それで、日本に到着した「リトル・モーリッツ」フィルムを確認したらば、コレってロビンソン氏が紹介したenlèveと同じストーリーはないか???と思っていたところ、ちょうど当時の拙会で英・仏語の翻訳を担当していた女性が「épouseはフランス語ではなくスペイン語かポルトガル語」だと教えてくれたこともあり、語学のまったくできないアホな僕はそのまんまデタラメを鵜呑みにして今日まで過ごしておりました・・・

それでチラシやSNS等、当日に配布しましたレジュメには上記の原題Little Moritz enlève Rosalie と記載した訳です。上映されたヴァージョンはLittle Moritz épouse Rosalie という題名がデカデカと出るので、この違いを僕は「お配りしたレジュメのフランス語が正しく、画面に出るタイトルはスペイン語かポルトガル語のようで・・・」と無責任な解説をしまして、上映後にお客様(おもちゃ映画ミュージアム会員の吉川恵子女史と溝渕一夫氏)より「両タイトルともフランス語で、épouseは《結婚する》という意味」とご指摘を受けました!ちゃんと自分で外国語を調べていれば恥をかかなくて済んだンでしょうけど。ただ、こうして恥を公にさらすことで、間違いが自覚できたり、新発見があったりと、素晴らしい機会を得られたことで決意も新たになりました。この有り難いご指摘に感謝すると共に猛省しつつ、次にタイトル問題を推論させて頂きます。

まず、僕のこの勘違いでは、enlèveはロビンソン氏らの解説にある作品の正式タイトル、画面に表記されているépouseは輸入された国(南米版?)で差し替えられたものと思ったまま、今回の上映となりました。そして、ご指摘を受けてからはそれぞれ別の作品があるのだろうと、軽薄に考えておりました。しかし東京へ戻ってから、ふとある仮説が頭をよぎりました。ひょっとすると、épouseもenlèveも同一のストーリーで作られた二つの映画ではなかろうか?と。

なぜこんな仮説が浮かんだかといいますと、同時代に活躍したジョルジュ・メリエス、フェルディナン・ゼッカ、ポリドール(またはトントリーニ、本名は仏語でフェルディナン・ギョ-ム、伊語での芸名はフェルディナンドウ・ギラウメ:1887~1977)といったヨーロッパの映像作家たちは、自作を数年後にリメイクしたり、他社の依頼で再製作したり、題名を変えてリブートしたり等々、多くの事例があります。敢えてロビンソン氏がストーリーまでも紹介していたならば、これにはきっと何かウラがある!と深読みして、この自説に到りました。

まず、第一の理由は、映画史家ジョルジュ・サドゥールの大著「世界映画全史」の中で、enlèveをパテ社が喜劇専門の子会社として設立のコミカ社で1911年に製作したとの説明(衒学的で難解で高額な日本語版では「リトル・モーリッツ、ロザリーを誘拐す」と訳されている)から勝手な推測が始まりました!?

推測第二の理由は、現在の映画研究者が重用するインターネット検索サイトのIMDbです。IMDbでは、リトル・モーリッツについてハリウッドへ移入した第一次大戦以降の簡素なプロフィールのみ掲載(追加情報を求むとも書かれている)、フランス期の主演作もロビンソン、カッツ、レヒュー、サドゥールら映画研究四天王の著作から引用したと思われる数作のみ(épouseは1908年製作、enlèveは1911年製作)が記載されていたことです。

そして、推測第三の理由は、今回の「レーザーポインター映画教室」で上映したヴァージョンには「パテ・フレール提供1905年作品」とオープニングに明記されていることです。これがフランス語だとご指摘を受けた以降にガツンと心に響き、先述の推測理由をミックスすると、同一のストーリーで2回作られているか?それとも年代表記に違いのあるépouseは2作品存在するかも?と勝手に思い込んだ次第です。このタイトル部分が初公開時のオリジナルかどうかもハッキリわかりませんけど(関係者の経歴と年代が合致しない等)・・・ひょっとすると、1905年にパテ社、1908年にリメイク、1911年にコミカ社でリブートなんて話もあるのでは?と夢想しました。こんな調子で、リトル・モーリッツはまだまだ研究すべきところの多いコメディアンでしょう。

蛇足ながら、この原稿を作成している最中もIMDbの作品リストは更新、改訂、追加を、奇特なドナタ様かが熱心にやってますネ~!ビックリ仰天です!épouseの製作年代もコロコロ変更、謎は残ります。

あと、ついでにお伝えするというにはあまりに失礼な話ですが、このプリントをお譲り下さいました大恩人エンリケ・ブッシャール氏(英語圏ではエンリック・ブーチャードと呼ばれている)とは、膨大な無声映画の初公開時プリントを所有し、ポルデノーネ無声映画祭やボローニャ復元映画祭などで幻作品の元ネタ提供者となっていた人物です。フリッツ・ラング「メトロポリス」、キートン「恋愛三代記」もブッシャール氏のコレクションなくして今日の復元はあり得なかったと讃えられております。僕がお付き合い(?)のあった1980年代前半で既に90歳近いご高齢の方でした。21世紀になってからはニューヨークの映画コレクターが全作品を譲り受け、保管しているようです。

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