おもちゃ映画ミュージアム
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Toy Film Museum

2019.08.28infomation

9月25日~11月10日、天才映画監督山中貞雄の生誕110年を記念して、特別資料展示とトークイベントを開催‼

もうすぐ、天才映画監督山中貞雄の命日9月17日がやってきます。遺作となった『人情紙風船』が封切られた1937年8月25日、山中の元に赤紙が来ます。伏見の聯隊に入り、雨の神戸の埠頭から、関西公演中の前進座の人々に見送られ、中国大陸に渡った彼は、1938年中国河南省で病に倒れ、再び帰ることはありませんでした。満28歳という若さでした。歴史に、よく「たら」「れば」はいけないといわれますが、もう少し長生きしていたら、どのような名作を生み出していたかと、運命の神様を恨めしく思います。

姪御さんが後に聞かれた話では「首まで泥水の中に一週間漬かってたらしいですよ。それで、腸チフスになった。で、お薬はないし、お医者さんは少ないし、もうお腹下る一方で、しまいに下るもんが無くなって血が出てたそうで。看護婦さんもろくすっぽいないし、悲惨な死に方やったらしい」(『沙堂やん 夭逝した天才監督 山中貞雄物語』より)。

山中がノートに綴った『従軍記』の1938年4月18日付けに「遺書」が書いてあって、

○陸軍歩兵伍長としてはこれ男子の本懐、申し置く事ナシ。

○日本映画監督協会の一員として一言。

「人情紙風船」が山中貞雄の遺作ではチトサビシイ。負け惜しみに非ず。

○最後に、先輩友人諸氏に一言 よい映画をこさえてください。

と書き遺していたことは、よく知られていますが、本人の無念さを思うと辛くなります。

京都市上京区にある山中家の菩提寺、大雄寺に建立されている「山中貞雄之碑」の一部です。この碑についてはこちらで書きました。親交があった小津安二郎監督の筆跡です。

天才監督と呼ばれ、その作品は多くの人々を魅了し、影響を与えました。命日が過ぎた9月25日から生誕110年の節目を迎える11月7日(甥の加藤泰が確認した除籍謄本では8日)を含む11月10日まで、劇団前進座、日本映画史研究家・本地陽彦先生のご協力で、それぞれがご所蔵の貴重な資料もお借りして特別展示をします。

5年半の監督生活で山中が作った作品は二十数本ですが、まとまった形で現存しているのは『丹下左膳余話 百万両の壺』(1935〈昭和10〉年)、『河内山宗俊』(1936年)、『人情紙風船』(1937年)の3作品だけ。連れ合いが2009年に発見したサイレント期の作品『鼠小僧次郎吉 道中の巻』(1933年)はわずか数十秒のものですが、それでも「山中貞雄監督幻のフィルム断片発見」と大きく報道されました。

当時フィルムは輸入に頼っていて高価でしたし、戦争と同時に入手が困難になり、国策映画が優先されてフィルムが再利用されたこともあるので、残っていないのでしょう。全く惜しいことです。

京都市内で生まれた山中は、子どもの頃から活キチ、映画バカでした。13歳で入学した京都一商の1年先輩に日本映画の父・牧野省三の長男マキノ正博(雅弘)がいました。卒業と同時に彼を頼って1927年、京都にあったマキノ撮影所に入ります。台本部からスタートした山中は、18歳の時に時代劇スター嵐寛寿郎が設立した寛プロに脚本家兼助監督で移籍し、19歳の時に書いた『鬼神の血煙』で脚本家デビュー。嵐寛についていった東亜キネマでは猛然とシナリオを書き、次々映画化。そしてついに、1932年彼の才能を評価した嵐寛によって監督に抜擢され、22歳の時に監督第1作『磯の源太 抱寝の長脇差』が公開されました。

ジャーナリストの岸 松雄は、たまたまこの作品を見てびっくり仰天し、『キネマ旬報』誌上で「われわれは此の映画によって、山中貞雄という傑れたる監督をば新しく発見し得た」と断言。岸の手引きで知己となった小津や清水宏らとの交流は、彼自身を豊かにさせ、「自分が愛して止まないのは、ヒーローなどではなく、どこにでもいるただの平凡な人たちなのだ」との思いの確認に繋がります。

さて、期間中に2度トークイベントを開催します。

1回目は9月28日13時半から、劇団前進座の看板俳優・藤川矢之輔さんをお招きして「前進座と山中貞雄を語る」をします。

そもそもは、昨年12月21日、藤川さんをお招きして『男はつらいよ 私の寅さん』上映とトークイベントをしたことから始まります。その時、山中貞雄の作品に多くの座員が出演している話も出ました。丁度この碑文拓本どりのことが頭にありましたので、「是非続編を」とお願いして、藤川さんから快諾を得ました。ネットで検索すると「雑録-前進座に就いて-」(『山中貞雄作品集 前一巻』所収、実業之日本社)という山中貞雄の文章を読むことができます。先ほどの『従軍記』のノートに書かれた遺書に「○(保険金が)万一余りましたら、(日本映画監督)協会と前進座で分けてください。」の一文もあります。

1935(昭和10)年26歳の時の作品『街の入墨者』は日活と前進座合同作品で、これを機に山中と前進座座員との深い信頼関係が生まれたようです。9月28日、藤川さんからどのようなお話しをお聞きできるか、今からとても楽しみにしています。

これまでも、前進座さんとは、2015年7月25日「夏休み!こどもくまどり体験」や

2015年11月3日に開催した朗読劇「或る『小倉日記』伝」も大好評で開催することができました。前進座の皆様、とりわけ京都事務所の中川富美子さんに大いに助けていただきました。心から感謝しています‼

そして第2回目は、11月10日(日)13時半から、連れ合いが「映画史における山中貞雄」と題して話します。いずれの回も関連上映しながらのトークです。一般1000円、正会員・学生800円(入館料込)で、終了後に懇親会(500円)もございます。定員30名(予約優先)。山中貞雄生誕110年を祝いながら、楽しい時間を過ごしましょう。お申し込みをお待ちしております。

なお、勝手ながら、月、火曜と9月14~15日、10月25~27日は休館となります。ご了承くださいませ。

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