おもちゃ映画ミュージアム
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Toy Film Museum

2021.06.15infomation

ミュージアム小冊子5「“参加する”映画『祇園祭』の記録」ができました‼

かねてからご案内していましたミュージアム小冊子5「“参加する”映画『祇園祭』の記録」が、このほど完成しました‼ 編集・解説を担当して下さった京樂真帆子・滋賀県立大学教授の熱意あればこそ編むことができた資料集です。

日本史研究しかも平安時代貴族社会の研究者である京樂先生が、この映画の研究にのめり込まれたのは、京都大学人文科学研究所(全国共同利用・共同研究拠点)「オーラル・ヒストリー・アーカイヴスによる戦後日本映画の再構築」研究会の高木博志同研究所長(当時)から声をかけられたからだと聞きました。京樂先生が書かれた溝口健二監督『山椒大夫』についての論考だったそうです。小冊子の著者紹介で主な論文の一つに「時代劇映画と歴史学研究の邂逅ー溝口健二と林屋辰三郎ー」(『人間文化』第26号、2010年)を挙げておられますが、それより先に書かれた「映画と歴史学-『山椒大夫』から『もののけ姫』へ」(『史風』第4号、1999年)をネットで読みました。

その論文冒頭「はじめに」で、日本史研究の成果が活用された映画として、山内鉄也監督映画『祇園祭』と、もう一作品溝口健二監督『山椒大夫』をあげておられます。この頃から既に映画『祇園祭』に関心を持っておられたことが分かります。その後は、「映画『祇園祭』と歴史学研究ー『祇園会じゃない祇園祭』の創出」(『人文學報』第115号所収、2020年、京都大学人文科学研究所)、「制作者日誌からみる映画『祇園祭』ー歴史学的分析の試み」(谷川建司編『映画産業史の転換点ー経営・継承・メディア戦略』所収、2020年7月、森話社)、「映画『祇園祭』の“史料”を求めて」(『アリーナ』第23号所収、2020年12月、中央大学)、「“参加する”映画『祇園祭』とその時代ー映画製作上映協力会メンバーに聞くー」(『新しい歴史学のために』297号所収、2021年2月、京都民科歴史部会、高木博志先生と共同執筆)、資料紹介・解説として「伊藤大輔『映画「祇園祭」-物語の輪郭-』(『人文學報』第116号所収、2021年、京都大学人文科学研究所)と立て続けに発表されていて、私どもが今回発行する小冊子もその延長線上にあります。

この小冊子は、これまでの研究対象から漏れていたこの映画の製作だけでなく、上映をも支えた京都府・市民からなる「製作上映協力会」に焦点を当てたものです。協力会事務局長だった堀昭三さん、同職員として堀さんの活動を支えた田中弘さん、新人府職員としての余暇に演劇への関心から協力会事務所に出入りして様々にお手伝いされていた岡田佳美さんが保存されていた資料類を掲載しました。それらを歴史学者の視点で分かりやすく解説されたのが、今回の小冊子「”参加する”映画「祇園祭」の記録」です。

その内容の一例として、製作上映協力会規約や発起人会趣意書、議事録、日誌、経理諸表、上映協力券や特別試写会パンフレットなど。山本薩夫監督からのメッセージもありました。この映画が作られた1968年、山本薩夫監督も『ドレイ工場』の映画化のために尽力されていて、「『祇園祭が京都市民の力によって映画化されるというニュースを聞いて、私は大変勇気づけられております。これが実現すれば、昨年上映された『アルジェ―の争い(ママ)』に匹敵するものになると思います。また、私達映画労働者の念願であります(略)」と書かれています。山本監督のご息女は直筆原稿に驚かれ、「大変貴重です」と仰ってくださいました。

雑事に追われ紹介するタイミングを逸していましたが、6月3日付け京都新聞にこの小冊子について大きく掲載していただきました。関心を寄せて下さる方からの問い合わせも相次いでいます。今は、この記事最後の段落にありますように、当時エキストラとして映画に参加した思い出がある方たちから聞き取りを進めています。現段階では、山下京都府副知事のエキストラ出演の思い出、囃子方として参加した菊水鉾関係者や放下鉾関係者のお話を聞いています。

二十歳で放下鉾囃子方として出演した冨田さん(73歳、向かって右)は、映画公開時「ワンカットだけだから余り映っていない」と聞いていたので見に行かず、一昨年、初めて京都府文化博物館でご覧になったそうです。でも一瞬のこと。インタビューをした6月10日はコマ送りで映像を観ていただき、はっきりご自分が映っているのを確認されて、「良い思い出になった」と喜んでくださいました。

もうお一人、梅原さん(中央)は29歳の時のことで、自営業を休んで、「円町の西の方へ3~4日は行った。嵐電太秦常盤の踏切を越えたところで撮影した」「馬に乗っている錦之助さんを見た」と思い出を聞かせてくださいました。錦之助さんは撮影の合間だったのかもしれません。梅原さんも若い頃のご自分の姿をスクリーンでコマ送りで確認できて、とても喜んでくださいました。

お二人とも「わけもわからないままに囃子方の上の方から『(予定を)開けとけよ』といわれた」そうで、個人的にではなく保存会の方に出演依頼があったのだろう」と話しておられました。保存会に、この映画撮影協力について何か資料が残っていると良いのですが。冨田さんの同級生で祇園祭山鉾連合会理事長の木村さん(長刀鉾)によれば、映画用に新造した長刀鉾に乗ったお稚児さんは役者だったそうです。この長刀鉾は、菊水鉾をモデルに大映の美術さんらが作ったと菊水鉾の川塚さんからお聞きしました。

もうお一方、梅原さんの左隣の堀さん(当時小学4年生)のお父さんも囃子方として参加され、その様子を見ようとお母様(左手前)が撮影場所を見に行かれましたが、近付くことはできず、遠くから眺めただけだったそうです。

きら星のごとく輝く大スターが大勢出演されて注目された映画だけに、遠巻きに見学した人びとも大勢おられたことでしょう。写真は西山(嵐山)を東山に見立て、巡行する山鉾。

そのオープンセットが組まれた当初の様子。正面に見えるのが八坂神社。まだ完成していない新丸太町通です。ここに鉾を立てるのに竹田工務店の技が光ったと川塚さんからお聞きしました。

7月の展示は前述の菊水鉾川塚さんや、放下鉾の堀さんにもご協力いただいて、「映画『祇園祭』資料展」を開催します。詳細は改めてご案内します。

1968年当時の蜷川虎三京都府知事が、府政百年記念事業に位置付けて製作に協力した映画『祇園祭』は、大ヒットし、海外でも上映されました。ご覧になった記憶を今もお持ちの方もおられるでしょう。そうした話もお聞きしたいですし、今も見つかっていない「協力会ニュース」№3、6、7、8号がどこかに眠っていやしないかと、その連絡を心待ちしています。お心当たりの方がおられましたら、ぜひご一報ください‼

 

 

 

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