おもちゃ映画ミュージアム
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Toy Film Museum

2021.10.24infomation

急遽決定、10月30日に講演と4K修復版BD『大魔神怒る』上映をします‼

11月28日まで開催中の「大映京都の特撮技術『画合成』原画展」にあわせて、来る10月30日(土)13:30から、講演と上映会をすることになりました。9月24日に4Kで修復されたBlue-ray「大魔神封印函」が発売されたばかりですが、それを担当された(株)KADOKAWAの五影雅和さんに登壇していただきます。「『大魔神』はじめ大映映画作品を後世に伝えていくために」という題でお話をしていただき、さらに新発売のBlue-ray版の中から『大魔神怒る』を参考上映します‼

急遽決定したので、どこまで広報できるのか心配ですが、先着25名に設定しています。ご都合良ければ、ぜひご参加下さいませ。大映京都の映画ファンの方だけでなく、特撮マニア、大魔神ファンの方々に集まって頂き、賑やかな交流の場になれば良いなぁと願っています。

因みに、チラシに使った「大魔神像」は、第2回京都映画祭(1999年)大映特集の折に原寸大で制作し、京都駅ビルに設置、「映画音楽の夕べ」前夜祭を開催した時のものです。この像は、今、太秦大映通りに設置されています。

京都市右京区太秦多藪町、太秦中学校正門(元は大映京都本部の玄関でした)の北が『大魔神』などが撮影されたA2や第3スタジオがあった場所です。今はマンションが建っていて、その前に「大映京都撮影所跡地」と刻まれた石碑があります。

元々は1927(昭和2)年日活大将軍から移転し、日活太秦撮影所として建てられたものですが、1942(昭和17)年1月、戦時(統合)統制により、日活製作部門、新興キネマ、大都映画の3社が合併して大日本映画製作(株)が誕生。4月に、この撮影所も大日本映画(大映)京都撮影所と改称されます。因みに、今の東映京都撮影所も、阪妻が開いた撮影所ですが、新興キネマ撮影所、大映第2撮影所と呼ばれていた時期もありました。

戦後、大映株式会社と改称され、この大映京都の撮影所で『羅生門』(1950年、黒澤明監督)、『雨月物語』(1953年、溝口健二監督)、『山椒大夫』(1954年、溝口健二監督)など世界的に評価された名作が数多く誕生しました。しかしながら、テレビの普及もあり、映画産業は深刻な斜陽に陥ります。面影町のオープンセットは住宅地に、多藪町の事務所などがあった本部建物などの敷地は、太秦中学校敷地として売却され、その巨大な撮影所を誇った敷地も一部(最も大きかったA2ステージ、『大魔神』のブルーバック用に作られた第3ステージ半分)を残し、1971(昭和46)年に倒産します。

3年後に徳間書店傘下になることで再建され(株)大映映画京都撮影所となりました。連れ合いが撮影所に出入りしていたころは、A2スタジオの内部、大きな扉の横に、大魔神像が設置され、その像を見ながら撮影していたそうです。しかし、そのスタジオも、1986(昭和61)年4月に、完全に閉鎖され、土地はすべて売却。大魔神像も大阪府門真市にあるフィギアの会社に売却されました。

その後、大映映画は、2002(平成14)年に徳間書店から角川書店に売却され、現在は(株)KADOKAWAが、旧大映全映画の配給権、ビデオ制作権、一部残った東京撮影所はフィルム倉庫など貸スタジオとして保有しています。因みに、現在は大映映画の原版フィルムは、国立映画アーカイブに保管されています。

『大魔神』三部作が作られた1966年には、東京撮影所でも『大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン』が作られ、東西の大映撮影所で作られた特撮映画がスクリーン上映されました。子どもを中心にした新たな観客層は、末期に向かう大映を救う数少ない柱のひとつでした。

先日来館いただいたお客様のご厚意で、当時の雑誌を3冊お借りして展示しています。そのうちの1冊、月刊『大映グラフ』№33(1966年4月1日、大映(株)宣伝部発行)の表紙は、まさに「大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン 大魔神」の文字が躍ります。

今日お越しのお客様が指差しておられるのは、お借りした雑誌の2冊目週刊『少年サンデー』(1966年12月11日号、第8巻第50号、通巻第408号、小学館)の「大魔神特撮のひみつ」に載っている“嵐をおこす大せんぷう機”の項目。そこには「まるで、ほんもののような、こう水、嵐の撮影には、写真のような、大せんぷう機と水ながしタンクを使う。大せんぷう機は、家庭用せんぷう機の100倍のつよさ。水ながしタンクは、トラック4台分の水をながせる。」と書いてあります(漢字にはルビがふられています)。

この撮影が行われたのは、かつて太秦面影町の撮影所北側にあったオープン・セットのプールでのこと。男性は今その跡地にお住まいなので、この雑誌に掲載されている写真をご覧になって、ビックリされていました。

お借りした雑誌の3冊目は週刊『少年キング』(1966年11月27日号、第47号、少年画報社)。表紙にはもちろん大魔神を配し、この号のワイド特集は「大あばれ大魔神のひみつ」です。「正義・友情に味方して、巨大な魔神が悪をけちらす、異色特撮映画『大魔神』が大人気だ。そこで、こん週は怪獣とはちがう、正義の味方・大魔神のひみつをさぐってみた。」と書かれていて、少年たちの気を惹きます。お借りした3冊の資料は『大魔神』に関するページを複写してご覧になれるように展示していますので、上映された当時の受け止め方を追体験なさってください。

写真の男性は「よく残っていたなぁ。こういうものが存在することも知らなかった。ヒロインの高田美和さん可愛いな💖」と仰りながら、雑誌に載っていた記事を興味深くご覧になっていました。第1作『大魔神』のヒロイン花房小笹役が高田美和さんで、第2作『大魔神怒る』のヒロイン小百合役は藤村志保さんでした。

それから、先日ブログで紹介した野中さんから連絡があり、「『釈迦』には、渡辺善夫さんの名前がクレジットされていた」そうです。当館には映像がないので確認できないのが残念です。…

『大魔神』の画合成も、渡辺善夫さんのもので、崖とか山肌などの緻密な画が得意だったようで、大魔神のマット画はほとんど渡辺さんの作だと分かりました。

大映京都の特撮技術としての「画合成」、マット画は、通常の時代劇映画にも使用され、写実的な背景や夜景撮影などで合成されました。それが特撮とは気付かず、見逃した方も多いと思われますが、やはり『大魔神』となると、ブルーバック合成など、特撮ファンには、特別の思いがあるようです。

皆さん、いろいろ教えて下さってありがとうございます!!!!!

 

 

 

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