おもちゃ映画ミュージアム
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Toy Film Museum

2020.07.14infomation

8月1日講演会「靖国を問う~遺児集団参拝と強制合祀」を開催します‼

戦後75年の夏に、改めて戦争と平和について考える機会になればと思い、8月は「映像を通して平和を考えるシリーズ」の3回目として、かつて日本が中国に作った傀儡国家「満州国」をテーマにした小さな資料展を開催します。満州に関する所蔵映像も随時ご覧頂こうと思っていますが、同じように保存して活用すべきだと訴えている映像の中に、京都市広報課が1956~94年に制作した「京都ニュース」(244作品)もあります。

今回講演をしてくださる松岡 勲さんは、昨年出版された『靖国を問う~遺児集団参拝と強制合祀』(航思社)の中で、この「京都ニュース」の中の「戦争遺児たちの靖国参拝」(№3、1956年度夏)を取り上げておられます。資料として活用して頂けたことは、私どもが知っている範囲で言えば初めてのことで、とても嬉しく思っています。

2017年10月に開催した京都国際映画祭の折、「京都ニュース」が、どのようなものかを先ず市民の方に知って貰おうと、元立誠小学校の会場で7回に亘り『60年前の京都』と題して、幾本かを選んで上映しました。その中にこの「戦争遺児たちの靖国参拝」も含まれていました。同月7日付け京都新聞夕刊でこの上映会のことが大きく報道されたこともあって、連れ合いの解説付きで上映した10月14日14時からの上映の時には、小学生の時、戦争遺児として靖国神社へ参拝に行った体験者がおられて、懐かしそうに思い出しながら当時のことをお話くださいました。たまたま私が見に行った回での光景でしたが、他にも体験者がおられたのかもしれません。

松岡さんによれば、京都市の他にも、以下の映像記録が今のところ見つかっているそうです。きっと、同様の映像は他にもあったことでしょう。もし、ご存じの方がおられましたら、ぜひご連絡ください。

       ・茨城県「遺児靖国神社昇殿参拝す」(『茨城県ニュース』№8、1952年)

       ・富山県「靖国神社昇殿参拝」(「富山県ニュース」第4号、1953年)

       ・福井県「遺児靖国神社参拝」(1957年7月)

       ・愛知県「靖国神社へ」(「県政ニュース」第21号、1952年)

昨年11月21日付け毎日新聞夕刊と12月15日付け朝日新聞で、大きく松岡さんの本が出版されたことが紹介されましたので、記憶されている方も多いでしょう。戦死したお父様を、天皇に命を捧げた「神」として祀る靖国神社から、妻子との死別を強いられた「父」として取り戻そうと調査を開始された松岡さんの、9年がかりの調査と思索の記録です。

農業兼大工だったお父様は、松岡さんが生まれた1944年3月の朝に大阪の天保山から出港し、翌年1月に35歳で中国湖北省で戦死されました。お母様は28歳から女手一つで松岡さんを育てられました。1958年中学3年生の時に、大阪府が企画し、予算をつけ、遺族会に委託した靖国神社遺児集団参拝に参加しました。お父様が合祀されている靖国神社に夜行列車に乗って東京へ。本殿で「お父さんは英雄だ」と聞かされて、「父は立派な死に方をしたんだなぁと思った」と遺児文集「靖国の父を訪ねて」に綴りました。遺児の大半が参拝の感激を記していますが、父の戦死の悲しみや集団参拝への疑問を書いていた生徒も少なからずいました。こうした戦後の参拝は、1952年、日本が独立を回復するサンフランシスコ講和条約発効の記念事業として始まり、費用はほとんど自治体丸抱えで、1960年前後まで続いたそうです。

長じて社会科の教師になった松岡さんは、日の丸や君が代に反対してきましたが、毎年8月15日全国戦没者追悼式中継に見入るお母様の姿もあって、靖国神社を考えることを避けてきました。そんな折り、2005年大阪高裁が小泉首相の靖国神社参拝に違憲判決を下し、その後の講演会で、判決の画期的意味と合祀取消裁判の計画があることを知ります。考えもしなかった靖国神社から父を取り返す「合祀取消」という発想です。

2006年8月に戦没者の遺族が靖国神社を相手に合祀取り消しを求める訴訟を大阪地裁に起こします。その翌年、お母様が90歳で病死され、その遺品から靖国神社の「合祀通知」を発見した松岡さんは、「こんな紙1枚が父を神にしたのか」と思い、その時合祀取消訴訟に参加を1年遅れで決意されました。

全国の都道府県と市町村が1960年頃まで続けていた遺児集団参拝に対して松岡さんは、「肉親の死の意味を求めていた遺児が、国のために死んだ英霊だと刷り込まれた。靖国神社を通して国家へ命を捧げる国民を再生する仕組みが戦後も同じく作用していた」と指摘しておられます。

戦前の遺児集団参拝は、戦没者遺族の援護組織だった恩賜財団軍人援護会が主催して、日中戦争が激化した1939年から始まり、1943年まで行われ、京都府でも行われました。

今76歳の松岡さんは、「あとがき」で「最近ますます戦争の危機を感じるニュースが増えてきているが、私の世代が味わった父親を戦争でなくした苦しみを次世代の私の子どもや孫に再来させないように声を上げていくことが大切と強く感じている」と書いておられます。出版後、初めて京都で開催する講演ということで、「京都市、宇治市、舞鶴市の靖国神社遺児参拝」についてもお話ししてくださいます。

大勢の方に関心を持って貰えたら、と願っているのですが、ご存じの通りのCOVID-19 感染拡大への懸念から、定員をいつもの半分、15名(予約優先)にしています。当日はマスク着用でお願いすると同時に、入り口に置いているアルコール消毒液で手指消毒にご協力をお願いいたします。換気にも気を付けながら開催します。なにぶん古い京町家を改修していて、冷房をしていても不充分ですので、できるだけ涼やかな服装でお越し下さいませ。

松岡さんの話をお聞きしながら、三度目の遺児参拝が起こらない世の中を作るために一緒に考えましょう。

 

 

 

 

 

 

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