おもちゃ映画ミュージアム
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Toy Film Museum

2017.12.04infomation

ロシア革命100年「戦艦ポチョムキン」の作品解説をして下さった扇千恵先生から発表要旨が届きました

11月19日(日)に開催したロシア革命100年『戦艦ポチョムキン』上映会で、作品解説をしてくださったロシア語講師・ソ連映画史研究の扇千恵先生から、当日の発表要旨が届きましたので、早速掲載します。

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『戦艦ポチョムキン』の日本上陸                    扇千恵

 

 1925年、第一次ロシア革命20周年を記念して制作されたエイゼンシュテイン監督の『戦艦ポチョムキン』は、翌1926年に横浜港での非公開保税試写ののち、即輸入禁止となってそのまま送り返された。当時の日本の政治状況を鑑みると、革命映画は当然受け入れられなかったのである。その後、30年間この作品が日本の地を踏むことはなかった。1937年にはソビエト映画輸入が完全に禁止され、戦後、外国映画配給は連合軍民間情報教育局の管理下に置かれ、独占的にアメリカ映画が配給されるようになる。この外国映画輸入管理行政が日本大蔵省に移譲された1951年においてさへ、輸入映画本数はアメリカ映画150本に対して、ソビエト映画3本というありさまだった。

 1956年に中央映画貿易がソビエトから本作品のプリントを取り寄せて最初の税関試写を行ってから、1967年に興業ベースでの輸入公開が実現するまでの11年間に及ぶ日本側映画人、知識人の闘いは次々と困難に直面した。その間、海外でこの作品を観た人たちの情報が伝えられる中、日本国内で『戦艦ポチョムキン』は幻の映画としてその価値を高めていく。

 1958年、遂に上映促進の会が結成され、1959年から各地で自主上映会が開かれ、1960年の時点では70万人の観客がこの作品を観たことになる。1964年7月1日に輸入自由化が決定、67年10月に興業ベースでの輸入公開が実現したのだった。

 『戦艦ポチョムキン』が日本で歩んだこの42年間の歴史を振り返るとき、当時の日本社会に於ける映画の位置づけのあり方と、価値ある映画を上映するための人々の真剣な活動姿勢に心打たれるのである。

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当日は、A3一枚にまとめられた資料を配布していただきました。『戦艦ポチョムキン』に関する年表【1925年12月24日の誕生~1967年10月の興業ベースでの輸入公開(A.T.G.)】、日本で公開されたソヴェート映画一覧(1927-1946)、雑誌『新興映畫』(1929年10月号)掲載、川尻東次と松山文夫画。

映画史上に残る不朽の名画ということもあり、申し込みが相次ぎ、当日は満員盛況でした。お越しいただいた皆さまに厚く御礼申し上げます。

開催日直前に訪問された神戸映画資料館の安井館長さまから、扇先生経由で『戦艦ポチョムキン』のポスターを寄贈いただきました。お礼のメールを差し上げましたら「劇場公開版ではないので、珍しいはず」とおっしゃっていました。貴重な資料をいただき感謝しています。このポスターは、今もミュージアムでご覧になれます。

恒例の記念写真。前列左から2人目の男性は、今年3月18日に開催した西岡りきさん研究発表会「タイトルデザインの革命児ソール・バスとその時代②」にも参加いただいた佐竹保雄さん。その後ろに奥さまの紀美子さん。お二人の活動に大変感銘を受けたので、強く印象に残っています。その時のことはこちらで触れています。お元気で何よりでした。上映に際し、翻訳は前列右から2人目の吉川恵子さんにボランティアでお願いしました。いつも助けていただき感謝しています。

今回は京都大学人文科学研究所との連携企画として開催しました。2015年6月の「第1回無声映画の夕べ」の時と同様、小川佐和子助教(佐竹紀美子さんの後ろの女性)のお力添えによるものです。その人文科学研究所では、11月23~26日に映画祭「映像に刻まれたロシア革命」が開催され、16日付け京都新聞で大きく紹介されていました。『母』(1926年)~『チャパーエフ』(1934年)の7本。企画を担当された伊藤順二准教授は「イメージによって革命を称揚するプロパガンダの手法は、現代のテレビや映画まで技法として生き続けている。例えば、エイゼンシュテイン監督のモンタージュは『映画による弁証法』。虐殺される民衆の映像に、牛の解体シーンをつなぐことで『家畜のように扱われた』ことを表すように、二つのショットを連続させて第三の意味を観客の中に生み出す」。

また中村唯史教授は「1917年から20年代中ごろまでは、実はものすごく自由があり、芸術的、文学的な実験ができたロシアアヴァンギャルドの時代。ところが20年代後半以降は、スターリンによって統制色が強まり、逆に分かりやすいドラマが復活していく」と話しておられます。

そして小川佐和子助教は、関西の労働者サークルが1950年代に盛んにロシア映画の上映活動をしていた資料に基づき、「かつてのプロパガンダは集団で見ることによって成立していた。一定の時間を拘束され、大きな一つの画面をみんなで見るという『映画の体験』を見直す機会にしたい」と話しておられます。

この日は、まさに作品に関心を持った皆さんが集まり、一緒に「映画の体験」をしたことになりますし、『戦艦ポチョムキン』は、ものすごく自由があった時代だからこそできた作品だったのですね。

一斉送信で催しのご案内をお送りしたところ、東京大学大学院の時実象一高等客員研究員から、お父様の象平さんが、日本最初の上映を「自主上映」の会を組織して実現されたことを教えていただきました。「激しい反響をよんだ『戦艦ポチョムキン』の上映活動」『映画教育通信』(1959年6月)の報告があるそうですが、その原文が19日の上映会に間に合わず、皆さまに紹介できなかったのが惜しまれます。

ピアノ演奏は、天宮遥さん(左から2人目)にお願いしました。ラジオのパーソナリティーもされていて、この日は番組収録を終えて神戸から駆け付けてくださいました。今年1月15日の催しでお会いして意気投合し、是非にとお願いしました。シンガーソングライター、作曲家としても活躍されています。何より華があります。もちろん演奏も時に力強く、時に抒情的に聴かせてくださいました。サイレント映画の演奏者としては、まだ浅いのだそうですが、即興がOKというのが心強い。今後の連携が大いに楽しみです。

ポスターを手にする男性は、映画『サフィア―SAPPHIRE-』監督の夜西敏成さん。珍しいお名前は本名だそうです。いつかミュージアムで知り合った「珍しい苗字の人大集合」の一人に早速リストupしました。この後交流会を開催し、また、友達の輪が広がりました。皆さま、楽しい出会いを本当にありがとうございました。

 

 

 

 

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