おもちゃ映画ミュージアム
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Toy Film Museum

2026.06.12information

7月5日「祇園祭」をテーマしたイベントを開催します‼

6日の新聞で、夏の京都、日本を代表するお祭り「祇園祭」で長刀鉾のお稚児さん(長谷航太郎さん、8歳)と補佐役の禿二人(長谷恭佑さんと築地啓太さん、ともに9歳)が決まったことを報じていました。ぼやぼやしているうちに、もう祇園祭がやってくるのですね。コンチキチ♪のお囃子を頭に思い浮かべながら、7月5日の催しのご案内をさせていただきます。

昨年の7月17日祇園祭前祭山鉾巡行の列に、東山区弓矢町の清々講社弓矢組様の「武者行列」が半世紀ぶりに復帰しました。

写真は、町会所「弓箭閣」を出発する武者5名。太い紫色の帯を締めているのが大将役の山中秀起さん。そしてその前後を4人の武者が赤色の帯を締めて緊張の面持ちで進みます。1974年を最後に行列を中止していたのが復活したのですから、町内の皆さんの顔も喜びで輝いています。

これは四条通に整列した弓矢町清々講社の一行。当初の兜から烏帽子に替え、大将は馬に跨っています(乗馬は1899<明治32>年から)。このあと、東大路通りを三条に向かって進みます。今年も弓箭閣他町内数カ所で各家が大切に保存されている武具飾りが行われますが、ぜひ17日の神幸祭山鉾巡幸だけでなく、その前に行われる武具飾りにも多くの方に足を運んで見て貰いたいので、7月5日の催しでは、昨年の弓矢町武具飾りと復興した武者行列の様子を私どもで記録した映像をご覧に入れます。

昨年6月14日には、多くの皆様のご協力を得て、八坂神社近くの弥栄ふれあいサロンで京都市歴史資料館館長下坂 守先生に「描かれた武者行列」の演題でお話して頂きました。手前どもの不手際で撮影した折の音声が多少お聞き苦しいかもしれませんが、その折の記録映像もご覧いただきます。

昨年の下坂先生ご講演要旨は以下の通り。

…………昭和49(1974)年まで、祇園祭には神輿を先導する武者行列が弓矢町から出していました。弓矢町は清水寺への参道(「清水坂」という)に位置する町で、古くは「坂」(地名)と呼ばれ、そこに住む「坂者」は穢を祓い清める力を持つと信じられていました。彼らはその特殊な能力をもって神輿の先導役を務めていたわけですが、近世になるとその行列はたいへん豪華なものになっていきます。そのあでやかな姿を描いたさまざまな絵画から選び出して見ていきます。…………

私どもは2019年から映画『祇園祭』(1968<昭和43>年11月23日公開、山内鉄也監督)をテーマに、毎年催しをしてきました。その映画の原作は小説家で京都市議だった西口克己さんが書いた同名小説『祇園祭』(196Ⅰ年)でした。

持ち歩いて傷みがある古本ですが、右が1968年版西口克己さんの『祇園祭』。そのあとがきに、

「私はこの作品のなかで室町末期の京都祇園祭の復興を素材として、わが国の自治体と民主主義の芽ばえ、平和と文化をもとめる民衆の姿などを手さぐりしながら描いてみました。そして歴史の暗やみの底で無数の宝石のようにきらめきつつ、歴史そのものを動かす大きな力になってきた民衆にたいして深い愛情を抱いたのでした。この民衆の歴史は-いささか大げさな言い方を許されるならば-この作品をとりまく数年間の経緯にも圧縮された形であらわれています。

 初版は中央公論社から刊行されましたが、いわゆる嶋中事件後に絶版となり、さらに弘文堂による再刊は同社の進歩的なフロンティア・ブックスの挫折と共に絶版となりました。そして今、東邦出版社の好意によって新しく息を吹きかえしたのです。(略)中村錦之助君がこの作品の映画化を決意したのは数年前でしたが、あの愚劣な東映“やくざ”路線のために中止させられ、今度、蜷川知事が京都府政百年事業の一つとして、これに協力なさったのは、うれしいことです。知事は歴史年表を片手に、この拙ない作品を検討されたそうです。この映画化にはさまざまな妨害や圧迫が加えられましたが、そんな圧迫に左右されずに立派な映画のできることを期待しています。

  ともあれ、この作品は、実在の祇園祭そのものが歴史のなかで何度か途絶しながらも民衆の力によって不死鳥のように甦ったという因縁にささえられたのでしょうか、ふしぎに生きのびてきました。作者として感慨ふかいものがあります。」(1968<昭和43>年11月15日発行)。

映画の公開にあわせたように3度目の出版にこぎつけたようです。西口さんの文章には、歴史学者林屋辰三郎先生の門下生たちによる紙芝居『祇園祭』(1952年)をもとにしていたことに全く触れていませんが、紙芝居『祇園祭』にヒロイン役で出演した高尾幸江さんは「西口さんが『祇園祭』について聞きに来たと聞いている」と証言しておられますし、2007年田中聡先生が代表する「戦後歴史学ワーキンググループ」が民科京都支部歴史部会の資料を調査中、京都大学の研究室にあった段ボール箱の中からB4版(小型版)の紙芝居と同紙芝居を撮影したスライド、台本、紙芝居の上演記録と西口さんからの書簡を発見されています。「この作品がバレー化され」「ミュージカル化され」と言及しているにもかかわらず…。

すったもんだの末、途中降板した伊藤大輔監督は当初から東京大学出版会から出たこの赤い表紙の『祇園祭』に着目して、西口さんの小説ではなく紙芝居から映画にしたいと考えていたようです(『キネマ旬報』1962年6月上旬号「祇園祭と流人」)。

ともあれ、7月5日にご覧いただく幻燈『祇園祭』は2007年、京都大学の研究室で見つかった幻燈スライドを再度撮影して保存されたデータをお借りして上演します。台本は高木博志京都大学名誉教授が近年入手され、現在は京大人文科学研究所にあるのをお借りします。語りは京ことばの語りを大切にする公演や懐かしい歌のコンサート活動をされている岡田佳美さんに、是非にとお願いしました。

岡田さんは映画『祇園祭』にも深い関係があります。2018年10月28日京大人文科学研究所で「オーラルヒストリー~アーカイブによる戦後日本映画『祇園祭』~」が開催されました。大阪芸術大学の研究費を活用して、劣化して赤くなっていたフィルムを復元した連れ合いもその経緯をシンポジウムで説明して欲しいと依頼を受け、当日は映画の上映もあるというので、当館で知り合った皆様方に案内を一斉送信しました。それに反応して下さったお一人が岡田さんでした。彼女は京都府の新人職員だった1968年、 “参加する映画”『祇園祭』に共感して、文字通りボランティアとして参加された経験がおありで、2019年7月24日「祇園祭の映像を見て、1150年記念『祇園祭』還幸祭神輿渡御見物」を実施した折に、映画撮影当時のお話を聞かせて下さり、後に関係資料も寄贈して頂きました。

岡田さんと知り合ったのは2016年8月21日。地域の地蔵盆にあわせて紙芝居を上演する計画でしたが、当初予定していた北海道の方が体調不良で実演が難しくなり、急遽知人の紹介で駆けつけて下さったのが岡田さんでした。幻燈『祇園祭』を語るにもっともふさわしい人としてお願いしました。男性の声もあればよかったのですが、予算がないので頼りない私と二人で務めます。

そして、7月3日(金)~20日(月)、日本甲冑武具研究保存会理事馬場真二郎様のご協力で、母衣(ほろ)武者の生人形をお借りして展示します。母衣武者の存在については、昨年の下坂先生のご講演で見せて頂いた屏風絵などで知りました。たまたま昨年7月16日弓矢町の武具飾りを見に行った折り、居合わせた人から松原通のギャラリーでこの人形が展示されていると教えて貰い、外から窓越しに眺めて一気に魅せられてしまいました。直ぐに連絡を取って、この度こうして展示できることをとても嬉しく思っています。明治の工芸品で長く海外にありましたが、数奇な運命をたどって日本に里帰りしました。ぜひ間近でご覧ください。

これは今年3月4日NHK 歴史探偵「出陣!信長親衛隊」で、織田信長の黒母衣衆と赤母衣衆が紹介された一場面。思わず、「おおっ!」と前のめりに。すっごく嬉しかったです。

ところで、チラシにも使わせてもらった京都国立博物館や講演で紹介いただいた八幡山保存会所蔵の『祇園祭礼図屏風』に母衣武者が描かれていますが、江戸中期の『祇園会細記』(1757年)には母衣武者が描かれていないように思い、母衣武者が登場しなくなったのはなぜか?そしていつ頃から姿を消したのか、さらに、弓矢町の人に調べて貰った結果、同町に残る古文書には、一切母衣武者に関する記述が見られないことがわかり、母衣武者をどこの人々が担っていたのか知りたいと思い、下坂先生にお尋ねしました。

ご多忙の中、ご親切に先生から返事を頂戴しましたので、該当部分をご紹介します。

…………山鉾が出現してくる契機はよくわかりません。多分、お祭りの賑やかし(風流)として、朝廷に仕える役人たちが飾り物を出したのがその始まりだと考えられます。山鉾巡行は南北朝時代の末に制度として定着しますが、これは時の室町将軍足利義満が京都の住人に強制して出させたものと私は考えております(のちには次第に氏子町の人たちが自主的におこなうようになりますが)。

祇園社の神様が京都の御旅所にお出になるのが「祇園祭」で、本来、山鉾巡行はそれに付け加えられる形で始まったものであることまちがいありません。その意味では、厳密に言えば、祇園祭(神輿渡御)と山鉾巡行は別のものということになります。

母衣武者は、16世紀末から17世紀の半ばぐらいまでは出ていたと思います。それがやがて出なくなるのは幕府が規制したからと推定されます。幕府は武具の携帯をきらい、何度か鑓や弓の数を制限しています。京都国立博物館・八幡山保存会の屏風は17世紀前半から半ばに描かれたものですので、まだ母衣武者が描かれているのだと思います。武者行列に参加したのは、坂が統制していた日岡、九条、桂などの宿の人たちです。それ以外の人たちはいません。…………

展示する母衣武者については、作者などわかっていませんが、福岡教育大学教授本田代志子先生から論文をお送りいただきましたので、後日ブログの方でご紹介しようと思っています。

長々書き連ねてお読みくださる方は少ないかもしれませんが、ご都合良ければ7月5日の催しにぜひご参加下さいませ。幻燈『祇園祭』上演は、2024年7月26日カンデオホテルズ京都烏丸六角レセプション棟で私どもが企画実施したのに続き、2回目の珍しい披露の場です。生人形は3~20日まで休館日を除く毎日ご覧になれますので、こちらもお見逃しなく‼

7月5日の催しは定員24名(予約優先)で、参加費2500円です。お申し込みをお待ちしております‼

なお、7月5日はこの催しのため、通常見学は正午までとさせていただきます。悪しからずご了承下さいませ。

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