おもちゃ映画ミュージアム
おもちゃ映画ミュージアム
Toy Film Museum

2017.02.14infomation

ベルリン在住、山下秋子さんからレポートが届きました

ドイツから届いたばかりのレポートを紹介します。差出人は、京都ドイツ文化センターで、プログラム部門担当後、2009年よりベルリンにお住いの山下秋子さん。昨年5月にご来館以降、私も親しくさせていただき、その時の出会いをこちらで綴りました。その山下さんから1月29日、Facebookで「サイレント映画の修復のパイオニアであるエンノ・パタラス氏が長く館長を務めていたミュンヘン映画博物館で、ムルナウ特集をやっていて、ブーフヴァルトさんの生演奏を久しぶりに聞きました」とメッセージが届きました。映画について余り詳しくない私は、「修復のパイオニアであるエンノ・パタラス氏」のことを初めて知り、同様にまだご存知でない方のためにも知っていただく良い機会になるのではないかと考えて、レポートをお願いしました。第67回ベルリン国際映画祭は2月9~19日の日程で開催中。その映画祭と重なるように、通訳としてミュンヘンの劇場で活躍という多忙の中、レポート執筆を快諾していただきました山下さんには、深く御礼申し上げます。

それでは、どうぞ‼

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ベルリン映画祭が始まる前、例年なら同映画祭のフォーラム部門やパノラマ部門の記者向け試写会に足を運んでいるが、今年はミュンヘンの劇場で日本人作家・演出家の新作制作の通訳として働いているため、ベルリン映画祭は諦めざるを得なくなった。

ミュンヘンの劇場での仕事は月曜日から土曜日の朝10時から17時まで行われるので、あまり自由時間はないが、できるだけミュンヘンの街中を歩くように努めている。ミュンヘンの人口は145万、京都市の147万とほぼ同じである。ドイツで最も豊かな都市の一つであり、観光名所を数多く抱えるバイエルン州の州都でもあるミュンヘンは、世界から多くの観光客を集めている。中央駅から少し東に歩くと、カールスプラッツ(通称シュタフス、プラッツは広場の意)があり、そこからマリーエンプラッツまでの道は歩行者天国になっている。多くの店が軒を連ね、人混みが絶えない。マリーエンプラッツを見下ろすように立っている新市庁舎の時計塔にある仕掛け時計は、11時と12時に動き、ミュンヘンの歴史の一コマを見せてくれる。この時間帯には、多くの人々が集まり、時計塔を見上げている。

時計塔から南に伸びる道の両側にも多くの店舗が立ち並んでいるが、突然それまでとは全く違った不思議な空間が立ち現れる。この不思議な空間の一角にミュンヘン映画博物館がある。映画博物館はミュンヘン市博物館の一つである。広大な敷地は航空写真を見ないとわからないと言われているこの博物館の収集は、ミュンヘンをテーマにした版画から始まった。戦後、当時の博物館にしては珍しく映画と写真の収集が始められ、また他の場所では注目されなかった家具や日用品や衣類なども集められた。既存の楽器と人形の収集も市博物館にまとめられ、現在では地方自治体による博物館としては、ドイツ最大のコレクションを誇っている。

ミュンヘン映画博物館は映画の収集と上映活動を中心にしている。現在、6000本を超える収集を誇る同映画博物館には、映画史上の古典作品と言える作品が収蔵され、ドイツとロシアの無声映画を筆頭に、初期のトーキー、ミュンヘンにゆかりのある映画監督(ヘルベルト・アハタンブッシュ、ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー、ヴィム・ヴェンダースなど)の作品などが集められている。この映画博物館がその特異性を発揮したのは、エンノ・パタラス氏が館長を務めた1973年から1994年までの時期であった。彼の業績は、テーマに即した映画の収集、無声映画の修復・復元、無声映画の伴奏付上映の普及であった。とくに無声映画の修復・復元については、パタラス氏はパイオニア的存在であり、現在の映画修復・復元の基礎を築いたと言われている。『メトロポリス』『M』『ニーベルンゲン』をはじめとする無声映画の修復・復元は、世界でも多くの注目を集めた。また上映形式として、それまでサイレントのまま上映されていた無声映画に音楽伴奏を付けるという形式を定着させたのもパタラス氏である。

1月上旬から2月中旬にかけて、ミュンヘン映画博物館ではムルナウ監督特集が開催されている。1月27日から29日までは、『吸血鬼ノスフェラトゥ』『ファントム』『大公の財政』の3本が上映され、ピアノ伴奏はギュンター・ブーフヴァルト氏だった。同氏は無声映画の伴奏者として世界的に活躍しているが、京都との関係は深い。ブーフヴァルトさんを京都に招待したとき、彼のほうからゲオルグ・ヴィルヘルム・パプストの『心の不思議』と衣笠貞之助の『狂った一頁』の両作品を伴奏したいと言ってきた。京都府文化博物館で行われたこの上映会が彼の京都における最初の出演で、1992年のことだったと記憶している。ピアニストしかいないはずなのに、いつの間にかバイオリンのかすかな音が聞こえ、繊細なテーマを見事に表していたのが鮮明に印象に残っている。

それから数年後、1929年帝国キネマ製作の映画で、日本で大ヒットをしたもののその後消失したとされていた幻の映画『何が彼女をそうさせたか』が、モスクワ郊外にある映画アーカイブ「ゴス・フィルモフォンド」で発見された。モスクワで発見された作品には欠損箇所が多く、また幕間字幕はロシア語となっていた。欠損部分を補い、字幕を日本語にするという復元の企画が持ち上がった。復元に当たってオーケストラ演奏を付けるというアイディアが出され、京都でのブーフヴァルトさんの演奏を聞いていた人たちから彼を作曲家として推す声が上がった。紆余曲折を経て、1997年2月、京都映画祭のプレイベントとして『何が彼女をそうさせたか』復元版のオーケストラ演奏付上映が行われた。上映当日には、ブーフヴァルトさん本人がオーケストラ演奏を指揮した。この作品の復元や音楽については、以下のリンクに詳細が記されている。

ベルリンでもブーフヴァルトさんの演奏を聞く機会は、ベルリン映画祭をはじめ、ドイツ歴史博物館でのサイレント映画特集など今までにも何度かあったが、今回はドイツにおける映画復元・修復発祥の地ともいうべきミュンヘン映画博物館でのブーフヴァルトさんの演奏となれば、行かないわけにはいかない。彼が伴奏する3作品のうち『吸血鬼ノスフェラトゥ』しか見られなかった。座席数165の映像ホールは同博物館の地下に設けられ、緩やかな傾斜を持っている。前に座る人の頭が視界を遮ることのないように配慮されている。映画開始15分前に会場に入ったが、すでにほぼ満席。前から3列目の席に座った。首が痛くなるかと思ったがシートの角度がよかったのか、見上げるという感じはしなかったし、演奏者と比較的近い席だったのもよかった。

上映前に作品についての短い解説が行われた。「今回の『吸血鬼ノスフェラトウ』は2005年から2006年にかけて、ムルナウ財団とムルナウ研究の専門家ルチアーノ・ベリアトゥアの協力による復元版である。この映画の復元を最初に行ったのはエンノ・パタラス氏だった。しかし彼の復元版は白黒で、吸血鬼が明るい昼間に出てくる不思議さが問題とされた。今回の上映は、それ以後発見された彩色版コピーをもとに着色され、デジタル化された復元版である」という解説であった。実際、ノスフェラトゥが出てくるときの画面は薄気味悪い雰囲気を醸し出していた。その薄気味悪さを倍増させるブーフヴァルトさんの演奏は、それぞれの登場人物に音楽的テーマを与え、音楽によって会話を成立させ、流れるような音楽で風景や情景を描写する。映像がなくても、音楽を聞いているだけで映画が見えてくるような演奏とでも言えるだろうか。

ブーフヴァルトさんは、「サイレント映画は決してサイレントで上映されることはなかった」という。1980年代からヨーロッパでは無声映画に生演奏をつけて上映するというスタイルが確立した。エンノ・パタラス氏が自ら復元した『メトロポリス』を持って来日し、京都でも同氏の解説付で上映された(音楽演奏なし)。その後2001年に当時では“最新”とされた復元版が完成したその年、京都駅の大階段でブーフヴァルトさん率いるサイレントムーヴィーミュージックカンパニーによる演奏付で、この復元版が上演された。これらのことを思い出しながら、無声映画を生演奏で見る醍醐味を堪能したミュンヘンの一夜であった。

 

http://www.osaka-geidai.ac.jp/geidai/laboratory/kiyou/pdf/kiyou23/kiyou23_14.pdf

http://www.osaka-geidai.ac.jp/geidai/laboratory/kiyou/pdf/kiyou24/kiyou24_11.pdf

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レポートを読みながら、2016年1月にブーフヴァルトさんから届いたDVD『吸血鬼ノスフェラトゥ』のことを思い出しました。彼の送ってくれた思いがストンと伝わった瞬間ともなりました。エンノ・パタラス氏へ心から敬意を表するとともに、改めて山下さん、ヴ―フヴァルトさんに感謝申し上げます。

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