おもちゃ映画ミュージアム
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Toy Film Museum

2022.02.13column

2月13日は国産アニメーションのパイオニアの一人、北山清太郎命日

 

今日2月13日は、日本アニメーションのパイオニアの一人、北山清太郎が亡くなった日。1945年2月13日、3月3日に迎えるはずの57回目誕生日直前でした。この写真はお孫さんの安田彪さんがお祖父様のことを丹念に調べて編まれた『日本アニメーション創始者 北山清太郎傳』に収められた一枚です。

2017年が国産アニメーション誕生100年だということで、京都国際マンガミュージアムで催しがあった時に知り合いました。そのご縁で下掲チラシのように、当館でも催しをすることが出来、資料のほとんどを安田さんにお借りしました。

この展覧会をした時に、北山清太郎がアニメーションだけでなく、それに先駆けて絵画の面で多大な貢献があったことを知りました。

昨日SNSで、京都国立近代美術館で開催されている「岸田劉生と森村・松方コレクション展」を観に行ったことを書きましたら、いくらか反響がありましたので、こちらにもコピペして書くことに。

……京都国立近代美術館で開催中の「岸田劉生と森村・松方コレクション展」を観てきました。図録をデザインされたのがアニメーション作家岡本忠成のお孫さんの洋平さんだと知って、いそいそと。
2019年1月5日~2月10日に「国産アニメ誕生102年、パイオニアの一人北山清太郎関連の資料ミニ展示」をした折には、北山清太郎のお孫さんの安田彪さんにご協力いただきました。
 
清太郎は、美術雑誌を発行することで水彩画や洋画を広め、画材を通信販売したり、通信添削や各地で講習会を催し、展覧会開催に尽力し、そのカタログを作るなどして、画家たちを支援していました。その中に木村荘八や岸田劉生もいたので、清太郎のことにも触れているかと期待して行ったのですが、極々短いフレーズで触れているに過ぎず、そのことが残念でした。
 
昨年3月同美術館が劉生の作品42点を一括収蔵し、従前からの所蔵品と合わせて劉生の画業全体を辿るもの。それを居住した「銀座」「代々木・玉川」「鵠沼」「京都」「鎌倉」の5つに分けて展示していました。京都には関東大震災に遭った1923年から26年まで移り住んで、古美術に魅了されます。うちに版画がある榊原紫峰とも交流があったのだと知りました。劉生が生きた時代の作品群に紫峰の作品が展示されていなかったのもちょっと残念でした。
それにしても38歳の若さで亡くなったのは惜しまれます。展覧会は3月6日まで。……
 
展示だけでなく図録でも北山について触れて書いていたのは僅か1文だけでした。もっと知って貰いたいなぁと思っていたら、今日が命日だということに気が付いて、再度SNSで以下のように書きました。
 
……絵画の分野でも多くの貢献をしましたが、その後取り組んだアニメーションの分野でも作画や撮影を分業でこなし、集団で作品を量産するやりかたを編み出すなど、今日に繋がる貢献をしています。2018年に公開された北沢楽天の生涯を描いた『漫画誕生』には、同じくアニメーションのパイオニアの一人、下川凹天が弟子として登場します。北山清太郎の生涯も誰か映画にして下さらないかしら?……
 
ここではアニメーションのことを書いていますが、北山は映画やニュース映画の仕事もしていました。
大毎キネマ・ニュースで当時の製作スタッフと一緒に写した北山(右端。『日本アニメーション創始者 北山清太郎傳』から)。上海にも取材で訪れています。撮影だけでなく、字幕の仕事もしていたと安田さんからお聞きしました。アイデアに富み、器用になんでもこなす北山を主人公にした映画出来たら良いですねぇ。
今日の午後も手元にあったフィルムを整理していたのですが、その中に「内務省検閲合格」印がある35㎜フィルムの断片がありました。
本来は冒頭のタイトルのところに押印されていると思うのですが、中の部分にも押されていたのかも知れません。
フィルムの表面から。
そして、フィルムの裏面から。
スキャンしてみた映像がこちら↓です。
残念ながら、相当劣化していて救うことができません。乾燥しきってパリパリになって音を立てて割れました。こうなる前に救えたら良かったのですが。せめて何というタイトルの映画かわかれば良いのですけど。北山清太郎も映画に携わっていたので、そうした作品にも同じように検閲印が押されていたのでしょうね。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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