おもちゃ映画ミュージアム
おもちゃ映画ミュージアム
Toy Film Museum

2017.04.10infomation

ウェブマガジン「キネプレ」で、チャップリン誕生日記念イベントを紹介‼

今日のウェブマガジン「キネプレ」で、4月16日に開催する「128thチャップリン・バースディ」のことを紹介していただきました‼

■京都・おもちゃ映画ミュージアムがチャップリン誕生日記念イベント 短編を生伴奏付きで上映 http://www.cinepre.biz/archives/21529


たくさんの読者がおられる「キネプレ」で取り上げてくださったことに、感謝感激‼ 
ミュージアムのことにも触れてありますので、お読みになった方が関心を持って
訪ねてくださったら嬉しいなぁと思っています。

当日「浮遊する街~『犬の生活』における闘争する敗者」の題で研究発表してくださる
河田隆史さんにお願いして、上映する2作品の解説を書いていただきました。
ぜひ、ご参考になさってください。

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◎『ノックアウト』THE KNOCKOUT おもちゃ映画ミュージアム正会員 河田隆史

ノックアウト

監督 マック・セネット(注1)

撮影 フランク・D・ウィリアムズ

封切り 1914年6月11日

長さ 1897フィート

配役 

パグ  ロスコー・アーバックル

恋人  ミンタ・ダフィー

荒くれ者のリーダー  アル・セントジョン

サイクロンフリンをまねる荒くれ者  ハンク・マン

サイクロンフリン  エドガー・ケネディー

レフリー  チャールズ・チャップリン

ギャンブラー  マックス・ウェイン、

観客  チャールズ・パロット [チャーリー・チェイス]

観客  マック・セネット

ボーカリスト  ビリー・ギルバート

解説

 チャップリンが1914年にキーストン入社し、映画デビューして18本目の作品。日本では「デブくん」と愛称されたロスコー・アーバックルの主演作品だが、1921年に彼がスキャンダルで失脚した後、チャップリン映画として興行された。チャップリンはチョビひげでおなじみのチャップリンスタイルで登場するが、上着は着ていない。レフリーとして約3分間登場するだけである。彼の出演シーンは絶賛され多くの批評家の評価は高い。他のシーンと比較してあまりにもすばらしいのでここだけはチャップリンが監督したのではないかという説があった(注2)。この説は現在では否定されている(注3)。確かに面白いが、後の「街の灯」のような計算されたリズミカルな動きはなく荒っぽい。ちなみにチャップリンはボクシング観戦が好きで、仕事が終わると同僚とよく行っていた。翌年の「チャップリンの拳闘」(1915)そして「街の灯」(1931)でボクシング試合のギャグを演じている。

ミンタ・ダフィーは男装してボクシング場に入る。当時の女性はボクシング場に入ることがためらわれたのだろう。実生活では彼女はアーバックルと結婚していた。アーバックルはボクシンググラブをはめたまま拳銃を撃っているが、よく見ると半分手がでている。

 最後のキーストンコップス(警官隊)の追っかけは、とてもおもしろい。この部分は傑作である。拳銃を無意味に発砲しながら集団で屋根の上を一列で走るカメラアングルがシュールで秀逸。ロープに引っ張られたコップスが最後までそれを離さずに引きずられたまま海にドボンと落ちる。古典的だが完成度は高いカッティングで、キーストンコップスの代表的なおっかけとして評価出来る。

 アーバックルは、チャップリンの演技が目立つことによって自分の影が薄くなっても作品の出来がよくなるなら良しとした(注4)。 こういう態度が、後に駆け出しのキートンと共演した時も発揮され、キートンの飛躍に結びついたのだろう。アーバックルは「アルコール先生お好みの気晴らし」(1914)や「チャップリンの活動狂」(1914)でもチャップリンと共演している。

 この映画は1920年に再上映されたが、その時のポスターにはアーバックルの文字の上に大きくチャップリンの名前が乗っており、チャップリン映画として公開された。21年に事件が起こり、アーバックルの映画は興行界からすべて排斥された。チャップリンの人気もそれに勝てずこの映画も一時期お蔵入りとなった。「チャップリン映画」「キートン映画」として生き残った以外のアーバックル独自の映画は、ほとんどが処分され、現存しているものは少ない。

 

注1 James L Neibaur . Early Charlie Chaplin:The Artist as Apprentice at Keystone Studio,(The Scarecrow Press,2012), p90. 

多くの文献でチャールズ・アヴェリーが監督であると記されているが間違いのようだ。この時期のキーストン映画にはクレジットタイト

ルがないため不明なことが多い。
Glenn Mitchell,The Chaplin Encyclopedia”(London: Bastsford, 1997),p.166.

大野裕之著『チャップリン・ザ・ルーツ』DVD-BOX封入ブックレット(ハピネットピクチャーズユニット2012年),39頁.

Ted Okuda and David Maska ,Charlie Chaplin at Keystone and Essanay. (iUniverse ,2005),p45.

 

 

◎『チャップリンの替玉』THE FLOORWALKER おもちゃ映画ミュージアム正会員 河田隆史

替え玉写真

監督  チャールズ・チャップリン         

撮影  ウィリアム・C・フォスター

撮影助手  ローランド・トザロー       

背景担当  E・T・メイジー              

脚本  チャールズ・チャップリン

脚本協力  ヴィンセント・ブライアン

封切り 1916年5月15日

長さ  1734フィート

配役

金のない客  チャールズ・チャップリン

店長  エリック・キャンベル

彼の秘書  エドナ・パーヴァイアンス

売り場監督  ロイド・ベーコン

店員  アルバート・オースティン

紳士の客  レオ・ホワイト

女性の店内監視役  シャーロット・ミノー

エレベーターボーイ  ジェイムズ・T・ケリー

解説

 チャップリンのミューチュアル入社第1作。デビュー3年目でエスカレーターのセットをスタジオに建設できるほどの恵まれた環境となった。テリー・ラムゼイはこの作品の誕生の経緯を次のように伝えている。チャップリンは3週間ほどニューヨークの街を歩き回った後、高架鉄道の駅のエスカレーターの上で一人の通行人が足を滑らせてエスカレーターに引きずられるように下に滑り落ちていくのを見た。まわりの人はそれを見て笑ったが、チャップリンの目はこの瞬間にパッと輝いた。そしてその場をそそくさと立ち去り、その足でロサンゼルスの撮影所に戻っていった(注1)。完成した作品をみたキーストン映画社のマック・セネットは「なぜ今までこのエスカレーターという手を使用しなかったのか」と悔やんだ。一つのアイデアだけで映画を作り始めるというのは中期までのチャップリン映画では普通のことだった。

 スピード感あるドタバタ劇であり、キーストン時代とは違って洗練された感じは強い。ただ酷評もないわけではない(2)。

 店員役のアルバート・オースティンは、「チャップリンの質屋」(1916)でもチャップリンにさんざんいたぶられていた役者だ。この映画でもチャップリンが店の品物を汚すのをただ傍観しているだけである。チャップリンの中期映画は、「犬の生活」(1918)を含めて、このような気弱で無抵抗の弱者を冷たく見つめてギャグにすることが多い。

この作品で、チャップリンは万引きと間違われるのだが、本当の万引き犯は若くてきれいな服を着た女性達であった。この百貨店にはこのような女性がたくさんいるのだ。男性の万引きもでてくる。「犬の生活」でもあったように、市井の人々は悪事を平気で働く。それは着ている服装によって判断されるものではない。チャップリンは犯罪をしていないのに捜査官に逮捕されようとしている。彼は商品の陳列棚を購入したつもりであったが、商品全部を盗んだと誤解されるのだ。初期の悪役を脱皮し、他人の犯罪の罪のため自分が追われるという無垢なチャップリンはこれ以後の作品に頻出する。「モダンタイムス」でもそうだった。そしてチャップリンは無垢であるがゆえに、気弱で無抵抗な弱者の存在に気づかずに残酷な振る舞いをすることもある。

ロイド・ベーコンとのシンメトリックな動きも、完全にシンクロしていないので、秀逸とはいえないが、そこがまた魅力的だ。チャップリンの動きを他の役者が完全に模倣することはできないということが確認できるからかもしれない。絶大な人気のチャップリンのそっくりさんとしては、ビリー・ウェストなど多くの偽チャップリンが出現し、それなりに好評であった。

 この作品で目立つのは女性の監視役のクローズアップである。「巴里の女性」(1923)のような編集技巧が効果的である。つけめがねをはずしたクローズアップはグロテスクであるが、権力の恐ろしさを表現している。権力を表現しようとしたチャップリンの始めてのカットかもしれない。チャップリンには脅威であった大男のエリック・キャンベルも、権力の前ではまったく無力なのである。

中風の老人がラッパを吹くのだが、彼はユダヤ人のようだ。この映画ではまだユダヤ人は冷笑される存在として登場する。チャップリンは翌年の「チャップリンの霊泉」(1917)からはユダヤ人やジプシーなどマイノリティーを笑いものにすることがないよう慎重に編集している(注3)。

チャップリン映画は1915年のエッサネイ社時代から鋭い人間観察に基づく社会風刺という意味合いを少しずつ持ち始めるのだが、この作品ではその傾向はあまりみられない。

 最後のシーンでは、チャップリンが気持ちのいいダンスをしてエリックを挑発し、思い切り殴られる。このシーンは同じテイクでも少しアングルが違うフィルムが流通している。つまり、別のカメラから撮影されたものである。チャップリンはこの時代から複数カメラを使用して作品を作っていたようである。どれが正統なフィルムなのかよくわからない。

 現在流通する多くのプリントでは、最後のエリックがチャップリンをリフトするカットは、上げる瞬間に右後ろの椅子の位置が変わるので、見ている側は違和感を覚える。カメラマンのトザローが言っているように、当時はスクリプター(記録係)もなかったのでこのようなことになったのだろう。本来のプリントではリフトする直前にスポークンタイトルが入るので、支障はなかった。支障がないようにするため、スポークンタイトルをいれたのかもしれない。リフトのためのワイヤーが一瞬だけ見えている。

 エリックの役柄は怪力の不死身人間で、石頭で引き出しを突き破り、ラストではエレベーターの床まで突き破る迫力をみせている。 

 

注1 デイビッド・ロビンソン著、宮本高晴・高田恵子訳『チャップリン上』(文藝春秋、1993年)217頁。

注2 内田精一「チャプリン全作品解説」(キネマ旬報編『世界の映画作家19チャールズ・チャップリン』キネマ旬報社、1973年)106頁

内田氏はこの作品を珍しく酷評している。「スピード欠如が致命的で盛り上がらず、興をそぎ、・・・」といった具合

注3 大野裕之著『チャップリン再入門』(NHK出版生活新書 2005年)、37頁。

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