おもちゃ映画ミュージアム
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Toy Film Museum

2026.07.29information

<戦後81年、遠ざかる記憶/近づく足音>ドキュメンタリー映画『がれきのにほんれっとう』16㎜上映会

毎年8月に戦争と平和を考える催しをしてきました。今年は3月に知り合った日系四世の方に、ご家族から聞いておられるアメリカでの日系人強制収容所での話をしてもらう予定でしたが、ご本人の都合が悪くなり、見送ることに。「はて、どうしよう?」と思っていたところに、ついでがあって昨年12月に東寺ガラクタ市で見つけた2本の16㎜フィルムをテレシネ(デジタル化)しました。これが、今回上映する『がれきのにほんれっとう』です。

1983年に「がれきのにほんれっとう」製作委員会によって、第一部:ヒロシマ・ナガサキ編▼第二部:主要都市編(東京大空襲をはじめ、全国の主要都市が空襲で焦土と化した様子を追った映像)の2種類が製作されました。今回上映するのは、その第一部ヒロシマ・ナガサキ編です。監督の阿部野人(やひと)氏には、現状さほど情報がないのですが、本名の阿部孝男で監督した1967年日本原水爆被害者団体協議会製作『記録なき青春』(田村正和主演)があるようです。

ひらがなのタイトルからうかがえるように、子どもたちにもわかるよう作られた平和教育用ドキュメンタリー映画で、1945年8月6日広島と9日長崎に投下された原子爆弾によって、一瞬にして瓦礫と化した街の、人々の容赦ない惨状を伝えています。これをみると人類は決して二度と原爆を使用してはならないと誰しも強く思うことでしょう。核兵器は単にでっかい爆弾ではありません。無差別殺害をし、あらゆるインフラを破壊し、文化や文明をも絶滅させ、世代を超えて影響する非人道的爆弾です。映像は核を使用すれば、どのような事態になるのかを克明に記録しています。

1945年、米国戦略爆撃調査団は広島と長崎に投下した原子爆弾がどのようになるか、その「効果」を測定するために撮影していました。それらのフィルムはアメリカ国立公文書記録管理局で長く保存・封印されていました。1980(昭和55)年、草の根運動のひとつとして「10フィート運動」がスタートします。その契機になったのは、1978年第1回国連軍縮特別総会(SSD)に届けようと原爆写真集を出版した「子どもたちに世界に!被爆の記録を贈る会」メンバーが、アメリカで写真展を開いた折に、同調査団のカメラマンだったハーバート・スッサン氏と出会い、アメリカ国立公文書館にフィルムが所蔵されていることを知ったこと(2024年9月30日中国新聞参照)。全部で約8万5千フィート(26000m)あったフィルムを、市民一人ずつが10フィート分約 3000円の募金をして、このフィルムを買い戻そうという運動は全国展開し、50万人以上が参加したそうです。

広島大学平和研究センターの当時の研究員永井秀明さん、この運動の事務局長となる岩倉 務さんらが中心になって活動が展開されました。買い戻したフィルムで第一作『にんげんをかえせ』(1982年、橘祐典監督)▼第二作『予言』(1982年、羽仁進監督)▼第三作『歴史=核狂乱の時代』(1983年、羽仁進監督)の三部作が製作されました。

『がれきのにほんれっとう』もそれらの活動の成果物のひとつと思われ、当時の教育現場や労働団体、戦災記録団体が協力しています。手元にあるのは、おそらく各地での上映会用に貸し出されたフィルムの一本だろうと思います。子どもたちの作文、手記が映像に被せて紹介されています。子どもの目や体験を通して、どのように現実を受け止めていたか。昭和の平和運動と被爆記録の映像史的資料として貴重なものだと判断し、当時と同じ16㎜映写機で上映します。今では滅多に目にすることができなくなった映写機から放たれる「光の帯」もぜひ体験してみてください。

戦争経験者たちが少なくなり、「戦争がどのようなものだったか」直接話を聞く機会は少なくなってきました。当日ご覧いただく戦前の長崎を9.5㎜フィルムで撮影したホームムービーには、撮影された管 重義さんの母校長崎医科大学付属病院(現・長崎大学病院)の様子や、浦上天主堂、長崎市内の様子が記録されています。カメラを向けられ恥ずかしそうにしている看護師さんの笑顔が、それ以降の歴史を知っている立場からはとても辛いです。浦上天主堂に向かう子どもたちの様子などかけがえのない日常が一発の原子爆弾で奪われました。

この映像をカラー化して下さった東京大学大学院渡邉英徳先生のチームが作成された大変な労作「ヒロシマ:アーカイブ」と「ナガサキ・アーカイブ」のサイトもぜひクリックしてご覧ください。ひとりでも多くの方にご覧いただきたいと思い、ここで紹介させていただきます。

ブックトークで登壇して下さる後藤由美子さんは、家庭文庫「わたぼうし文庫」を30年近く運営し、京都家庭文庫地域文庫連絡会会員・運営委員、連絡会で作る「戦争と平和を考えるブックリスト『君には関係ないことか』」編集委員、掲載された本を集めた平和文庫を担当し、平和のイベントにも出前するなどの活動をされています。

後藤さんには、下掲本『ヒロシマ 消えた家族』(ポプラ社)」を紹介して頂きます。広島にお住まいだった鈴木六郎さんが家族を撮った微笑ましい写真に、指田和さんが文を添えられた作品です。ご家族は原爆の被害に遭い亡くなりましたが、写真は疎開させていたことで今日に残りました。

愛らしい笑顔💗同じように未だ戦火が止まない紛争地でも、このような笑顔が奪われ続けています。小泉防衛大臣はドイツ訪問時に核兵器について、必要であると述べ「あらゆる選択肢を排除せずに論議」する必要があると述べました。唯一の被爆国である日本こそ、率先して核兵器の恐ろしさを世界に伝え、核兵器に依存せず対話による平和構築に尽力すべきだと思います。神戸女学院理事長・凱風館館長内田 樹さんが「戦争を甘く見る空気」があると新聞のコラムで書いておられます。戦争を知らない今の為政者たちは、「我が国を取り巻く安全保障環境の変化に対応する」ために平和憲法を変えようと躍起になっていますが、多くの戦争経験者たちは「二度と戦争はしてはいけない」とそれぞれの体験から訴えています。ぜひ、先に紹介した「ヒロシマ・ナガサキ:アーカイブ」をクリックして、証言をお読みください。

上映する『がれきのにほんれっとう』の最後は、峠 三吉さんが1951年8月第1回広島平和大会に捧げようとガリ版刷り本として出した『原爆詩集』の「序」が朗読されています。

……

ちちをかえせ ははをかえせ

としよりをかえせ

こどもをかえせ

わたしをかえせ わたしにつながる

にんげんをかえせ

にんげんの にんげんのよのあるかぎり

くずれぬへいわを

へいわをかえせ

……

峠さんは、爆心地より3キロ余り離れた自宅から広島市内中心部に向かって外出する直前に原爆を受け、1953年3月国立広島療養所で亡くなりました。享年36歳。ガリ版刷り本から10か月後の1952年6月青木文庫版が公刊されます。詩集の中には「1950年の8月6日」という題の詩もあり、この日平和式典が禁止され、全ての集まりが禁止され、武装と私服の警官に広島の街は占領されたことを今頃私は詩集を手にして知りました。そういう思いを経て「にんげんをかえせ」が綴られたのですね。「あとがき」に、「日本の政治的状況が、いかに人民の意思を無視して再び戦争へと曳きずられつつあるかということの何よりの証明にほかならない」とあり、現状と重ねて読みました。

『原爆詩集』は、1995年7月7日に青木書店から新装復刻され、最後に哲学者鶴見俊輔さんが「1995年の解説」を書いておられます。それによりますと、

…敗戦後ただちに日本のニュース映画作者は物理学者・医学者と協力して、広島と長崎の記録をつくりに行った。このことはやがて、アメリカの科学者に知られ、アメリカ軍に知られ、来日共同の作業にくみいれられた。できあがったものは、すべてアメリカにもちさられたかに見えたが、処罰を恐れぬカメラマンの機転によってコピーは日本人のあいだにものこされた。やがてアメリカからもかえされる時が来た。今、これ「広島・長崎における原子爆弾の効果」を見ると(略)…

とあります。この映画の題『The Effects of the Atomic Bomb on Hiroshima and Nagasaki』は、1967(昭和42)年に日本に返還され、『広島・長崎における原子爆弾の影響』に替えられました。撮影していたのは1941年に戦時統合された社団法人日本映画社でした。1945年9月より撮影を開始し、1946年4月下旬に完成、5月4日東京の日比谷公会堂で米国関係者対象に試写会が行われましたが、日本では公開されることのないまま未編集のフィルムも含めアメリカに接収され、秘匿されました。

2009年2月25日~7月15日広島平和記念資料館で開催された企画展「廃墟にフィルムを回す―原爆被災記録映画の軌跡」によれば、接収される前に製作スタッフの機転で未編集フィルムが三木映画社現像所で秘匿されました(今は日本映画社の後身である日映アーカイブで保管されているそうです)。1952(昭和27)年に占領が終わると、秘匿・保存されていたフィルムが国内でニュース映像や映画で活用され始め、同時に、映画製作に協力した科学者たちがアメリカの科学者を通じて映画の所在確認に尽力します。米日の返還交渉の結果、1967年に16㎜フィルム複製版として返還されました。

線画が理解を進めるために効果的に用いられているようですが、担当者が誰かどのサイトでも触れていませんが、先にドキュメンタリー映画『月の輪古墳』の折に、日本アニメーション史研究者小松沢甫さんが「村田安司さんは戦後は線画を活用した『原子爆弾の記録』『インパール作戦』(1950年)が映画史に残る功績だと思います。」と教えて下さったことを思い出しました。改めて氏に確認すると、「原子爆弾の記録」が『広島・長崎における原子爆弾の影響』のことでした。戦前は切り紙アニメーションの名手でしたが、戦後は解説線画の名手として絶大な信頼を得ていたことがわかります。

ここで触れた『広島・長崎における原子爆弾の影響』、『にんげんをかえせ』『予言』『歴史=核狂乱の時代』の三部作、『がれきのにほんれっとう-ヒロシマ・ナガサキ編』のどれもが、核兵器が二度と使用されないために、広島、長崎であったことを知ってほしい、後世に被爆の惨状を伝えたいという思いで製作されています。

今日は京庫連平和文庫からお借りした中沢啓治さんの『はだしのゲン わたしの遺書』を読みました。6歳の時に被爆した中沢さんが遺書として書いたこの本の最後の章に、「『戦争は人間のもっとも愚かな業』というのがぼくの持論です。戦争はきっと、忘れたころにまたやってきます。そのためにも、戦争があったら、核兵器が使われたら、どんな事態になるかを知って、それを阻止する力を結集しなくちゃいけないと思っています。(略)核兵器は、何が何でもなくさなくちゃいけない。それしか、道がないのです。(略)核は本当に悲しい。その被害は、落ちたそのときだけで終わりません。後々まで続く放射能被害が被爆者を長年苦しめるのです。」

8月16日は大文字送り火。亡くなった多くの方のことを映画やお話を聞きながら偲び、平和を考える日にしましょう。ご参加をお待ちしております。定員24名(予約優先)、参加費は入館料込み高校生以上2000円、中学生1600円、小学生1000円。冷房をしていても不十分ですので、出来るだけ涼やかな服装でお越しください。自転車でお越しの方は、道路に置かず玄関入った場所に駐輪してください。宜しく御願い致します。

ピカは人が落とさにゃ落ちてこん」(丸木位里・俊夫妻の原爆絵本『ピカドン』より)

 

 

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