2023.07.06column
北海道で特別展「生誕120年・没後60年 小津安二郎 世界が愛した映像詩人」開催中!
3日北海道立文学館から、上掲『生誕120年・没後60年 小津安二郎 世界が愛した映像詩人』の図録が届きました。刷り上がって間もないワクワクする手触り、香りです。北海道で初めて開催される小津安二郎展に、私どももほんの少しばかり協力させていただいたおかげで、図録最後の謝辞のところに名前を載せて頂き、望外な喜びを味わっています。と言いますのも、小津監督が揮毫した「山中貞雄之碑」文を拓本した軸を展覧会にお貸ししたのです。
拓本の元になる「山中貞雄之碑」そのものは京都市上京区の大雄寺境内にスックと建っています。この拓本取りが出来た背景には、この「小津安二郎」展の中心人物で、公益財団法人北海道文学館副理事長、全国小津安二郎ネットワーク会長の中澤千磨夫先生との出会いがあればこそなのです。
出会ったのは、2018年9月16日のこと。それは「山中貞雄を偲ぶ会(山中忌)」の前日でした。「アニメーション史を牽引してきた功労者 渡辺 泰展~その研究活動と功績~」をご覧になっているお客様の一人としておしゃべりしているうちに、どうした流れだったのか忘れましたが、「私にはひとつ夢があり、それは山中貞雄の死を悼んで建てられた大雄寺境内に建つ大きな碑文を拓本で残したいということ。でもそれを実行する伝手がない」と初対面なのに申したのです。いきなり何を言い出すのかときっと驚かれたことでしょう。
私には、ミュージアムを立ち上げる前に主宰していた「木津川の地名を歩く会」で、石造物に詳しい会員の指導で拓本教室を催した経験があり、最小限の拓本の知識はありました。「山中貞雄之碑」を実際に見た時、「これを拓本で残したい!」と思ったのです。でも、この碑の大きさは半端なく、自分らで何とかなるとはとても思えず、専門家に依頼するつもりでしたが、その前に拓本を取らせて貰えるのか否かが大きなハードルだったのです。
そうしたら、思いもかけず、その翌日中澤先生から電話がかかって来て「お寺に拓本の許可を得たから」とのこと。「えぇっ、まさか‼」と思わず声が出てしまいました。その後無事拓本にして軸装し、毎年山中貞雄が中国大陸で戦病死した9月17日前後に掛けてご覧頂いています。そして、今年は北海道でもご覧頂けていることをとても光栄に思っています。
先ほど北海道に住む無声映画、活弁にすっかり魅了されている若い知人がツイッターで、
「道立文学館へ小津安二郎展を見に。数々のプログラム、チラシ、ポスター、小道具から私物迄非常に見応えありました。展示プログラムには道内のものもあり、小林多喜二が説明を絶賛した織田暁堂(作品は『巴里の女性』!)、札幌最後のカツベンと言われた東條秀声の名前が見え、一人ほくそ笑む」
「おもちゃ映画ミュージアムさん所蔵の山中碑の拓本も、『人情紙風船』のポスターと並び展示されておりました。小津監督の戦地での様子が記された新聞記事もあり、感慨深いものがありました。パンフレットも買いましたので、これからじっくり拝見します」と呟いているのを読んで、今度は私が「一人ほくそ笑む」。
このパンフレットについても、どうだったか尋ねたら、「図録は1400円です。図録にしては小さめで、持ち運びしやすく有難いですね。」とのこと。小津監督小学3年ぐらいの手作りのまわし姿のモノクロ写真の可愛らしいこと。表紙の写真を時計と反対方向にタイムスリップしたまんまのお顔。図録に載っている中澤先生の言葉から、図録は“小津好みの緑”に彩られていることが分かります。中澤先生が21作品の見どころを紹介したのに続き、17名の方々による小津監督への愛に溢れた文章が載っています。中でも、私は存じ上げている影山 理さんの「山中貞雄を偲ぶ会(山中忌)について」を興味深く読みました。
小津さんは緑だけでなく、赤色もお好きだったのですね。影山さん文章の最後から2段落目。「小津が好んだ赤い色、彼岸花、そして雁来紅。山中に赤紙が届いた翌日、小津家を山中たちが訪れた。庭を見ていた山中が『おっちゃん、ええ花植えたのう』と呟く。庭は秋に近い日ざしを受けて雁来紅がさかりだった-そう記した小津。『河内山宗俊』の原節子をその後、自らのヒロインに起用したり、度々映画に登場する雁来紅など、映画に山中への思いを描き続けていたのではないか…。」
ネットで検索すると、雁来紅は「がんらいこう」と呼び、ハゲイトウのことだそうです。他にも『突貫小僧』に出てくる権寅親分の家にあった“バナナキャラメルの箱”とか、ボーッと見ていたら気付かずにいた小物たちのことも含め、「今度小津監督の映画を見る機会があれば、細かいところまで目を凝らそう」と図録を読みながら思った次第です。
先日某有名大学社会学部のゼミ生一行が見学に来て下さった折、社会学部だからと思って、連れ合いが作った「おもちゃ映画で見た日中戦争」の中のニュース映像をいくつかお見せしました。そもそも連れ合いがこの映画を作ろうと思ったきっかけは、コロナで“STAY HOME”が叫ばれていた頃、所蔵する映像を整理していて、その中に山中貞雄そっくりな人物を、中国大陸で万歳をしているニュース映像に映る一群の中に見つけたことからでした。そのことを学生さんたちに話しても、直ぐに「彼らの中には、山中貞雄を知る人はいない」と分かり、傍に大きく掲示している「小津安二郎 世界が愛した映像詩人」のポスターを指差しながら「じゃ、小津安二郎監督は知っているよね?」と問いかけましたが、首を横に振る学生さんたち。じゃ誰なら知っているのかと尋ねると、辛うじて「黒澤明監督の名前は聞いたことがある」でした。
2012年英国映画協会『Sight & Sound』誌上の監督が選ぶオールタイムベストテンで小津監督の『東京物語』が第1位、批評家が選ぶベストテンでは『東京物語』が第3位だったにもかかわらず。。。年配の人が懐かしがるだけでなく、若い人にも日本映画全盛期の名作を観る機会を何とか増やせないものかと思いました。この夏には木下惠介監督の展示を計画しています。きっと先のゼミ生たちは「それ、誰?」と思うことでしょうね。良い作品を期間中にみせてあげたいと思っても、松竹さんの上映料が高くて、うちのような小さな場所では持ち出しばかりになってしまうため、断念せざるを得ないのがとても残念です。
ちょっと愚痴ばかりになってしまいましたが、気を取り直して北海道立文学館のチラシ両面を改めて掲載します。催しもさまざまに計画されているようですから、ぜひ、この機会にお出かけください‼
【追記】「山中貞雄之碑」を拓本して作った軸は、超立派な展示ケースに入れてあることが分かり、ビックリしています。拓本が言葉を話せるなら「照れちゃうなぁ」と言うでしょう。きっと碑文に詳細に書かれている山中貞雄監督本人も、それを揮毫した小津監督もそう思って、天国で照れておられるに違いないと私は思います。
【7月10日追記】
先述の通り8月から戦後日本映画を牽引してきたうちのお一人、木下惠介監督展をします。そのための貴重な資料をお貸しくださる日本映画史家本地陽彦(ほんちはるひこ)先生からメールが届きました。今から28年前、取材で京都の映画縁の地を歩かれた時、漸く辿り着いた大雄寺の「山中貞雄之碑」の前で撮影した写真です。ありがたいことに、このブログを読んでくださって「如何に大きな石碑かということが、より具体的に判るかと思って」と、ご親切にお送りくださいました。本地先生、ありがとうございました‼
【8月12日追記】
北海道立文学館から展示風景の写真が届きました💗「軸は大きいので、小津の戦争コーナーでもひときわ目立っています」と添え書きがありました。