おもちゃ映画ミュージアム
おもちゃ映画ミュージアム
Toy Film Museum

2026.04.19column

幕末・明治期の写真

5月に東京大学史料編纂所の谷 昭佳先生たちが写真の調査に来てくださることになっていて、間に合えば年内にも“オートクローム”の展覧会と講演会ができたら良いなぁと思っています。3月25 日地域力MLで、写真について講演会があると知り、予備学習に丁度良いと思い、4月18日京都大学百周年時計台記念館へ出かけてきました。「写真を語り、写真にふれる:幕末・明治期の肖像写真と鶏卵紙」で、主催は東西文化交渉研究會。

時計台記念館2階会議室1は、こぢんまりした部屋でした。主催者の方々にとっては嬉しい想定外の大入り満員になり、廊下にはみ出ても聴講希望の方がおられ、何度も追加の椅子を置き直して対処しておられました。この日から京都国際写真祭が始まったことと関係があるのかもしれませんが、古写真に関心を持つ人々の多さを実感しました。

2019年4月~5月にかけて、私どものかねてからの希望が叶って、初めて同写真祭“KG+”部門の会場になることができました。出展してくださったのは 、 “ヴァンダイクプリント”の若林久未子さんと“アンブロタイプ(湿板写真)”のアルマ・シャンツァーさんでした。

その折のチラシです。常日頃「映画は、光学玩具と幻燈機、それに写真が一緒になって19世紀に登場した」と申していますので、写真ファンは映画ファンと重なるのだろうと勝手に思い込んでいましたが、全く別物だということに、来館されるお客様をみていて気付きました。もともと私はミュージアムを始めるまで映画とは無関係の仕事や活動をしていて、映画はもとより、その誕生のきっかけになった3要素についても知識がありませんでした。無声映画とその周辺の資料を少しでも救いたいとの思いで、2015年5月18日に開館し、それからの日々を連れ合いからだけでなく、お客様からも教えて貰いながらなんとか今日までやってきました。まだまだ知らないことばかりで、今回の初期の写真に関しての講演会も貴重な学びの場と思い、出かけました。

古典写真技法については、若林さんたちの展覧会の折に、 “サイアノタイプ(日光写真)”のワークショップをしてくださったこともあり、その手順と用意すべきものを知ることができました。自分で挑戦した折の記録をブログで書いていますので、関心がある方は、カメラがなくても日光で写し取ることができるこの手法をぜひ試してみてください。

で、今回のテーマは“鶏卵紙”。当館でも“鶏卵紙”を含む写真をいくらか並べています。

上段右端にダゲレオタイプ、その隣にアンブロタイプ、左端にティンタイプ。下段右端にオパロタイプ?、鶏卵写真とその技法を使って作られた彩色写真“横浜写真”を並べ、手前右の額装した写真は、ブリキ板にプリント(ティンタイプまたはフェロータイプ)された写真に、油絵で描いたもの。谷先生が来館された折には出していなかったのですが、先生のお話を聞いて面白いと思った“写真油絵”かもしれません。海外のオークションで買ったものです。手前左の額装した写真は、フランスの古写真コレクター、クロード・エステーブ先生からデータで寄贈いただいた“横浜写真”で、撮影と彩色は下岡蓮杖(しもおか れんじょう)です。

今回の講演では触れられませんでしたが、 “横浜写真”は、幕末から明治にかけて、主に横浜などの開港地に滞在した外国人向けの土産として制作された高級写真のことを指します。最大の特徴は、モノクロの鶏卵紙に、一点一点手作業で精巧な彩色(着色)を施している点です。フェリーチェ・ベアト、下岡蓮杖、日下部金兵衛などの写真師たちが手掛けた日本の風景や風俗(着物姿や侍、エステーブ先生が興味を持たれている刺青を施した人々など)の写真が有名です。 “横浜写真”は、最新の写真技術(鶏卵紙)と伝統的な彩色技術が融合した究極のハイブリッド文化とも言えましょう。

会場でも、鶏卵紙写真の実物が展示されていました。

最初の発表は国際日本文化研究センターの安藤千穂子プロジェクト研究員で、テーマは「幕末・明治期の鶏卵紙による肖像写真の移入と定着」。鶏卵紙は、紙の表面に卵の白身(卵白)と塩を混ぜたものを塗り、その上に銀を定着させて感光させる印画紙の技法です。19世紀後半(幕末~明治)に世界中で主流だった写真のプリント方法で、独特の光沢と茶褐色の色合いが特徴です。

興味深かったスライドの一枚。日本に最初に写真術が伝来したことを書いた上野俊之丞の手紙(上野俊之丞は、有名な上野彦馬の父親です)。これによりますと、1839年にフランスで発明された“ダゲレオタイプ(銀板写真)”が日本に伝わったのは、天保14(1843)年のことでした。

その後、1841年にイギリスでカロタイプ(紙ネガ法)、1848年にフランスで卵白湿板(ガラスネガ法)、1850年には同じくフランスで鶏卵紙(印画紙)が発明されました。1851年にはイギリスでコロジオン湿板が登場し、これが幕末から明治初期の主流となります。

1860年代には、名刺大肖像写真(カルト・ド・ヴィジット)が億単位で生産されるほど世界的に普及しました。そして、1870年代後半から1880年代にかけて、ゼラチン乾板が実用化されたことで、大量生産や焼き増し印刷がより容易になったそうです。

写真技術が「金属(銀板)→紙→ガラス(湿った状態)→ガラス(乾いた状態)」へと進化し、複製が容易になっていく流れがわかります。当時の広告によれば、ネガの番号が写真裏に書かれていて、「焼き増しはいつでも1枚につき6ペンス、ビネット(周囲をぼかした形式)の二人写真は8ペンス」と書いてあったそうです。

「今の日本のお金に換算すると、1枚がおにぎり4個分ぐらいの金額。安くはないけれども、一般の人も手が出せる値段だった」と講師の安藤さん。20世紀に絵葉書が広まるまで、この肖像写真の文化は非常に盛んだったそうです。

一方の日本では、嘉永7(1854)年に日米和親条約を締結して開国して以降、写真が広まります。1861年に鵜飼玉川(うかい ぎょくせん)、1862年には下岡蓮杖や上野彦馬といった先駆者が登場しました。鵜飼は、「日本人が経営する日本初の写真館」を江戸に開いた人物です。慶応3(1867)年には、日本で最古の鶏卵紙の製法を記した解説書『写真鏡図説』が出版されています。

明治4(1871)年の東京で発行された錦絵には、写真館で撮影してもらう女性と、順番待ちをしている二人の客が描き込まれています。当時の写真は、客の好みに合わせて紙かガラスのいずれかに定着させました。料金は、紙の写真が55銭だったのに対し、ガラス(アンブロタイプ)は5銭から40銭。意外なことに、当時はガラスの方が安かったようです。当時の物価で言えば、白米10kgが51銭ほどだった時代ですから、写真はまさに超贅沢品でした。

なぜ、ガラスの方が安かったのか?ガラス(アンブロタイプ)は撮影したそのものが完成品となる「一点もの」ですが、紙の写真は「ネガ(湿板)から鶏卵紙へ焼き付ける」という二段階の手間と、高価な薬品・印画紙が必要だったためです。今の感覚だとガラスの方が高そうですが、当時は「複写ができる紙の方が高級」だったという逆転現象が面白いですね。

 

続いて徳永写真美術研究所の徳永好惠さんが「鶏卵紙の材料と制作方法」について発表。①精製水(30ml)に塩(2.1g)を溶かし、②卵白液(3個分、約100g)に加えて、泡立て器で泡立てます。③泡と液が分離するまでラップをかけて2時間ぐらい放置。④ガーゼで漉して泡と不純物を取り除く。⑤画像面を卵白液でコーティングして自然乾燥して印画紙を作ります。

プリント作業は⑥硫酸銀(2g、毒性があるので手袋とマスク着用)を精製水(20ml)に溶かして感光液を作る。⑦卵白面にスポンジまたは刷毛で感光液を塗布して乾燥。⑧ネガフィルムと感光紙を密着させ、所定の時間(15~20分)で露光する。⑨露光後、幾度か水を入れ替えながら、白濁がなくなるまで水洗。⑩定着液に浸す。⑪再度流水で水洗する。⑥と⑦は薄暗い電球光の下で作業する。画像の保存性を高めるために、金調色を行う処方もある。

 

最後に、鶏卵紙を用いて作品発表をされている建石芳子さんの作品を見せて貰いました。そのうちの1枚が、このブログ記事上から2枚目に載せている両手を写した『MEMENTO MORI』(2024年)です。他の作品もこの年老いた女性の顔や手に深く刻まれた皺など人生の年輪が写し取られていて、その発色の色合いから何ともいえない温かみを感じました。

終了後に安藤先生に質問しようとお声がけしたら、以前ミュージアムにお越しいただいたことがある方でした。「写真や紙フィルム、幻燈などを見に行きたいと思っていたところだったので、お声がけいただきありがとうございます」と逆に言っていただき、私も大変嬉しく思いました。いつかミュージアムでも再会できるでしょう。写真の勉強ができた上に、こうした出会いもあって、出かけて行って大正解でした‼

 

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