おもちゃ映画ミュージアム
おもちゃ映画ミュージアム
Toy Film Museum

2023.06.16column

映画監督中島貞夫先生、さようなら

6月15日京都新聞夕刊1面に私どもの恩人中島貞夫監督の訃報が載りました。向かって左は今朝の京都新聞朝刊1面。

そして、対向面に大きく、人となりが紹介されています。記事一番下の写真は昨年10月の京都国際映画祭表彰式での様子。いつもお元気でしたので、訃報を聞いて「えっ‼」と絶句しました。時々「食べられないから入院する」とお聞きしてはいましたが、じきに退院されてまたお話がうかがえるものとばかり思っていましたので、今でも信じられない思いです。

当館にいつも掲げている大きな『遊撃』のポスターです。一昨年10月京都国際映画祭で初上映、昨年3月大阪アジアン映画祭でも上映され、今年1月27日に劇場公開されました。83歳の時にメガホンをとって撮影に挑まれた『多十郎殉愛記』(2019年)の撮影風景の記録です。この映画には、教え子たちも駆けつけて手伝い、時代劇映画継承を体で教えておられました。その熱い思いはきっと彼らの中で今後も活きてくることでしょう。

大阪芸大時代に、連れ合いはずいぶん力になって支えてもらいました。そして、2015年貴重な無声映画を少しでも救いたいと「おもちゃ映画ミュージアム」を開館することになった折には「太田君、退職金にだけは手を付けるなよ」と息子を思う親のような心境で忠告して下さいました。陰になり日向になり、いつも応援して下さいました。

写真は2015年5月17日、開館前の内覧会で祝辞を述べてくださる中島監督。おかげさまで無事に船出をすることが出来て、監督ご自身もとても喜んでくださいました。壁面にずらりと頂いた「応援メッセージ」を掲げました。

中島監督からは「“おもちゃ映画ミュージアム”の開館、心からお祝い申し上げます。こゝは、館長である太田さんの多年に渡る研究の成果と、そして何より映画への愛と夢が一杯つめ込まれた館です。そしてそして、映画やアニメに興味のある人、無い人も、大人も子供も、誰もが楽しめる館です。どう楽しいか、何故楽しいか・・・それは一度足を運んで下さりさえすれば判ります。」と頂戴しました。今、これを書き写しながら、とめどなく涙がこぼれてきます。本当に、いつも心配してくださり、温かく見守ってくださったこと心より御礼を申し上げます。

まだ梯子を使って二階へ上り下りしていた名残が。未完成ながらもどうしても「国際博物館の日」の5月18日に開館したくて無理を通しました。それから8周年を過ぎ、今は9年目を走って、このままヨタヨタしながらも目標の10年完走を目指します。天国からどうぞ見守っていてくださいね。そういえば、開館の年の8月1日には、誕生日の8日には少し早かったのですが、中島先生の81歳のお誕生日会をここで開きましたね。実は昨年8月8日、米寿祝いの会を当館で開催したいと提案し、その時に親交があった内田吐夢監督についてお話をして貰う約束でした。結局、琵琶湖でのお祝い会になって実現できませんでしたが、この約束は、いつか天国でお会いした折に、聞かせて貰うことにしましょう。

これは、2020年9月20日、当館で撮影した京都国際映画祭鼎談の後の俳優千葉真一さんとのツーショット。今頃は天国で「よーっ」と声を掛け合って、楽しいおしゃべりをされているかもしれませんね。

これは、昨年10月15日当館で京都国際映画祭無声映画部門「パテ・ベビー誕生100年特集」を上映した後の記念写真。まだコロナが収まり切れていない時期でもあり、みんなマスク姿。これも随分年月が経てば、「こんなこともあったわねぇ、懐かしい」てなもんでしょうけど。コロナ禍を生き延びられたのに、肺炎で88年の生涯を終えられるとは。

天龍寺塔頭「等観院」でしめやかに営まれたお通夜の様子。お庭がとても綺麗で静かなお寺でした。中島監督に最後まで素敵な場所を教わったという思いです。

読経が始まる前に、お顔を拝ませていただきました。静かに目を閉じて眠っておられるような穏やかな表情をされていました。柩にはトレードマークの赤いマフラーが収められて。ご子息の1学年上にあたるというご住職による心のこもった読経が胸に沁みました。遺影の写真がとても良いですね。参列した誰からともなく「いい写真だ」の声が聞こえました。倉本聰さんの花がお供えされていましたが、倉本さんもきっと寂しく思われていることでしょう。

寂しいですが、致し方ありません。偉大な映画監督中島貞夫先生の、ご冥福を心よりお祈り申し上げます。先生、本当にこれまでありがとうございました。合掌

【6月17日追記】今朝の京都新聞「梵語」氏のコラムがとても良いので、載せさせて貰いました。「食うために涙をこぼしながら撮る人間がいたっていいじゃないですか」に頷きながら、こうした共感性をお持ちだったからこそ、たくさんの人に慕われたのだと思います。本当に喪失感は大きいです。

 

 

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