おもちゃ映画ミュージアム
おもちゃ映画ミュージアム
Toy Film Museum

2016.07.16column

「小川翔太さんの講演と映画上映」盛会裏に終了(2)

7月9日(土)午後3時から始まった海外で活躍する研究者による発表会の第2弾。ノースカロライナ大学シャーロット校言語文学部准教授・小川翔太さんによるナイトレートに関する発表については、前回の拙いブログと、後日届くご本人からのリポートをお読みいただくとして、5分間の休憩をはさんで上映した黒澤明監督『羅生門』についてお詫び方々報告まで。

といいますのは、せっかく16㎜映写機で上映すると謳っていたのですが、1巻目はともかく、2巻目の調子が悪くて、本当に申し訳ない状態でした。2台ある16㎜映写機を使って、前々からRKO版フィルムだけでなく他の16㎜フィルムも用いて点検を兼ねて操作していたのですが、「これでいける」と踏んだ2巻目の後半部分で上映の調子が崩れてしまいました。フィルムの縮みも幾分あったと思われますが、映写機の問題があったようです。映写をしながら、連れ合いは一生けんめいフィルムを押さえていたのですが、いかんせんクライマックスの京マチ子さんの迫真の演技部分が、流れてしまって…。改めて、当日ご来場いただきた皆様方には、心からお詫び申し上げます。

誰一人抗議の声をあげられることなく、お集まりいただいた皆さんも、心の中で「何とかもちこたえて」と祈っておられたのではないでしょうか。上映後「すみません」と頭を下げる連れ合いに、温かい拍手が送られ、申し訳なさと感謝の思いで胸がいっぱいになりました。

後で繰り広げた講師も含めた交流会で、「かえってフィルムの保存がテーマの発表内容にマッチして良かったんじゃない」という慰めの声もいただきました。確かに美しい、何の問題もない映像を見ていたら、貴重な映像をフィルムで後世に残すことの重要性に気付かなかったかもしれません。これを勝手に開き直って「災い転じて福となす」としましょうか。

さて、1950(昭和25)年8月26日に日本で公開された『羅生門』は、今でこそ世界の宝的存在ですが、公開当時は難解な作品だといわれて興業的に振るわず、この年のキネ旬報ベストテンでも5位に終わっています。ところが、第2次世界大戦の同盟国だったイタリアでは戦後映画に力を注ぎ、日本にも出品を促しました。その作品選びを任されたジュリア―ナ・ストラミジョーリ女史は、候補作の中から『羅生門』を観て感激しました。ところが、永田雅一社長自身「こんな映画、訳わからん」と憤慨して、製作責任者を左遷までした作品だけに、大映は彼女の説得に反対。しかたなくジュリア―ナ・ストラミジョーリが自費で英語字幕をつけて送ったそうです。

DSC05670 (2)今、ミュージアムでは、『羅生門』上映を機に、手持ちの資料を展示しています。右端に立てて展示しているのは、1951(昭和26)年11月1日に大映㈱から発行された『大映十年史』。永田社長の思惑と反対に、8月23日夜ヴェニス映画芸術国際博覧会(今の表記でヴェネツィア国際映画祭)で上映された本作は、観客と批評家から大好評を博し、特別番組まで放送されました。1926年9月12日付け夕刊毎日新聞は「好評のあまり23回も上映されたといわれ、審査員たちの言葉は『東洋風の演技が重々しく、画面は少し奇妙だが、写真技術もよくおもしろい映画だ』と伝えられている」と報じています。そして、9月10日AP、UP、INS等外電は、一斉に『羅生門』がグランプリを獲得したことを報じました。『十年史』は「我国映画界全体に大きな自信を植えつけ、日本映画向上の意欲を促すと同時に、日本映画に対する一般の信頼と関心を昂めた。今後の海外進出にも大いなる希望を見出すことができる」と綴っています。

同年の第24回アカデミー賞でも、日本映画初の名誉賞(現・外国語映画大賞)を受賞しました。当時のシステムでは、米国で配給できなかったので、大映は権利をRKOという販売会社に売り、そこで儲けたお金で撮影機や照明器具などを購入。そうしたこともあって大映の技術や製作システムはアメリカの影響を強く受けたといいます。今回上映したのは、そのRKO版。違いがすぐ分かるのは作り直したタイトル。大映のマークがなく「RKO RADIO PICTURES 」の文字と電波塔のシンボルマーク。日本語の文字は「竹文字」というスタイルで、戦後50年代の日本映画に対してアメリカでは皆「竹文字」で描かれていたそうです。英語の字幕は、わかりやすく、私のような英語が苦手な者にはちょうど勉強になるテキストとして有効かと思いました。難解なモゴモゴと聞こえる日本語による会話も、こうしたわかりやすい字幕で補われて鑑賞を助けていたように思われました。それは海外の人だけでなく、今回観た私たちにとっても同様に。

8人しか登場しない作品ですが、役者が揃えばこんなにすごい仕上がりになると今更ながら感心しますが、今回は特に京マチ子さんの熱演に見入りました。どうしてもこの役をやりたいと、眉毛を剃ってオーディションに臨んだというエピソードが伝わっていますが、本当に素晴らしい。第1回京都国際映画祭では、映画で使用された『羅生門』の扁額が会場の祇園花月に飾ってありました。この作品で「キャメラが初めて森の中へ入った」と言われて評価された宮川一夫キャメラマンが大切に保管されていたものです。ここに掲示した中にも宮川先生がキャメラを覗く写真(『影武者』での撮影)がありますが、来たる8月7日、優しかった宮川先生の命日がやってきます。せっかく評価された『羅生門』を上手に皆さんにお見せできなかったお詫びを兼ねて、朝早いうちにお墓参りに行って来ようと思います。

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最後にみんなで記念撮影。お忙しい中を参加いただいた皆様に厚く御礼申し上げます。この後の交流会で、参加者のお一人が「『新しいものは古く、古いものは新しい』。この言葉をデジタルに置き換えたら、『デジタルは古く、フィルムは新しい』。日進月歩で、いつも新しいものが登場するが、すぐに古くなる。けれども、古いと言われているものは、いつも新しく見直される」と言われたのが強く印象に残りました。

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