おもちゃ映画ミュージアム
おもちゃ映画ミュージアム
Toy Film Museum

2024.04.16column

メディアとしての着物“面白柄”を染めていたのは、何処?

正月から3月3日まで開催していた『友禅染の着物で“映画”をまとう~初期映画と染織に尽力した稲畑勝太郎にも触れて~』で、草原真知子・早稲田大学名誉教授の珍しい着物や帯、端切れコレクションを展示しました。今着て歩いても、とても個性的でおしゃれだと思う柄がたくさんあり、目を楽しませて貰いました。ご来場いただいた皆様も同様に感じられたのではないでしょうか。

「きっと京都で染められたに違いない」と草原先生が仰っていたのが忘れられず、その染屋さんを探して京都の街を自転車であちこち行きました。まだ途中ですが、忘れないうちにそのメモを書きます。

2月16日京都新聞で「第75回京友禅競技大会」が京都産業経済センター(元・京都産業会館)で開催されていると知り、のぞいてきました。伝統の技術を駆使しながら現代の人々に好まれるデザインの華やかな振袖や留め袖、子ども向けの着物など161点が並んで美しい眺めでした。一周した後で思い切って、受付におられた業界の重鎮に違いないと思われる和服姿の男性に尋ねました。小冊子8『着物柄に見る幻燈・映画・映写機』と今回の展示品に写真を添えたリストをお見せしながら、「こういう着物を染めておられたお店を探しているので、ご存知でしたら教えて下さい」と頼みました。

それらを繰りながら件の男性が教えて下さったのは「そうだなぁ、岡重さんかもしれない」。全くあてもなく一世紀近く前に染めた着物が生まれた場所を探そうというのですから無謀だと分かっていたのですが、具体的に「岡重」さんの名前を教えて貰って、明かりがさしたような気持ちになりました。戻ってから、早速検索して連絡しました。ありがたいことに3月11日、社長さんが対応して下さるとの返事。草原先生が近畿にお住まいだったらお誘いしたのにと思いながら、その日が来るのを待ちました。

会場で配っておられた小冊子が良かったので、草原先生用と2部貰ってきました。京都友禅協同組合の発行です。

京友禅の製作工程の動画がご覧になれますので、ぜひQRコードからアクセスしてみてください。とても手間暇をかけて丁寧に作られています。

 

おもちゃ映画ミュージアムは、もともと京友禅の型染をやっていた家でした。10年間空き家でしたが、当時は友禅板も残っていて、一部は今も館内で使っています。もとはモミの一枚板で着尺の半分の長さの7mありました。「切らないでそのまま置いておいて」と家主側大工さんに言ったにもかかわらず、3枚に切断されてガックリした思い出があります。“馬”という友禅板を乗せて安定させる道具も土間に差し込んだままでした。友禅板の上に反物をのせて、その上に型紙を置いて染めていきます。残り半分を染める時、模様が綺麗に連続するよう染めるのが腕の見せどころ。上には友禅板を乗せるフック状の金具も下がっていました。

参考に今日訪問してきた「着物メイキングスタジオ&ショップ カラーズ京都」の店内写真を載せます。天井にたくさんの友禅板が並んでいて、床に“馬”が1対設置してあります。おもちゃ映画ミュージアムのホールは着尺の長さに対応した作りで、元は立ち仕事をする膝に負担がかからない土間でした。作業場は北側にあり、その天井には天窓があって、季節を問わず一定の採光ができるように工夫されています。今は上映の妨げになるので、天窓は黒いシートで覆っていますが。

いただいた小冊子には岡重さんも載っていますので、写真のQRコードを読み取ってご覧下さい。創業は江戸末期の1855(安政2)年。今回の展示には化学染料をフランスから持ち込んだ稲畑勝太郎にも触れましたが、岡重の創業者は当時開発されたばかりの化学染料をドイツのバイエルン社からいち早く輸入し、研究を始めています。それは2代目にも引き継がれ、京友禅が産業として発展するよう様々に取り組みました。型染小紋が普段着として定着するにつれて岡重の生産も拡大します。

明治大正にかけて京都の町に200人規模の工場を2か所構え、図案職人さんだけでも20人を擁していたそうです。その内の1か所は当館の近くの岩上町にあったということです。これには驚きました。全くの偶然ですが、2017年6月27日、ガラス戸越しに若い職人さんが型染友禅の作業をされているのが見えて、思わず自転車を降りて声をかけ、中を見せて貰ったことがあります。その場所がまさに岡重さんの工場跡の一つだったのです。

先述の「カラーズ京都」(中京区岩上町)の場所が京友禅発展に貢献した岡重さんの工場跡だとご存知だったか否かが気になって仕方がないので、先ほど再訪し代表の長瀬澄人さんに尋ねました。

結論から言えば、当初はご存知じゃなく、7mの友禅板が置ける場所を探していて、このマンションを見つけたのだそうです。1979年にマンションが建つまでは岡重さんの工場があったようです。

歴史が好きで物知りの長瀬さんにいろいろお話を聞かせて貰いました。宮崎友禅の名前は知っていても、廣瀬治助(1822-90)の名前は知りませんでした。彼は化学染料を混ぜた色糊を用いて「写友禅」を考案し、多色刷りを可能にして、手描き友禅、型染め友禅の量産と普及に貢献しました。長瀬さんによれば、治助さんは岡重の染めの職人だったそうです。帰ってからネットで検索しましたら、治助さん縁の「越後神社」、別名「友禅神社」が、これもミュージアムの近くにあることが分かったので、ひとっ走りしてきました。六角通りを東へ進み、堀川を越えてすぐの越後町内住宅地の中にひっそりとありました。かつてこの地に大池があり、治助さんは染工場を建て、その水を友禅染めに用いていたそうです。いつも自転車で六角通りを走っているのに、少しも気付かずにいました。京の街は実に奥深いです。

ネットでの拾い地図ですが、越後神社の西に㈱岡重がありますね。いつの地図かしら?長瀬さんに教わったのですが、堀川通一筋西の岩上通りの三条通から四条通りにかけてだけでも、染めの家が約200軒もあったそうです。それからもう少し西の壬生車庫にかけての一帯は型染の技術が育った地域だそうです。「草原先生の見立ては外れてないなぁ」と聞きながら思いました。

話は少しそれますが、長瀬さんの父方のおじいさまは染織の仕事をされていましたが、母方のおじいさまは大映の俳優兼殺陣師をされていた楠本栄一さんでした。丁度今、勝新太郎さんや市川雷蔵さんの時代劇ポスターなどを展示していますが、それらの映画で殺陣を担っておられたのだそうです。映画とも繋がって面白い出会いです。

岡重さんの型染の型を彫る職人さんは壬生寺のすぐ傍にお住まいでした。以前「型を彫る職人さんも少なくなった」と市役所の方に聞いたことがありましたが、その職人さんも近所だと分かったので、いつかお話を聞きに行きたいと思っています。それから、最近知ったばかりなのですが、これも当館の近くで「カラーズ京都」の一筋西の猪熊通に面し、四条を少し上がったところにある「松伊 太田製糊工場」も友禅繋がりの老舗でした。

老舗も老舗、創業は安土桃山時代の天正期、松尾屋伊兵衛が起こした「伏見屋」だそうです。三代目以降「伊」の名前を継承したので「松伊」の屋号を今に。現代は十二代目!糯米粉、酒米粉、塩に水を加えて昔ながらの技法で友禅・型染用糊を作っておられます。しょっちゅう店の前を通っているのですが、サイトの店奥で作っておられる様子を見て、びっくりポン!見学したい気分満杯です。京の小路を走っていると悉皆屋さん、湯のし屋さん、絞染屋さん、黒染め屋さん、組紐屋さんがあったりと街のあちこちで伝統産業に従事する家が見受けられるのも良いですね。長瀬さんに西院のところにある巴製糊工業㈱もあると教えて貰いました。糊にも個性があって、それぞれの家の製品に合う、合わないの相性があるのでしょう。

「染めに関する工程、道具作りも含め、それぞれの家が継承している技がありますが、それを担ってきた団塊の世代が今や75歳前後で、後継という面では限界に達しているのではないか。技術の継承ができている家は30あるかないか位ではないか」と話しておられたのが気にかかります。インバウンド、観光ばかりに目が向けられていますが、日本が得意としてきたモノづくりへの支援と保護も重要だと危機感を覚えました。

話は戻りますが、3月10日「第29回京手描友禅作品展」が岡崎のみやこめっせで行われていると知って、“面白柄”について情報が得られないかと思って出かけてきました。

手描き友禅の美しい着物がたくさん展示してあり、海外の人たちにもこのような場を見せてあげたら喜ばれるだろうなぁと思いながらゆっくりと一周しました。係の人に「“面白柄”について尋ねたいことがある」と2月16日と同じように声掛けをしましたら、五代目田畑喜八さんを紹介して下さいました。日本染色作家協会理事長、京染会理事長、日本伝統工芸士会名誉相談役と要職を務めておられるお方。残念ながら“面白柄”についてはご存知ではなかったですが、「もっと長老の方に尋ねてみてあげる」と言って下さっただけでも良かったです。NHKワールドHPで田畑さんを紹介した映像が2025年9月27日までご覧頂けます。こちらをクリックなさってください。

会場周辺で、市内の様々な伝統工芸品を作っておられるお店の方々の展示があり、小冊子『京に生きづく手しごと』(京都市伝統工芸連絡懇話会)も貰いました。京つげぐし、きせる、京和傘、提灯、花かんざし、和ローソク、截金、能面、京弓、邦楽器弦、調べ緒、唐紙、京金網、京真田紐、茶筒、額看板、かつら、かるた、京瓦、京丸うちわ、三味線、伏見人形、水引工芸、京こま。「さすが京都だなぁ」と思いました‼こういったモノづくりの伝統が、映画の小道具を支えてきたとも言えますね。

さて、翌3月11日予約しておいた岡重さん(中京区木屋町御池上ル上樵木町)を訪ねました。掛かっている暖簾をくぐる迄の路地がとても絵になる光景です。丁度戻ってこられたばかりの社長の岡島重雄様にご挨拶して、遠慮なく上がらせていただきました。ひとしきり、いろんな興味深い話を聞かせて頂いたあとで、傍に積み重ねてあった友禅染見本帖を見せていただきました。先にメールで訪問の趣旨をお伝えした時に、展示していた資料のいくつかの写真も添えたのですが、お返事には「探されている着物の柄が弊社にあるかどうかは定かではありませんが、添付して頂いた画像で室内に飾られているパネルの図柄の中に弊社に保管している古い(100年以上前)図録の中にある1枚が確認できました」とありましたから、期待値はマックス。

岡島重雄社長の曾祖父岡島卯三郎さんが創業し、祖父の重助さんが二代目、父上の重一改め重助さんが三代目、そして四代目が重雄さんです。京友禅が生まれたのは江戸時代中期の元禄の頃で、有名な知恩院の門前にいた扇絵師宮崎友禅が小袖などの衣装の文様を描いたのが始まりだと言われています。糸目糊を使うことによって色と色が混じり合って滲まないようにする防染技術と手挿し技術によって絵画のような友禅染の技術が確立されました。

稲畑勝太郎さんが京都府派遣留学生8人のうちの最年少15歳でフランスのマルチニエール工業学校で染織技術の基礎を学んだのは1877(明治10)年のことですが、それよりも早い明治元年に、初代卯三郎さんは他に先駆けてドイツから化学染料の輸入を開始しています。

以上のことは、お会いした折に頂戴した上掲『岡重コレクション 京都テキスタイル 友禅の新しい可能性』(婦人画報社、2012年発行)を参考にして書いています。ここからは勝手な推測ですが、二代目重助さんはプロデューサーに徹して、廣瀬治助さんが考案した化学染料を用いた色糊と型紙を用いて染める「型友禅」の方法を活かして、生産効率を上げ、大衆化を促進しました。化学染料は色が豊富で発色が鮮やかなので、当時の人々の目にはさぞかし新鮮で美しく映ったことでしょう。今は暗渠になっているミュージアム近くを流れる堀川ですが、かつては桂川、白川などと同様にこの川でも友禅流しが行われていました。映画『夜の河』(1956年、大映、監督:吉村公三郎、主演:山本富士子)を連想しますが、環境への配慮から今では鴨川で観光客向けにデモンストレーションが行われるのみです。

岡重コレクション最初の見本帳の扉を開けたところには、明治初め、西洋の化学染料を用いて初めて写し染めをしたことが添え書きにあります。

明治15、6年頃の当時の新工夫による捺染だと書いてあります。

今や江戸時代の絵師、曽我蕭白や伊藤若冲の絵は大変な人気ですが、もっと早くから彼らの画風に注目して羽裏にデザインしています。明治27~28年の「松鶴文様」。

「軍鶏文様」。こんな羽裏を仕立てた着物を身に纏い、どこかの宴席でハラリと脱いだ時にチラッと人目に触れたら、一瞬にして視線を集めちゃいますね。お客様に教えて貰った言葉、「裏勝り」。粋ですねぇ。

大正時代の「波頭に海老貝文様」。図案職人の中には、ふらりと下駄をはいたまま海外へ行ってきたというツワモノもいて、そういうのを許す自由な気風があったのでしょうね。彼等の目に映った異国の風景や文物がイマジネーションをさらに掻き立て、斬新なデザインとなって「他とは違う」自尊心を満足させたのでしょう。私は赤い鯛を一杯描いた羽裏柄の“鯛尽くし”が気に入って、せめて風呂敷を買いたかったのですが、品切れで残念。

岡重初代の卯三郎さんと二代目重助さんの時代に手掛けた明治から大正、昭和初めまでの羽裏の染見本帳を見せて頂きながら、展示していた“面白柄”とよく似た色使い、発想のものも見られましたし、

この『日本の粋と伊達 羽裏 岡重コレクション』(アシェット婦人画報社、2006年)をめくりながら「骸骨舞踊文様」の色彩や、「ファッションプレート文様」「モダン絵画文様」「舞妓絵姿文様」などからも同様に感じました。

写真は「ファッションプレート文様」。「他にも作っていた店はあるかもしれないが、岡重さんでも作られていたに違いない」と思われてなりません。顧客に映画ファンがおられ、その方の意向を尊重しながら、図案家たちにデザインして貰っていたのでしょう。これ見よがしではなく、羽裏という見えないところに凝る粋さ、贅沢さに「凄いなぁ」と思います。

展示していた“面白柄”コレクションは、草原先生が一生懸命キャプションを書いて下さいましたので、それを添えて資料編として小冊子にまとめたいと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その前日3月10日、京都新聞で「手描き友禅染め競技大会」が岡崎のみやこめっせで開催されることが載っていましたので、同様に“面白柄”についての情報がないかと思い、急いで向かいました。

 

 

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