おもちゃ映画ミュージアム
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Toy Film Museum

2021.03.10infomation

4~5月は「ペン画で甦る尾上松之助最晩年『忠臣蔵』展を開催します‼

3月28日までは、弁士・片岡一郎コレクション展「活動写真弁士の世界展-日本映画興行の始まり-」を開催しています。続いて展示する「ペン画で甦る尾上松之助最晩年『忠臣蔵』展」も無声映画に関する展示です。「目玉の松ちゃん」こと尾上松之助(1875年9月12日-1926年9月11日)は日本最初の大スターで、生涯に約千本もの作品に出演したと言われていますが、残っている作品はごく僅かです。

4月17日(土)に坂本頼光さんと天宮遙さんをお招きして上映する『忠臣蔵(実録忠臣蔵)』は、当館開館後に寄贈を受けたフィルムの中から発見されたパテ・ベビー用短縮版ですが、天地人3篇が揃っていたことから、大きなニュースになりました。この作品は、松之助が『侠骨三日月』撮影中に倒れて亡くなる5ヵ月前の4月に封切られました。

当時は活動写真弁士の説明と楽士さんの生演奏付きで上映されていました。稲垣浩監督が日刊スポーツ紙のインタビューに応じて語ったところによりますと(『活動写真の大スター 目玉の松ちゃん-尾上松之助の世界-』岡山文庫、130頁)、

……松之助映画は無声ではあったが、暗い中に数人の声色(こわいろ)が立って、それぞれの役者の振りにあわせて言葉をつけた。そして歌舞伎のようにおはやし、鳴り物、拍子木などを打って、ときには浄瑠璃や清元、琵琶などの出語りもあったから、全く芝居を見るような楽しさがあった。

 松之助の声色は低音で力強く、いま思うと進藤英太郎の声に似ていたようだ。京都の千本座の滝花主任が画面の松之助にピッタリの声だというので、それを手本に各地から募集して松之助の声色を統一した。

 直営館三十、特約館三百三十五に同じ松之助の声を配置したのは大変だったと思うが、それは観客に対する大サービスであり、商品としての松之助を会社がいかに大事にしたかという証拠である。私達ファンはどこの館へ行っても松之助の声色だけが安定していることで満足した。……

全国各地の映画館で松之助の声に似た弁士さんの説明を聞きながら、大いに楽しまれていた情景を思い浮かべつつ、これを書いています。

これは1926(大正15)年京都の新京極にあった帝国館でのもの。何月の21日まで上映されたのか、直ぐにはわかりませんが…。

こちらは熊本の日活直営館「世界館」で、こちらも年月が直ぐには分かりませんが、26日から「松之助追善大興行」とありますので、1926年9月11日以降の上映時のものですが、亡くなってそう日が経たないうちの上映ではないかと想像します。

松之助の1周期記念として、この作品に大河内傳次郎や谷崎十郎らを加えた『増補改訂忠臣蔵』が1927(昭和2)年9月1日に公開されました。同じ池田富保監督の手によります。この段階では「実録」の文字がありませんので、「これぞ『忠臣蔵』だ‼」という意気込みが感じられます。

さて、肝心のペン画を描いた当時中学生だった芹川文彰さん(1911-1984)は、熊本県山鹿市で生まれました。長じて東京美術学校(現・東京藝術大学)で絵画を学ばれただけあって、素晴らしいペン画を500コマも遺されました。ご遺族によれば、ご実家の近くに映画館があったそうですから、そこでこの作品をご覧になったのでしょう。最初に描いた日付が出てくるのは、1926年12月。翌年元旦にも描いておられます。そして、描き終えられたのは1929(昭和4)年5月10日。15歳から18歳の誕生日直前までに描かれたものです。

そもそもこの展覧会開催に至ったのは、ペン画所蔵者様とお繋ぎくださった熊本日日新聞の松尾記者からの1本の問い合わせ電話から。おそらくライフワークにされている「にわか」の取材で芹川さん宅を訪問されたときに、甥の英治さんから「埋もれさせておくのはもったいない」とペン画帳を見せられたのだそうです。松尾さんは一見してその表現力、描写の確かさに驚かされ、ひょっとして映像の欠損部分を補う貴重なものかもしれないと思われて、問い合わせてくださいました。

松尾さんは「独自のコマ割りなど今の漫画や劇画の先駆とも言えないか」とも考えておられますので、そういう視点でもご覧頂いて、お教え頂ければありがたいです。私どもは、所蔵しているパテベビー版『忠臣蔵』映像との見比べをして、何か面白い発見があるやもしれぬと期待しています。

尾上松之助遺品保存会松野代表からこの作品のスチール写真データを受け取っていますので、その写真も併せて対比するような形で展示してご覧頂きます。

さらに「類を以て集まる」例でしょうか、同保存会に寄贈するため昨年12月に持参された西村美穂子様からお預かりしている『忠魂義烈実録忠臣蔵』のスチール写真アルバムも参考に展示します。この作品は、1928(昭和3)年3月14日に公開されたマキノ省三監督320作品目で、監督の生誕50周年を記念して製作されました。主演の大石内蔵助役は、新派劇の代表的俳優伊井蓉峰が演じています。寄贈者のご主人のお父様、故・重太郎さんは、たいへんな映画好きだったそうで、これまで大切に保存されていたものです。

95年の歳月を経て、映画が作られた京都で、遠く離れた九州の若者が胸躍らせながらペンを走らせて映画のシーンを描いた作品の数々を、ぜひ多くの方にご覧頂きたいです。なお、チラシに書きました「赤穂浪士と縁がある熊本県山鹿市」についてと、なぜ討ち入りがあった12月14日ではなく、4月中旬に『忠臣蔵』を上映することにしたかについては、こちらで書きました。

※4月17日の活弁と生演奏付き『忠臣蔵』上映は、既に申し込みが相次いでいます。会場が狭く、三密を防ぐために定員をいつもより減らしていますので、希望される方は、お早い目にお申し込みをお願いいたします(無断キャンセル厳禁で‼)。

 

 

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