おもちゃ映画ミュージアム
おもちゃ映画ミュージアム
Toy Film Museum

2018.05.23infomation

「新野敏也のレーザーポインター映画教室第3弾」のレポート(4)

【第一部:発掘されたフィルム!埋もれた問題作!】その4

 

「キゲキ・キャメラマン」 Why men work  ※部分
1924年 ハル・ローチ・スタジオズ=パテ・エクスチェンジ作品(アメリカ) 
製作:ハル・ローチ、監督:レオ・マッケリー 
主演:チャーリー・チェイス

本作は、昨年の初め(前回のレーザー・ポインター教室 第2弾の頃)に、おもちゃ映画ミュージアムへ寄贈されたフィルムの中から見つかった、幻の映画です。発見の経緯については、おもちゃ映画ミュージアムの別記事に詳しく書かれておりますので、本稿では省略させて頂きます。

まずは、この映画の主演者チャーリー・チェイスについてお伝えしましょう。本名はチャールズ・パロットで、この名前で監督もこなした実力派コメディアンです。1893年にアメリカのメリーランド州で生まれ、ヴォードヴィル芸人としてのキャリアを積んだのち、1914年に喜劇映画の帝王マック・セネット率いるキーストン撮影所と契約します。ここでキーストン警官隊の一員や、チャップリン、ロスコー・アーバックルの短編などの脇役を経て、1915年には主演作も発表するもあまり人気は出ず、新興のフォックス社へ移籍して、本名で監督に転じました。その後、1921年にセネット生涯最大の宿敵であるハル・ローチ(1892~1992)のスタジオで監督・脚本家として契約、イギリスから来た芸人のスタン・ローレル(1890~1965)や、オーストラリアの名門道化師一族の末裔スナッブ・ポラード(1886~1962)の短編喜劇を手掛けます。ついでながら、チェイスはローチによる映画史上のエポック・メイキング的キャラクター「ちびっ子ギャング」の発案者のひとり、ローレルとオリバー・ハーディ(1892~1957)を組ませた「極楽コンビ」のブレーンのひとりとして、裏方でも大活躍します。

主役級コメディアンの「チャーリー・チェイス」としてスクリーン復帰を果たすのは、1924年、ちょうど本作「キゲキ・キャメラマン」の年です。この頃の主演作品は2週間で1作品を発表というハイ・ペースで作られ、当初はローチ自身が監督と脚本を担当、後任としてレオ・マッケリー(1896~1969)を迎えると、コメディアンに専念するチェイスと演出マッケリーの絶妙なタッグが誕生し、今日再見しても遜色のない傑作短編が量産されました。

その作風は、エスプリとウィットに富んだストーリーを流麗なパントマイムで進める、洗練された状況喜劇(シチュエーション・コメディ)で、飛んだり跳ねたり転んだりのコテコテはあまり演じません。トーキーの時代になりますと、ヴォードヴィルで鍛えた歌や踊りも加わって一段と賑やかになりますが、この一連のテイストがどうも日本では受け入れられなかったようで、チェイス喜劇はほとんど輸入された記録がありません。特に作品の背景が中流以上のアメリカ家庭という設定なので、大正から昭和初期の日本人の文芸嗜好に合わなかったのかもしれませんね。

そんなチェイス喜劇でも、今回の「キゲキ・キャメラマン」は珍しくコテコテのスラップスティック調なので、僕個人としては《失われたフィルム》という事実以外にも貴重な一面を感じ、驚きました。

おもちゃ映画というカテゴリーでこの断片が発見された訳ですが、日本に輸入されていない筈のチェイス喜劇がなぜ商品となっていたのか?僕の推測では、画質自体が経年劣化というよりも、当時からデュープ(ネガからのプリントではなく、上映用プリントから複製)を重ねたうえでの品質低下(コントラストが強く、細かい階調が失われる)のようなので、日本国内で劇場用フィルムをおもちゃ映画用に切り売りしたのではなく、アメリカで当初から何らかの理由によって切り出された断片が輸入され、日本でおもちゃ映画用として流通したのではないかと考えました。これが有名な人気俳優の作品ならば「チャップリンの撮影騒動」とか「デブ君の活動寫眞屋」みたいに新たな商品名が付けられていたかもしれませんが、主人公は未知(未輸入)、つまり当時の日本人にとっては誰だかわからないコメディアンなので、「キゲキ・キャメラマン」なるタイトルを付けたのだと思います。

チャーリー・チェイスは大酒呑みだったようで、1940年に46歳の若さで心筋梗塞にて亡くなりました。彼の死を最も悲しんだのが盟友のレオ・マッケリー監督で、ハリウッドの名匠と謳われてから発表の「新婚道中記」「めぐり逢い」のケーリー・グラント、「邂逅」(=「めぐり逢い」のオリジナル版)のシャルル・ボワイエ、「我が道を往く」「聖メリーの鐘」のビング・クロスビーは、すべてチャーリー・チェイスのキャラクター性を意識していたとのことです。

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