「京都ニュース」No.52 京都1961年第1集
この「京都1961年、第1集」は、立命館大学アートリサーチセンターに所蔵された16mmフィルムから、当館(おもちゃ映画ミュージアム)がデジタル化したものです。


| 目次 | 総時間 | |
| 京都・パリ 芸術の交歓 | 20世紀フランス美術展 | 02:21 |
| 京都陶芸展 | 01:49 | |
| 小児まひ対策に本腰 | 01:38 | |
| 連続5年火災減少 感謝のつどい | 01:47 | |
| 50年目の大遠忌 | 02:28 | |
| 引退する北野線 | 04:47 | |


「京都1961年 京都-パリ 芸術の交歓 京都市広報課」日本とヨーロッパの2つの文化都市、京都とパリが、その長い歴史を持つ美術で文化交流と親善を図ろうと、1月3日から京都美術館で、20世紀フランス美術展が開かれました。

これは、世界に先駆けて開かれた大規模なもので、現代フランス画壇の巨匠・マチス、ピカソ、ルオーなどの絵画を始め、豪華なタピスリー、ステンドグラス、陶器など、300点以上が出品され、現代フランス美術の粋を集めた総合美術展です。

特に、その華麗なタピスリーは人目を惹きましたが、これはその1つ。簡潔な色彩の中に限りない雄大さを持った、ル・コルビュジエの「雀と女」です。同じくタピスリー、「黄色い門」。木や草、虫などが巧みな描写で描き込まれた、リュルサの作品です。マチスの「リュートを持つ女」。マチスは、タピスリーの世界にも芸術家の本領を発揮しています。これは、絵画のように、数多くの色彩を使うことなく、こうした見事な作品を生み出していることが注目されます。

中世期の西洋建築とともに発達したステンドグラスは、巨匠たちの手によって、ますます光の芸術としてその真価を表しました。これは、ルオーの「裁きを受けるキリスト」です。こうして数々の名作を集めたこの美術展は、およそ1か月にわたって連日賑わいました。

京都市とパリを芸術で結ぶもう1つの催し、京都・パリ交歓陶芸展は、5月、この2つの都市で同時に開かれますが、京都からパリに送られる京都の陶芸家の作品は、2月3日から5日間、京都市美術館で公開されました。

21人の代表作家が、腕によりをかけた作品およそ60点のうち、八木一夫氏の「土偶」。叶光夫氏の「印文盒」。三彩で彩った「流泑壺」。清水六兵衛氏の作品です。雲錦花筏のデザインも美しい、永楽善五郎氏の「手桶水指」。金銀で彩色した富本憲吉氏の作品、「大陶板」。

こうした数々の代表作がパリに送られ、またパリからは伝統あるテーブル焼きとフランス現代作家の作品が、はるばる海を渡って、京都にお目見えするわけです。


京都1961年 小児まひ対策に本腰 京都市広報課」京都市衛生局では、2月の初めから、市内の各保健所で、小児まひの予防接種を始めました。小児まひにかかる子どもは段々減ってはいますが、それでも去年は28人の患者が出ました。今度の予防接種の対象は、昭和34年7月1日から35年6月30日までに生まれた赤ちゃんで、届け出によって予防接種を行いました。小児まひは、お母さんたちの悩みの種で、かわいいわが子を丈夫に育てようと、保健所には赤ちゃんを連れたお母さんが列を作っています。ひと頃はワクチンの足りないのが悩みでしたが、厚生省から1万5000人分が届いて、どうやらほっと一息。よく太った赤ちゃんたちが、ちょっと痛いので泣き出しますが、お母さんたちは、やっとこれで一安心といった表情でした。


「京都1961年 連続5年火災減少感謝のつどい 京都市広報課」火災減少感謝のつどいが、3月6日、京都会館第1ホールで開かれました。まず、開幕を飾る消防音楽隊の演奏です。火災のない街を目指して努力を続けている京都市は、去る昭和31年から5年間、連続して火災が減るという大記録を打ち立て、記録達成に協力した市民の人たちに感謝をささげて、この集いが開かれたわけです。音楽隊の演奏を終わって、去年1年間、1つも火災のなかった43の地域をはじめ、火災の減った地域、火災予防に一役買った人たちや自衛消防団などの表彰が行われました。市長、消防局長から表彰状、感謝状や賞品が贈られ、日ごろの労に感謝しました。表彰のあと、島消防局長からお礼の言葉が述べられ、今年もみんなで協力して京都の街から火災をなくしましょうと呼びかけ、終わりに、数々のアトラクションがあって、盛況のうちに幕を閉じました。


「京都1961年 50年目の大遠忌 京都市広報課」日本の隅々から、そしてさらに、遠く海外からも、続々詰めかける善男善女。50年に1度の大遠忌を参拝するのが一生の願いという人たちが、東から、西から、京都を目指して馳せ参じてきます。知恩院の法然上人750年御遠忌をトップに、次いで、東西両本願寺の親鸞聖人700回大遠忌など、3月4月の2か月にわたって入洛する参拝者は、300万人から400万人と予想され、京都はこれの受け入れ態勢に大わらわです。

グループの平均年齢が64、5歳とあって、引率する団長さんの苦心もひとしお。参拝客を運ぶ観光バスも、延べ1万5000台ということです。お寺の前の吹き流しが、遠忌気分を盛り上げます。次から次へと参拝する団体客のため、有線テレビも据え付けられ、本堂の法要に参列できない人たちに見せようという科学的布陣で、テレビに映った導師の姿に合掌する風景も見られました。京都市が組んだ遠忌関係の特別予算は、2163万円。1台50万円という移動式インスタント便所8台も準備されました。仏教の熱が京都の春を彩る、大法要絵巻の1コマでした。


「京都1961年 引退する北野線 京都市広報課」日本で一番古い電車として、観光京都の名物の1つになっている市電北野線。お目見えしたのが66年前の明治28年。車両はその当時から一部改造されただけで、車体は小型の木造。レールも狭く、ほとんど昔そのままの姿で走っています。これが、初めてその姿を現した当時のものです。最初は京都電気鉄道会社の手で、堀川下立売と堀川中立売間を単線で走っていました。それが複線になり、現在のように京都駅まで延びたのは明治45年。これを京都市が買い取って、市電の仲間入りをしたのが大正7年6月でした。この3本レールの上を走る懐かしい北野線が、廃止されることになりました。ご覧のように、この電車は、ほかの市電に比べて定員はおよそ半分。そのため、毎年(音途切れ)悩んでいます。おまけに、旧式なハンドブレーキや、昇降口がオープンデッキになっているので、最近の交通事情に沿わず、いよいよ廃止に踏み切ったわけです。現在、この電車は28台ありますが、小型なので特別に修理工場などを持つ必要があり、維持費や人件費も割高という悪い条件で、35年度の赤字は3800万円ということです。北野線は7月いっぱいで運転をやめますが、8月1日からは、これに代わってバスを運転する計画で準備を進めています。バスになると、北野と京都駅の間でおよそ10分ぐらい所要時間が短くなる見込みです。懐かしいチンチン電車は、こうして一応姿を消すことになりますが、京都市では、日本最古の電車として長く保存する方法もいろいろ考えています。



