おもちゃ映画ミュージアム
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Toy Film Museum

2019.10.12column

壬生狂言「花折」見学

IMG_20191012_0001大型台風19号の影響から開催が気がかりだった「壬生狂言秋の特別公開」。電話を掛けると「予定通り行います」とのことで、合羽を着て向かいました。いつもなら開場を待って長蛇の列なのでしょうが、台風のため多くの人は外出を控えておられるのでしょう、そのまますんなりと、中央の席に。雨風がずっと吹き付ける生憎な天候でしたが、おかげでゆっくり座ってみることができた良い面も。何回も通ってみているという人は「初めて座って観ることができた」とおっしゃっていました。いつもは超満員。私もずいぶん前ですが観に来たことがあり、その時は入場待ちの列でじっと待ったものです。

上演中だけでなく、それ以外の時間もずっと撮影禁止なのが、ちと残念。12~14日13~18時頃までの長丁場ですが、途中入場も可。でも一度出ると再入場付加ということで、16時に用事があったので、残り3演目は見ることができず、残念無念。生憎の天候でしたが、途中から海外の旅行者も次々と。

初日の演目は①炮烙割②土蜘蛛③花折④堀川御所⑤羅生門⑥棒振。「炮烙割」と「土蜘蛛」は以前観たことがありますが、他は未見なので、楽しみにしていました。中でも「花折」。というのは、10月19日11時20分から京都国際映画祭ひとつのプログラム「京都ゆかりのアニメーション」で、川本喜八郎さんの『花折り』(1968年)を上映するからです。川本さん自主製作人形アニメーションの記念すべき第1作で、ママイヤ国際アニメーション映画祭のペリカン賞に輝いています。

今回の上映のため川本さんのアニメーション『花折り』を事前に見ているので、元になった壬生狂言とどのように違うのか見比べてみたいと思って出かけました。壬生狂言は鎌倉時代、壬生寺を大いに興隆した円覚上人(1223-1311)が始めたものです。円覚上人のお話を聞こうと大勢の人が集まってきたので、人々は「十万上人」と呼んでいたそうです。正安2(1300)年のこと、円覚上人が「大念仏会」を行うことになり、拡声器もない時代のことでもあり、遠くの人にもわかってもらえるよう仏教の教えを身振り手振りで伝える無言劇に仕組んだ持斎融通念仏を思いつかれました。これが壬生狂言の始まり。

鉦、太鼓、笛の囃子に合わせて、すべての演者が仮面を付け、無言で演じます。近世に入ると庶民大衆の娯楽としても発展し、宗教劇の他に能や物語からも取材して、現在伝わっているのは30曲。「花折」はその一つ。

「炮烙割り」最後近く、積まれた炮烙がずらりと舞台端の狭い縁台に沿って並び、それを鞨鼓売りが全部割ってしまう場面は迫力があります。降りしきる雨の中でも、割れた炮烙から立つ土煙が辺りを覆い、物珍しさから落下した炮烙を覗き見してみました。居合わせた人に尋ねると「細かく割れたほうが縁起がいいらしい」とのこと。2月の節分の日に壬生寺へ詣で、境内で求めた炮烙に願いを書いて奉納されたものでしょう。壬生狂言公開中は、毎日序曲として演じられるそうです。炮烙が割られることによって、奉納者は厄除け開運が得られると信じられています。

次の『土蜘蛛』も何度か観たことがありますが、この土蜘蛛が放つ糸を財布に入れておくと良いことがあると以前教えてもらったことがあり、実行したのですが、ウ~ム。でもこの日隣り合わせた女性から教えてもらったのは、「この糸の中に錘として入れている小さな鉛を3っ財布に入れておくと良いことがある」でした。雨に濡れてひっかっている糸の中から2つ見つけましたが、2つでも「良いことがありますように」と願いながら財布に仕舞いました。効果あれば良いなぁ。

壬生狂言が好きで、何度も通っているという男性から「この糸を和紙で作っている専門家がいるらしい」とも教えてもらいました。雨に濡れながらでも、面白いことを次々教えてもらいながら楽しい時間でした。

そしていよいよ『花折』。伊藤若冲さんが寄進したという剽軽な表情の面をつけた若い僧が住持(住職)と供に登場します。折しも寺には桜が見頃を迎えています。所用で出かける住持は、僧に「この花折るべからず」と書いた札を枝に付けさせ、寺に花見客を入れないよう命じて出かけます。僧が鉦をたたいて読経しているところに、供を連れた旦那がやってきて、供は「寺に入れて欲しい」と頼みます。住持の言いつけがあるので僧が断りますと、旦那と供は門前に緋毛氈を敷いて酒宴を始めます。酒が好きな僧は、酒の匂いに惹き付けられて、寺の屏越しに酒を盗み呑み。それを見つかった僧は供に縛られます。旦那と供の二人を寺のうちに入れて花見をさせることを条件に僧は解かれますが、元々酒好きな僧は、二人と一緒に酒宴を繰り広げます。太夫道中の真似をしたり騒いだあげく、僧は悪酔いして倒れます。旦那が供に花の枝を折らせて帰った後、住持が戻り、有様を見て怒り、僧を懲らしめながら追い出していきます。

他の曲同様、鉦と太鼓と横笛の音色だけで、登場人物4人とも面をつけてパントマイム。全くの無言劇です。サイレントコメディ映画を最小限の生演奏付きで見ているようなものでしょうか。酒の上での失敗談をわかりやすく表現して、教訓とするように戒めています。

8月6日東京都豊島区西池袋のオレンジギャラリーで『川本喜八郎人形展ーふたつの三国志 項羽と劉邦』を見学した折り、開催に尽力された川本喜八郎研究者で、10月からとしま未来文化財団でご活躍の壱岐國芳さんとお会いしました。この展覧会では、三国志より400年昔の歴史ドラマを描くために作られた項羽、劉邦、虞美人、韓信などの素晴らしい人形が沢山展示されていましたが、惜しむらくは、操演人形劇としてテレビに登場できないまま未完で終わったことです。

壱岐先生から9月16日「雑司ヶ谷が発祥地!中国と日本の人形アニメ-ション創始者持永只仁と、川本喜八郎」映画上映会とシンポジウムを開催されることを教えて貰いました。毎月東京へ行くわけにも行かず、聴講はできませんでしたが、先だって、壱岐先生が作成され当日配布された大変詳しい年表などの資料が届きました。

当日は立ち見が出る大盛況だったようで、壱岐先生が資料を丹念に精査された結果導かれ、公表された二つの事実①「東京の豊島区雑司ヶ谷が日本の人形アニメーションの発祥地」であること②1947(昭和22)年11月に持永只仁さんが、中国で手がけた初めての人形アニメーション映画『皇帝の夢』は、全身関節入り人形を使ったチェコの人形アニメーション監督イジィ・トルンカさんの『皇帝の鶯』(1948年)よりも1年前のことで、全く独自に製作した世界初の全身関節入りの本格的人形アニメーションであったこと。この二つの事実を証明され、その気付きは賛同を持って受け入れられ、これまでのアニメーション史を覆すものとなったそうです。

さて、年表によれば、川本さんは1952年、トルンカさんの『皇帝の鶯』を税関試写室で観て、衝撃を受けます。翌年、日本と中国で人形アニメーションの礎を築いた持永さんに師事して基礎を学び、1963年にトルンカ氏の元へ自費留学し、人形の本質について学ばれました。翌年39歳の時に帰国されますが、トルンカさんから「日本には昔から素晴らしい伝統的様式を生かした人形文化があるではないか。それらを生かした作品を作ったらどうか」とアドバイスを受けたそうです(『チェコ手紙&日記』)。

 京都国際映画祭2019でご覧いただく『花折り』は帰国後に自主製作した人形アニメーションの記念すべき第1作。「日本の伝統的様式を生かした人形文化」ということで、師匠である劇作家の飯澤匡さんに勧められた壬生狂言に題材を求められました。1967年に発表し、トルンカさんにも観て貰われたそうです。いったいどのような感想を述べられたのか気になりましたので、壱岐先生にお尋ねしたところ、壱岐先生も直接そのことを川本さんにお尋ねされたことがあるのだとか。「具体的なことはお話いただけなかったのですが、人形に無理な演技をさせない方が良いという趣旨のアドバイスがあったということを川本先生はおっしゃっていた」そうです。

そして、トルンカさんは常々「人形は人間のイミテーションではない。人形はできるだけ動かさない方が良い。静止した人形に光と陰で表情を与えるとき、人形は素晴らしい力を発揮する」とも語っておられたそうです。

ところで、1947年持永さんが『皇帝の夢』、1948年トルンカさんが『皇帝の鶯』を、共に全身関節入りの本格的人形アニメーションとして作られましたが、どちらのタイトルにも「皇帝の」とついています。壱岐先生にお尋ねしましたら「『皇帝の夢』は当時の中国政府のトップであった蒋介石氏を京劇風の人形アニメの物語中で皇帝として揶揄したものであり、『皇帝の鶯』はアンデルセン物語の『皇帝のナイチンゲール』を人形アニメにしたものです。後者も中国の皇帝を取り上げているのですが、全くの偶然に過ぎません」とのことでした。

『皇帝の鶯』はパントマイムと音楽で物語が進んでいきますから、壬生狂言『花折』と似ていますね。ですが、川本さんの人形アニメーション『花折り』には、一人だけ声の出演者があります。皆さんもよくご存じのお方。それはいったいどなたかしら?ぜひ明日、111年の歴史を有す大江能楽堂で11時20分から上映される「京都ゆかりのアニメ作品」でお確かめください。

京都国際映画祭2019京都ゆかりのアニメーションA-1 - コピー

そして、これを機会に、ぜひ壬生狂言を実見していただければと思います。春の公開「壬生大念佛会」、「秋の公開」、「節分の公開」とあります。12日の特別公開時も、小学生から80歳代の長老まで熱心な「壬生大念佛講」の人々が演じておられました。地元在住の人々で、壬生狂言がその職業ではなく、それぞれ本業を持ちながら、約700年の歴史がある「壬生大念佛狂言」を継承するために尽力されています。拝見しながら、とても尊いことだと思いました。子どもたちや青年が太鼓や笛の演奏者として、あるいは仮面をつけた演者として、伝統の舞台でベテランたちと一緒に演じている様子は頼もしさも感じました。ぜひ機会を捉えて、壬生寺でご覧下さい。お勧めします!!!!!

 

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