おもちゃ映画ミュージアム
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Toy Film Museum

2018.09.18infomation

研究発表「木村白山って、何者?」を終えて~レポート①藤元直樹さん

9月9日重陽の節句に開催した研究発表と上映会「木村白山って、何者?」で、3番目に登壇いただいた藤元直樹さんから早速、レポートが届きましたので、ご紹介します。当日はB4サイズ用紙に両面印刷した資料3枚(計12頁)を配布。そこには、調査された内容がびっしり記載してありました。私的には、「木村白山」は会社名、屋号、製作所名ではないかという話が面白かったのですが、1932年に自主制作したポルノアニメ―ションの方が、関心を寄せる人が多いと判断されたのか、アフターレポートは「すゞみ舟」に絞って書いてくださいました。

では、藤元さんのアフターレポートを以下に掲載します。


「すずみ舟」はどのように語られて来たか―おもちゃ映画ミュージアム2018年9月9日研究会「木村白山って、何者?」での報告をもとに

藤元直樹
 
 研究会での発表のアフターレポートを求められた。実際には雑駁な発表となったこともあり、木村が手掛けたとされる、ポルノアニメ「すずみ舟」が、これまでどのように語られて来たか、管見に入った言説を整理して提示する試みの部分に絞って、当日レジュメとして配布させていただいたメモに手を加えたものをお示しすることで、そのレポートに変えたい。
 まず、1970~1980年代に発表された文献から、問題のフィルムに関する(1)タイトル(2)製作者(3)検挙時期 についての記述を以下にリストアップする。

(a)(1)すゞみ舟*(2)ある画家(3)ご用になってしまった。昭和7年の春
*ヴァリアント・タイトルが多数あるとする(隅田川、川開き、花火、夕涼み、マンガ)
(b)(1)すずみ舟(2)木村白山(3)29年[昭和四年]
(c)(1)すずみ船(2)木村白山(だろうと推定されている)(3)昭和七年
(d)(1)タイトルなし(2)木村白山(3)昭和十二年
(e)(1)すずみ舟(2)木村白山(3)昭和五年

 (a)1975三木幹夫『ぶるうふいるむ物語』
⇒谷沢永一『紙つぶて』で引用紹介 1981三木幹夫『ブルーフィルム物語』→1998長谷川卓也『いとしのブルーフィルム』として再刊。筆者は博識で知られる東京新聞記者(当時)。
 (b)1976杉本五郎『日本映画監督全集』(※キネマ旬報の増刊の監督人名事典)
筆者は、アニメーション・フィルム・コレクターとしても著名だった研究家。
 (c)1978山口且訓,渡辺泰『日本アニメーション映画史』(渡辺泰担当「日本アニメの歴史(II)」)
筆者は、アニメーション研究の第一人者。
 (d)1982小野常徳「歪んだ“春"のはなし」
 (e)1988小野常徳「性風俗のうら街道」
筆者は、<月刊民放>1972年4月号によれば、1916年6月文京区生まれ。1938年大学卒業後、警視庁衛生部に勤務。戦時中は、保安、刑事関係の仕事に従事。戦後は医薬品、売春、麻薬等の取締。1959年田辺製薬に取締役として入社するという経歴の人物。風俗研究を趣味として文章を発表していたようである。(d)は、<小説club>35(15):1982.12、(e)は『近代庶民生活誌 第10巻』に掲載された文章で、その他の内容の異同については後述する。前者が風俗よりの媒体、後者が学術よりの媒体ということで、執筆姿勢に違いが生じていることを前提として、この異同について見ていく必要があろう。
 1990年代以降は、アニメーション研究の基本文献として評価の定まった、(c)の記述((a)と(b)の合体した)に基づいた言説が流布している。
 (c)は、ヴァリアント・タイトルに関する言及から、三木本も参照しているようだが、先行する<人間探究>(探求と誤記)掲載の「映画「すゞみ舟」鑑賞」の存在を指摘しており、これを基礎資料として書かれた文章のようだ。
 <人間探究>は、木本至の『雑誌で読む戦後史』でとりあげられており、次の関連記述がみられる。
「松原正樹の精力的活動は頭角を現わす。…佐藤績は松原に…編集長の椅子を与えた…25号…上野のバーで見た秘密映画が面白かったので1コマ300円で買い、米ソ日仏の作品をグラビア8頁<秘密映画試写室>に組み大ヒットした…世界に1本というアニメ『すゞみ舟』も見た。すると次26号…がやられた」
 このくだりから、現物を見るまで戦後秘かに上映された同作品の鑑賞レポートが毛利厄九「映画「すゞみ舟」鑑賞」だと考えていたのだが、実際には異なる。27号(1952.7.15)に掲載されたそれを先のフォーマットで示すと次の様になる。

(0a)(1)すゞみ舟(2)ひと通り名の通つたこともある漫画家だということを編集者から又聞きした(3)見たのは、あれからすくなくとももう、十五年以上にもなろうか(=1937年以前)

 これは、戦前の鑑賞体験を記憶で綴ったものであり、そして木村白山の名は一切出てこない。となると「すずみ舟」が木村白山にアトリビュートされているのは、杉本五郎が、木村がアニメ界を去った理由を探求する中で、相ふさわしい事件として「すずみ舟」とその処分という伝承に飛びついたのではないかという疑義が生じる。もっとも、<人間探究>の同じ号には、もう一つ関連記事があり、そちらに木村白山の名前があることから、杉本氏の独自解釈による説だということは、即座に否定される。
 もう一つの記事「対談 秘密映画を映つす男」は、対談と銘打たれているが、「本誌記者」による映画業者島崎五郎(おそらく仮名であろう)へのインタビュー記事である。

(0b)(1)涼み舟・すゞみ舟(2)木村白山(3)年代記載なし*
*「本庁の清水警部、これは砂町の署長までいつた」に取り締まられた旨、記述があることから、砂町署長の任命記録から清水のフルネームを洗い出し、その本庁勤務時期が一定の期間に限定できるのであれば、年代の確定が可能となるが、今の所、参照できた職員録類からは、姓名の特定に至っていない。

 「秘密映画を映つす男」の「世界一の”すゞみ舟”」の項を以下に示す。

 記者 日本に春画というものが昔からありますね。ああいつたもので漫画、線画ですね。そういつたものを作つたものはないのですか
 島崎 値段が高くて全然合わない。
 記者 そういつたものはありますか?
 島崎 木村白山、小石川春日町の漫画の大家です。これは約三年間掛かつて作つた。「涼み舟」ぼくの友だちの加藤という本屋がね。それを持ち出して来てくれた。ぼくのところへ。それを持ち歩いているうちに、ほかの品物と、スタンダードで十六ミリでないから大きい。他かの事件で挙がつちやつて、一回も映さずに本庁へ挙がつてしまつた。それで本庁の清水警部、これは砂町の署長までいつたが「あれだけのものを作つたのに、作つて一回も出さないで、お前はよつぽど運が悪い」と頭をひつぱたかれたことがあつた。売つたわけではないから何も問題はなかつた。
 
 ここで語られているのは島崎がフィルムを没収された事件であり、木村が取り締まられた事件ではない。この時点では当局の手は木村まで届いておらず、製作者が押さえられるまでに、ある程度時間があったのであろうか。
 毛利厄九が見たのは「十六ミリ(最初は三十五ミリで撮つたのを後になつて縮写したのだとも聞いた)の、それも仕上りのよくないところへ、かなり損傷もしていたらしいフィルム」であるという。
 三木が様々なヴァリアント・タイトルを記録していることからすれば、複数の複写が出回っていたようである。それとも地域猫的に、上映する人物が変わる度に、同じフィルムが様々な名前で呼ばれていたということであろうか。
 毛利厄九は「とにかく、ずいぶんむかしのことである。順序を追つてのこまかい筋などは、ハッキリしなくなつていた…もうろうたる記憶」だったのが、「編集者が、ちようど彼が特殊映画業者の人との対談会をやりにゆくところだつたので、全体の荒筋を聞いてきてもらつた。すると、バラバラになつてた部分部分が一度につながり合つて、全体の記憶が非常にはつきりしてきた。」ということで、書き記したのが「映画「すゞみ舟」鑑賞」である。木本至本では、文脈上27号以前に<人間探究>編集者は「すずみ舟」を見たことになっているが、毛利、島崎のいずれについても、記事の内容は、それを否定する。であれば、この記事の掲載の後に、上映があったということになるが、同誌誌上で改めて「すずみ舟」が取り上げられ、実見に基づく文章が掲載された形跡は見出せていない。
 現状をまとめると、「すずみ舟」の作者に木村白山をあてる根拠は、特殊映画業者による証言一つに過ぎない。もっとも、フィルムセンター(国立映画アーカイブ)が「木村白山の「すずみ舟」」を収蔵したという事実から、これを肯定するなんらかの資料が別に存在している可能性はある。様々なヴァリアント・タイトルで流通したとされる非合法フィルムにクレジット・タイトルが存在するとは考えにくい。「題名不詳、伝木村白山」ではなく、現状の形でカタログ・データが作成されていることからすれば、後年にタイトルや作者のクレジットが作製されて元のフィルムに繋がれたということであろうか。
 また、作品の製作年代についても、諸説があり、昭和7年の作品とみることが妥当であるかどうか。まだまだ、検討しなければならないことは多い。
 さて、「すずみ舟」に関する伝説の一つに、ディズニーがこれを見て賞讃したとするものがある。それについても、ここで情報を整理しておこう。
 毛利厄九の一文に見えるのは次のくだりである。
 「第一級のウキヨ絵性愛美術(の複製でいい)をできる限り蒔蒐して、これをウォルト・ディズニイ氏の手許へ送る。彼の天才とその地下スタジオの全機能とを駆使して、(むろん、脚本に考証に録音に、日本側の協力を得て)言葉と音楽と色彩の翼をもたせた、けんらん豪奢な『すゞみ舟』第二号の製作をさせる。」
 つまり、当初は、ディズニイの技術で『すゞみ舟』をリメイクすれば、凄い物が出来るはずだという空想が語られていただけなのである。
 これが、ディズニーが見たという話に転じるのが、小野常徳の(d)「「ストーリーと言い、作画技術と言い、正に世界最高の芸術作品である」と、アメリカの故ウォルト・ディズニーを驚嘆させた…警視庁の証拠品を終戦直後見たディズニーは、三十五ミリ八百フィートの作品に、一千万円の呼び値をつけた。」(e)「証拠品を一時占領軍がアメリカに持ち帰りW・デズニーの舌を捲かせた」であるが、やはりこのあたりは、さもありなんという噂話が一人歩きしている様を伝えているように思われる。

 次にフィルムについての情報をまとめる。
 
(0a)【毛利】十六ミリ(最初は三十五ミリで撮つたのを後になつて縮写したのだとも聞いた)
(0b)【島崎】スタンダードで十六ミリでないから大きい。…一回も映さずに本庁へ挙がつてしまつた。
(a)【長谷川】35ミリの原版は押収されたが、16ミリに縮写したプリントが当局の目をくぐってヤミに流れ、さらにそのコピーが何本か流布された。
(b)【杉本】終戦直後進駐軍により試写されたが、その後行方不明、16ミリ・コピー版が海外にあると聞く。
(c)【渡辺作成・杉本監修*】原版は35ミリ版だが流布されたフィルムは16ミリ版といわれる。昭和二十年、進駐軍により持ち出され試写されているが、その後行方不明。コピーされた16ミリ版が"ウタマロ・アニメ"として外国で売られていたという。
*『日本アニメーション映画史』資料編
(d)【小野】苦心のネガは、不粋なその筋にすぐ挙げられてしまったが、押収洩れのプリント八本は好事家にそれぞれ秘蔵されており、警視庁の証拠品を終戦直後見たディズニーは、三十五ミリ八百フィートの作品に…
(e)【小野】三十五ミリ一〇〇〇呎に及ぶ…占領軍がアメリカに持ち帰り…講和後日本に返して貰いその筋で保存している。
 毛利、島崎の文章は現物を見た上での記述であることから、35ミリ版と16ミリ版があったことは確かである。長谷川のものは警察廻りも含めた取材活動の中で得た情報であろう。杉本のそれは、コレクター間に伝わった情報であろうか。小野については、警察関係者からの伝聞であると思われるが、(d)(e)で、その内容ががらりと変化していることから、信頼に足る物かどうか、かなり怪しいところではある。
 三木=長谷川は「筆者が20年余りたっても、まだいくつか強く印象に残る場面があるというのは、やはり、並み並みならぬ作品といえよう」と『ぶるうふいるむ物語』に書き記している。
 「20年余り」とあることから、木本が松原正樹が見ているとする1950年代に、長谷川もこれを実見する機会を得たということになる。ただ、同書の記述については、毛利厄九の鑑賞記録に基づいているのではないかという臆測もささやかれていることから、人づてにお聞きしたところ、この筆者というのは自分である。実際に「すずみ舟」を見ているということだけは御回答いただけたので、ここに記しておく。
 この時、どのような形でフィルムは上映されたのか。このあたり、差しさわりの無い形では発表できない事情がまだ残されているのであろうか。今後、なんらかの情報が公にされることを期待したい。

 性風俗に関する考証記事を掲載した雑誌は、数多く出版されている。<人間探究>以外で「すずみ舟」が取り上げられる機会が絶無であったとは考えにくいが、他の雑誌の調査にまで、手が回っておらず、同時期の<あまとりあ>に、少し目を通すことしかできていない。同誌における映画関連記事について実見できた範囲では、「すずみ舟」に触れたものは見つけられなかった。
 多少参考になるであろう記事を二点紹介しておく。
1(8):1951.9.1 永久蘭太郎「Y映画のぞき」
 <あまとりあ>では主にこの永久が映画関連記事を執筆している。「ワイ映画のいろいろ」という節の中に「C、マンガ」という項目があり、洋邦、一作ずつ紹介されているが、邦画として紹介されている作品が「すずみ舟」ではないことから、やはり、その流通は相当限られたものであったとみるべきか。

2(1):1952.1.1 田中純一郎「特別試写会の記」 
 戦前、内務省で押収した秘戯映画約一万尺、二十種ほどを貴族院議員の諸公達に、特別試写をして、老人若返りのサーヴィスに供したという上映会の模様を伝えた記事。外国製が多かった。日本物では「花嵐」(というような題だつたと記憶する)「鼠小僧」の内容を紹介。物珍しさからいって、「すずみ舟」が収蔵されていれば当然、上映されていそうなところであるが、実写の方が喜ばれると考えられたものか、あるいは、その押収以前に行われた上映会であったということか(田島太郎の好意で田中はこの秘密上映会に臨席できたとしている。そこから導かれるのは1938年が下限であるということのみで、時期を絞るには、また別の資料の出現を待たねばならない)。
 
 なんにせよ、「すずみ舟」にまつわる言説は伝聞、臆測に基づくものが大半であり、こうした文献を通して作品を云々することは、床屋政談の域を出ないようである。公開の目途がたたないとのことではあるが、フィルムセンター(国立映画アーカイブ)に35ミリ版のフィルムが収蔵されたことが呼び水となり、せめて流布されたといわれる16ミリ版なりともが改めて世に出ることに一縷の希望を託して、この一文を終えたい。


 

◎このレポートをお送りくださったメールに添えられていた文章がまた、興味深かったので許可を得て、以下に、そのまま掲載します。こうして、「木村白山」への関心が深まり、新たな資料が発見されたりして、謎解きがより一層進むことを期待しています。

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『日本アニメーション映画史』を見返していたら、p.196に「福の神と貧乏神」製作・山本早苗 1巻 と出てきますが、同じタイトルのものが検閲月報では木村白山製作で、出て来るんですよねえ。
 偶々、題名が同じなだけなんでしょうか。山本を使って木村が作った作品があった、などということがあるんでしょうか。
 
 p.197の文福茶釜は村田安司作品ということになっていますが、ストーリーの後半は、日曜日に上映された木村白山のものと一緒ですよねえ。これは、村田を木村がパクったのか、その逆なのか。 玩具フィルムを作る際に、村田作品に勝手に木村のクレジットをつけられたとか…。
 いや、深すぎる…。                                 藤元直樹

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