おもちゃ映画ミュージアム
おもちゃ映画ミュージアム
Toy Film Museum

2020.04.20infomation

5月17日、開館5周年記念「無声映画に見る新国劇の世界」のご案内

来る5月18日、当館は開館満5年を迎えます。「少しでも無声映画を次世代に残したい」というフィルム愛が強い連れ合いの思いを支えねばと、共に歩んできた「おもちゃ映画ミュージアム」。素人が着手して構えた私設の小さな町家ミュージアムですが、皆様の応援のおかげで、どうにかこうにかこの節目を迎えることができそうです。

つい先頃、正会員の皆様に2019年度の決算と活動報告をさせていただきました。人件費が発生していなくても家賃など施設の維持費がかかり、立派な赤字団体ですが、この度のCOVID-19の影響を考えると、不安は益々募ります。この心配は、私どもばかりでなく、多くの人が抱えるものでもありましょうが、何はともあれ、一日も早くCOVID-19問題終息を願うばかりです。

先の事を考えて、塞いでばかりいても仕方がないので、ミュージアム誕生日前日に開催する無声映画上映会のことをお知らせします。

今回上映する『改訂  國定忠次』は、昨年11月2日、うえたけ未来さんから寄贈いただいた作品です。来館頂いたのは9月12日付け朝日新聞連載「まだまだ勝手に関西遺産」で当館のことを紹介していただいた記事をご覧になったから。

「うちに古いフィルムがあるという方は、ぜひ持ってきて」という呼びかけが功を奏したのでしょう。ご自宅にあった16ミリフィルム『改訂 國定忠次』(1925年、行友李風原作、牧野省三監督、澤田正二郎主演)、『弥次喜多尊皇の巻』(1927年、池田富保監督、河辺五郎〈弥次〉、大河内傳次郎〈喜多〉)、『血煙荒神山』(1929年、辻良郎監督、大河内傳次郎主演)、『チャップリンの勇敢(Easy Street)』(1917年)の4作品を寄贈して頂きました。

『改訂 國定忠次』は1~4巻全て揃っていて、そこに当館所蔵おもちゃ映画「半郷小松原闇討ちの場」を加えると見応えがあると思い、編集して最長版にしました。

当館も協力した早稲田大学演劇博物館で2014年11月に開催された『寄らば斬るぞ!新国劇と剣劇の世界』図録に特典として、早稲田大学文学学術院教授の小松弘さんが所蔵されている16ミリフィルムの映像『改訂 國定忠次』が収められていました。そのタイトルには「提供 ホーム・ムービース ライブラリー」とありますが、当館に寄贈していただいた16ミリフィルムのタイトルには、その情報がありません。どのように販売されたものかまではわかりませんが、「半郷小松原闇討ちの場」がなかったことから、値段によっていろんな短縮バージョンがあったのだと推測します。この度編集した内容は、小松先生所蔵フィルムとほぼ同じだと思います。

同図録に書かれた小松先生の「澤田正二郎と映画」を参照すると、1917年4月に「新国劇」を旗揚げした澤正こと澤田正二郎(1892〈明治25〉年5月27日-1929〈昭和4〉年3月3日)は、現在知られる限りでは、生涯に5作品の映画に出演しています。

第1作は、『懐かしき力』(別題『力よ響け』、1921〈大正10〉年)…日本映画の欧米化を目指していた松竹キネマの脚本部にいた佐々木杢郎が現代劇映画用に書いた「嘆きの薔薇」を基にし、佐々木自身が監督。澤正は音楽家の役で、亡命白系ロシア人女優も出演していましたが、欧米的な映画は観客から好まれなかったようです。

第2作は『高田馬場』(1924〈大正13〉年)…10月31日~11月2日に、澤正と新国劇一座が大隈会館大庭園で行った、当時は戸外劇と呼ばれていた野外劇の3つの演目の一つを記録した短編映画。撮影したのは朝日新聞活動写真部で、劇の邪魔にならないようロングショット中心だったこともあり、不評だったようです。

第3作が今回上映する『國定忠治(次)』(1924年)

第4作は菊池寛原作『恩讐の彼方に』(1924年)

第5作は行友李風原作、衣笠貞之助監督『月形半平太』(1925年)

3番目と4番目の作品を撮ったのは「日本映画の父」と称される牧野省三でした。大隈会館大庭園で上掲『高田馬場』他が演じられている頃、牧野は、澤正に劇映画出演を依頼します。その依頼は、11月に澤正が宝塚の劇場で芝居するため関西にいる間の1週間で、2本の劇映画を撮ろうという無謀なものでしたが、澤正は、「(それまでの日本映画では等閑に付されていた)俳優自身の体躯、人格に重きを置き、たくまないウィットを現し、ファンの胸の上に何か知ら美しい印象を植えつけたい」と出演を了承します。引き受けた澤正は立派ですが、澤正の舞台から多くを学んで尊敬していたという割りには、強行軍を要求した牧野は「どうなの?」と思わぬワケでもなく。。。

11月27日、牧野省三が所長を務めていた東亜キネマ等持院撮影所で撮影開始。この時までの短期間に、牧野は2本分の脚本はもちろんのこと、撮影の為に必要な準備を完了していたというのが凄いです‼ 2作品とも3日間ずつで完了したということですから、出演者もスタッフも相当な集中力で臨み、疲労もハンパなかったことでしょう。澤正の舞台そのままの順序で、スタジオ撮影と滋賀県内でのロケーション撮影で行われたということです。監督補佐役は二川文太郎で、彼は後に『雄呂血』(1925年、阪東妻三郎プロダクション第1作)を監督しています。

人気があった作品の16ミリ短縮版が販売されたのは、1930年代に入ってから。トーキー映画が登場して不要になった無声映画フィルムをおもちゃ映画として販売されるようになったのと同じ頃です。澤正が1929年に満36歳という若さで病死した後に、16ミリフィルムが販売されたのは、それだけ澤正の人気があると見込んだからでしょう。

5番目の『月形半平太』のおもちゃ映画も所蔵しているのですが、ごく短いので、今回上映はしません。監督は新派出身の衣笠貞之助で聯合映画芸術家協会製作第1作です。1925(大正14)3月20日夜に等持院撮影所が火災に遭い、その後、御室に建設されたマキノの新スタジオで撮影されました。

牧野が新国劇の澤正を映画に登場させたことで、時代劇映画にリアリズムの波がもたらされました。それまでの歌舞伎調から動的でメリハリがある動きへ。カメラワークも変化していきます。

『国定忠次』には、独特なダミ声の悪役で知られた上田吉二郎(1904-1972)が乾(子)分の厳鉄役で登場しています。1918年、神戸中央劇場で澤正の『新朝顔日記』を見て感動して、澤正に頼んで新国劇に入団し、『恩讐の彼方に』『月形半平太』にも他の一座の人と一緒に出演しています。

もう一つ上映する長谷川伸原作、辻 吉郎監督『沓掛時次郎』(1929年、日活太秦)で主演する大河内傳次郎(1898-1962)は、凄まじいまでのリアルな殺陣で人気がありました。作品によっては、白粉をやめ、黒塗りと呼ばれた肌色のドーランを塗って異彩を放っています。彼は室町次郎を名乗り、1925年に澤正の盟友倉橋仙太郎が旗揚げした第二新国劇で活躍し、翌年日活に入社して大河内傳次郎と改名しました。伊藤大輔監督と組んだ『忠次旅日記』三部作(1927年)、『新版大岡政談』三部作(1928年)などに出演し、『大菩薩峠』の机 龍之介、『沓掛時次郎』の沓掛時次郎など、澤正の当たり役の多くを愛弟子の大河内が映画で最初に演じました。

なお、京都市立芸大日本伝統音楽研究センター客員研究員の大西秀紀さんのご協力で、所蔵されているSPレコードの中から澤田正二郎『国定忠治』と大河内傳次郎『沓掛時次郎』をデジタル化したものの一部をお聴き頂きます。人気を博した二人の肉声をお楽しみいただけたらと思います。

活弁を坂本頼光さんにお願いしました。演奏は天宮 遙さんです。今回は2020年度当団体の正会員・サポーター会員になって下さった方にプレゼントするDVD製作用に『国定忠次』上映風景を録音撮影します。COVID-19感染拡大防止のため、一応いつもの半分の定員に設定しましたが、場合によってはごく少人数、あるいは無観客での上映にせざるを得ないかもしれません。取りあえず予約受付を開始しますが、その場合は速やかに連絡を差し上げます。

当日は換気に気を付け、消毒もして感染予防に努めますが、参加頂ける方も、入り口で手指の消毒をして、マスク着用でお越し下さいませ。毎回楽しみにしております上映後の懇親会は取り止めます。何かと迷惑をおかけしますが、ご協力を賜りますよう、よろしくお願いいたします。

 

 

 

 

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