おもちゃ映画ミュージアム
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Toy Film Museum

2023.07.05column

試写会『福田村事件』

昨日、十三シアターセブンで開催された『福田村事件』の試写会があったので、出かけてきました。137分と長い作品ですが、こうした出来事が100年前の関東大震災の時にあったのだと多くの人に知って貰うには良いと思います。描き方に対し、個人的にはウームと思うところが無きにしも非ずですが、ドキュメンタリー映画を数多く撮ってこられた森達也監督初の劇映画。渾身の「実話にもとづいたフィクション」だということで、ぜひ劇場でご覧下さい。

『福田村事件』は関東大震災から100年の9月1日(金)に全国公開。京都では京都シネマ、京都みなみ会館で上映されるほか、出町座でもその後上映されるようです。

 

毎日「ヒロシマ通信」をメール送信して下さる熱心な方がおられて、そこに千葉県の虐殺の地をフィールドワークする催しの案内も載っていたのですが、なかなかミュージアムを閉めて遠出するわけにもいかず、指をくわえていました。今日になって、その折のレポートを詳細にブログ「茶色の朝を迎えないために」で書いて下さっている方がおられることに気が付きました。https://brownmorning.net/article/peace/fieldwork_20230611kantoudaisinsai/?fbclid=IwAR1bJbpRRd4WFPMY8f8QjFEJrn8bABGpnbhPwiCnWEGPT_-OVdqFUacptDo

実際の「現在地」を歩かれての感想や、資料、その後の調査で分かったことなど詳細に書いておられるのを読んで、感心しながら読ませていただきました。と同時に、果たして自分がその時代、その場にいたらどのような態度がとれたかと思いました。

ブログ最後辺りに紹介されている、この地域に残っていた日記の一部が、心に刺さります。

…………

大正十二年九月
一日 西区のA方で将棋をやる。正午大地震起る。何回となく続いて来る。午后二時頃帰宅、豚が子を産で居たので見てやる。変わりなし。
昼飯を食って又Aへ行って将棋をやる。地震の為火災起り紙片木片の飛び来るもの数多。或は横浜と云ひ或は東京と云ひ少しも解らない。警察の電話に依ると横浜市の由で有る。
二日 昨夜、Aで将棋をやったので昼頃迄寝て仕舞ふ。又Aで将棋をやる。
三日 (前略)夜になり、東京大火不逞鮮人の暴動警戒を要する趣、役場より通知あり。在郷軍人団青年団やる。

七日 (前略)午后四時頃、バラックから鮮人を呉れるから取りに来いと知らせが有ったとて急に集合させ、主望者に受取りに行って貰う事にした。(中略)夜中に鮮人十五人貰ひ各区に配当し(中略)と共同して三人引受、お寺の庭に置き番をして居る。
八日 (前略)又鮮人を貰ひに行く九時頃に至り二人貰って来る。都合五人(中略)へ穴を掘り座せて首を切ることに決定。(中略)穴の中に入れて埋めて仕舞ふ。皆疲れたらしく皆其処此処に寝て居る。夜になると又各持場の警戒線に付く。
九日 (前略)夜又全部出動十二時過ぎ又鮮人一人貰って来たと知らせ有る。之れは直に前の側に穴を掘って有るので連れて行って提灯の明りで、切る。(中略)
(『いわれなく殺された人びと : 関東大震災と朝鮮人』p.6〜8)

…………

豚の出産を見守った人が、役場からの「東京大火不逞鮮人の暴動に備えよ」という通達を受けて、村を守ろうと立ち上がります。流言飛語が飛び交い、正確な情報を得られなかった状況が悲劇を生みます。背景には1918年第一次世界大戦終結後の深刻な日本社会の不況、日本統治下の韓国で起こった1919年3.1独立運動、スペイン風邪の猛威と次から次へと難題が襲う日本に、1923年9月1日11時58分、関東大震災が発生します。社会に充満していた不安と恐怖の矛先は、社会主義者や朝鮮人に向けられていくことになります。

それにしても、朝鮮人を「呉れるから取りに来い」との知らせを受けて、彼らに穴を掘らせてそこに埋めて殺してしまう感覚が恐ろしい。「何て酷いことを」と簡単に言えますが、当時の人々も自分たちの村は自分たちで守らなければという強い思いでいた結果なのでしょうから、簡単に非難するわけにもいきません。出来ることは、こうした出来事が実際にあったのだと繰り返し伝えていくことで教訓にしなければなりません。「不都合な歴史だから」と隠してしまっていては、亡くなった方たちにも申しわけないですし、また過ちを繰り返すことにもなりかねません。

被害に遭った四国の讃岐地方から出てきた薬売りの行商団15名の言葉が、福田村の人々にはよく聞き取れず、「朝鮮人に違いない」と勘違いされた場面を見ていて、わが故郷“富山の薬売り”のことを連想してしまいました。日本海を隔てて対岸は朝鮮半島、古代から人々は行き来していたこともあり、良く言われるのが韓国語に似ているイントネーション。自分でも韓国の人が話しているのを聞くと、「良く似ているなぁ」と思います。先ほどのブログによれば「北総鉄道(現在の東武野田線)は工事中で、多くの朝鮮人労働者が働いていました」ということです。いろいろな難所で朝鮮半島の人々は駆り出されていたこともあり、薬売り行商の讃岐弁よりも、朝鮮語の方がまだ耳にする機会があったのではないかしら等とも思ってしまいました。「村を守らねば」という懸命な村人たちの思い込みが、耳を鈍にしたのかもしれません。ともあれ、方言が惨事の要因の一つと知っていたたまれない思いです。

『福田村事件』を見ながら、骨太の映画『金子文子と朴烈』(2017年、韓国)を思い出しました。また機会があれば観たい作品です。

 

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