おもちゃ映画ミュージアム
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Toy Film Museum

2017.07.05infomation

活動写真弁士・片岡一郎さんから「第4回SILENT FILM FESTIVAL IN THAILAND」のレポートが届きました

国内外で大活躍の活動写真弁士(以下「活弁士」と略)の片岡一郎さんから、第4回タイ無声映画祭のレポートが届きました。映画祭そのものは6月8~14日迄繰り広げられ、片岡さんとピアノ演奏の上屋安由美さんは、そのうちの11~13日に出演されました。

先日、同映画祭のプログラムを送っていただきましたので、ダメもとでレポートをお願いしましたところ、ご多忙にも関わらず、快く引き受けてくださいました。早速、どうぞ‼

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 タイフィルムアーカイブのサンチャイさんからメールが届いたのは今年1月の事でした。6月に行われるタイ無声映画祭に弁士として来てほしいとの依頼。以前からタイには並々ならぬ関心を持っていたので、是も否もなく行くことに致しました。

 おもちゃ映画ミュージアムさんのブログをご覧になる方々でしたら改めて申すまでもない事でしょうが、タイと日本の映画史は非常に強いつながりがあります。なにしろタイで初めて映画館を建てたのはワタナベという日本人で1905年の出来事でした。ある時期までタイでは映画の事を「ナン・イープン」と呼んでおり、これは直訳すると「日本の皮」つまりスクリーンに映した日本の映画の事なのです。ですからタイではハリウッド映画を見に行く時も「ナン・イープン(日本映画)を見に行こうよ」と言っていたのです。 

 加えて弁士の文化もタイには持ち込まれ、さらに戦後の不況時代にお金のかかる35㎜トーキー映画の制作は中断され、16㎜サイレント映画が数多く生産されたのですから、日本映画とタイ映画はいとこの様なものと言って差し支えないでしょう。

 タイ無声映画祭に参加するに当たり第一の問題は何を上映するかでした。会場がバンコク市内の映画館である為に35㎜映写機の設備が無く、上映出来るのはDCPかBlu-rayのみ。残念ながらフィルムセンター所蔵作品の大半はデジタル化されておらず上映不可。しかし弁士として無声映画祭に参加する以上、日本の作品はなんとしてもやりたい。

 何か良い作品はないものか、頭を悩ましていた時に天啓よろしく閃いたのが、おもちゃ映画ミュージアム所蔵作品の1926年版『忠臣蔵』だったのです。昨年の東京国際映画祭でも歌舞伎座で1000人の観客を唸らせた『忠臣蔵』であれば内容に不足なし、映画史的価値に不足なし、話題性にも不足なし、まさに満点の作品でした。

 最終的に『忠臣蔵』に私の発見した『ペギイのお手柄(Our Pet)』(1924年・米)を加えて1プログラム、それとは別に『ロイドの人気者(The Freshman)』(125年・米)を1プログラムとしての計2プログラムを2回ずつ、4日間で4ステージを受け持つことになったのでした。

 音楽はおもちゃ映画ミュージアムで『何が彼女をそうさせたか』を担当し、歌舞伎座でも素晴らしい演奏をしてくれた上屋安由美さんと決まりました。盤石の体制です。

 タイに着いてから知ったのですがサンチャイさんはポルデノーネで私が弁士をやっているのを見て、これはタイに呼びたいと思い、それから3年間かけて予算等の仕度をし、今回の参加が実現したそうなのです。

 日本人を海外の芸術イベントに招聘する為に使われる機関に国際交流基金があります。今回もその例にもれず国際交流基金の御支援を受けておりましたが、公的・民間を問わず日本の組織は予算編成を年度に強く縛られる傾向があります。結果として4~6月のイベントは年度明け直後の為、予算申請から実行までの時間が極端に短くなり、事務手続き上に様々な無理が生じます。その点、欧州の芸術助成は年度等に縛られる事なく申請、支給が可能なものも多く、結果としてスピーディーな国際交流事業展開が可能となります。クールジャパン戦略を押し出し文化輸出を積極的に行うのであれば、日本も年度に縛られない文化助成を早急に実現して頂きたいものです。何しろ芸術は年度で動いている訳ではないのですから……と、これは余談でした。

 タイにはちょっと面白い法律があります。映画が始まる前には必ず王室賛歌が流され、観客は外国人であっても起立して聞かねばなりません。通常の映画でしたら王室の権威を示す映像と共に録音された王室賛歌が流れるのですが、そこは無声映画祭、全ての上映に音楽家が付くとなれば当然その日の音楽家が王室賛歌も演奏する事になります。

 今回も上屋は勿論のこと、無声映画伴奏の第一人者・イギリスのNeil Brand氏、タイで活動するミュージシャンのChristopher Janwong Mckiggan氏、Gandhi Wasuvitchayagit氏と4通りの王室賛歌が演奏された訳で、これも無声映画祭ならではの楽しみであったと言えるでしょう。

 演奏の話題ついでお話をしますと、タイ無声映画祭では自国の演奏者を育成すべく、毎年無声映画伴奏のマスタークラスを実施しています。4年前に行われた第1回では皆様ご存じの柳下美恵さんが講師を務められました。今年は前述のNeil Brandさん。日本でも太田米男先生の呼びかけにより、毎年、映画の保存と復元に関するワークショップが開催され大きな成果を生み出しておりますが、無声映画に関わる実演者を育成する為の催しはほぼ実施されていません。アーカイブが積極的にマスタークラスを行っている事実を思えば、この分野に関してはタイが既に日本に一歩先んじているのです。弁士も楽士も無声映画に関わる人間が十分な評価を得辛い日本の現状と照らし合わせると、タイはこれからアジア圏における無声映画上映の中心地へと育つ可能性が大いにあるのです。

 いよいよ、というかようやく『忠臣蔵』の上映についてお話致します。『忠臣蔵』を上映するに当たり大きな問題がありました。今回は全ての上映に際し、事前に私の説明台本(弁士用台本)を渡し、タイ語と英語の字幕を付け、タイの観客に弁士のパフォーマンスを完全に理解して頂く計画だったのです。ところが『忠臣蔵』には日本人でも分らない様な言葉が頻出するために、訳者が次々にギブアップしていたのです。結果としてタイの日本文化研究最高峰の先生にお願いしてどうにか翻訳が完成したのだとか。私はタイ語が全く分からないのですが、翻訳されたタイ語は分り辛い日本文化を上手く噛み砕いた非常に出来の良いものであったとのこと。

 舞台に上がる人間には奇妙な感覚があります。客席のお客様が楽しんでいるか、退屈しているかが見なくとも何となく分るのです。『忠臣蔵』は日本人の精神を最も表した物語だと言われます。裏を返せば異文化の人々には理解し難い物語なのではないかという危惧はありました。家族と離縁し、狂態を演じてまで主君の仇を討とうとする大石の気持ちは異国の人々に共感して貰えるのだろうか、と。

 上映が始まって数分、我々は心配が杞憂であったと感じました。劇場内で光を発しているのはスクリーンと、演者を照らす灯りのみで客席は真っ暗。その暗がりの中から物語の展開を見守る気配が確かにしたのです。吉良邸討入の場面では赤穂義士の雄姿に固唾を呑んでいるのが分ったのです。日本映画史の中で尾上松之助は最初のスターとして讃えられる一方で、日本映画の発達を阻害する旧弊の象徴として誹られる事も少なくありません。その松之助が晩年に心血を注いだ『忠臣蔵』が国外の、しかも21世紀の観客を興奮させている。こんな景色を当時の誰が予想したでしょうか。

 『忠臣蔵』を選んで良かったと、終映後の大きな拍手を受けながら感じました。それもこれもフィルムが残っていたからなのです。

 本当に悲しむべき事に戦前のタイ映画で完全な状態で保存されている物はトーキー1作品しかありません。無声映画に至っては数コマ現存するのみ。戦後に大量に作られた16㎜無声映画もほぼ残っておりません。タイフィルムアーカイブ所長のDomeさんから得た情報によると、ワタナベ氏はタイで映画を撮り、それを日本に送ったそうなのです。どこかにワタナベ氏の撮った映画が眠っていないものでしょうか。もし発見出来たら、きっと素晴らしい映画史的貢献になるのでしょう。

 今回のタイ映画祭では日本とタイの映画保存・発掘が大きな役割を果たしました。これからも両国でますます盛んな映画保存運動が行われる事を願ってやみません。

 長々書いたところでもう一つ。映画祭最終日、特別上映が急遽行われることになりました。戦後の16㎜無声映画を繋ぎ合わせた約10分の断片映像を、私と上屋のアドリブで上映する事になったのです。断片なので誰も物語の筋は分らない。観客は私の話している日本語が分らない。分らない尽くしの特別上映でしたが場内には奇妙な連帯感が生まれ、言葉通り、一期一会の空間となりました。タイの戦後16㎜無声映画を日本人弁士が語るのは正真正銘、映画史初の出来事です。語りながら我が身の幸せを噛み締める10分間でした。

 他にもタイフィルムアーカイブの素晴らしさ、今回学んだタイ弁士の歴史、Neil Brandさんの演奏の素晴らしさ、『ロイドの人気者』の反応等々、話題はいくらでもある第4回タイ無声映画祭参加ですが、あまりに長くなりすぎましたので今回はこの辺りで。

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如何でしたでしょうか?昨年と今年の大阪アジアン映画祭で、タイのドンサロンさんと出会って、日本以外の活弁士に興味があった私は、彼から「タイにも有名な無声映画に説明をするThid Khiewaka Sin Sibunruang(~1948)がおられた。1902年にはタイに日本の映画館があった」と聞いて、もっとタイの活弁士の歴史を知りたいと思っていました。英語で書かれた論文もネットで拝見しましたが、語学能力もなく時間も無いので、ずっと頭の隅っこにありました。そんな折り、タイで片岡さんが当館所蔵『忠臣蔵』に活弁をつけて説明される好機到来‼この機を逃すと一生後悔すると思ってお頼みしました。

お書きになったものはとても面白く、一気に読ませていただきました。文末に「話題はいくらでもあるが、長くなりすぎたのでこの辺で」とあるのに、またもや食らいつき、お願いして続編を書いていただくことになりました。今度はタイの無声映画に関する報告だそうです。どうぞ、お楽しみに‼

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