2025.04.19column
画家七戸さんから寄贈いただいたパテ・ベビー映写機
4月14日に関東にお住いの画家七戸優さんから、上掲のパテ・ベビー映写機が届きました。共通の友達吉田稔美さんがお繋ぎ下さったご縁です。どのような作品を描く画家さんなのかしら?と思ってインスタで検索しましたら、この映写機について4月5日に書いておられて、深紅の幕の前にすまし顔で立っている映写機の写真が載っていました。そこに書かれていたのは、
……#稲垣足穂 でお馴染み、パテェの映写機。ニワトリマークも残っています。もちろん使えません。明日食う金にも困っていた1990年代前半、新宿の中古カメラ屋で発作的に買ってしまった。妻には言えなかったと思う。なぜあの時15000円持っていたのか謎。……
恥ずかしながら稲垣足穂の名前は知っていますが、書かれたものについては未だ読んだことがなかった私です。それで、中古の本を買いました。
それが、この本『パテェの赤い雄鶏を求めて』。フランスのパテー社のシンボルマークのニワトリがフィルムのコマの中央に赤い色で描かれたデザインのケース入り。中には、表題の「パテェの赤い雄鶏を求めて」(初出は1980年4月の『文学界』)から始まり、「足穂映画論」など全14作品が所収されています。
本の表紙は青色で、同じフィルムを持つ手が描かれています。
そして、口絵。これはフランスのパテー社のものではなくて、アメリカのキーストン社の手回し映写機“ムーヴィーグラフ”ですので、「赤い雄鶏」が描かれているはずもなく。この本が新潮社から発行されたのは、1972年。装丁は野中ユリさんです。ここにパテー社のシンボルマークが付いていたら良いなぁという思いでしょうか。パテー社は35㎜のフィルムを作っていましたが、その前に28㎜のフィルムと映写機も作っていた時がありました。パテ映画は今も時どきフランス映画で見ることがありますが、一般家庭用のパテ・ベビー(9.5㎜)が誕生したのが1922年のことで、ニワトリではなく、「ひよこ」のマークです。足穂のこの文章では、35㎜のパテーの映画のことは書いていますが、パテ・ベビーのことは書いていませんから、野中ユリさんは、そういった背景を知ったうえで描かれたのか、あるいはパテの家庭用映写機“KOK”をご存じじゃなかったのかしら。日本には輸入されていなかったからかもしれません。
大阪の船場に1900年12月26日に生まれた足穂ですが、冒頭からその時代を説明するために、ライト兄弟最初のグライダーのことや、日本の横田永之助が稲畑勝太郎から譲り受けたシネマトグラフとフィルムを持って全国巡回興行に乗り出したことが書いてあり、映画への関心が高かったことがうかがわれます。活動写真の巡業隊員が中休みの時間に2~3コマの短いフィルムを売っていて、「こんなコマは、只ハンドルを廻すとカシャカシャとブリキ細工めく音を立てる玩具映写機のバーコレーターに嵌めて、レンズ越しに覗いてみるか、あるいは極小さな画用紙のおもてに投影してみるより他はないのであった。」(40頁)の記述は、当時の子どもたちの遊びの様子がわかって面白いです。
「活動写真機は1円から3円まであって」と値段がわかり、近所に住む人についての記述も興味深いです。「ブリキ製の機械を買ってきて昼間から雨戸を閉ざし、石油ランプの匂いを漲らせながらみんなに観せていた。フィルムは紙製なのですぐに破ける。それを彼は一々御飯つぶで繕っているとのことだった」。1932年にレフシーが紙フィルムの特許を申請する前の話。はて、紙製のフィルムはどのようなものだったのかが気になります。もっと上等な玩具映写機の価格についても記述があり、「舶来品で6円50銭から、アセチレン灯利用のものは12円50銭で、最高級品として21円があった。本物の活動写真機が150円前後であった」など、細かに記憶して書いてくださったおかげで当時の相場が想像できます。
「博覧会や千日前で知っていた『ミュートスコープ』」という記述には、昨年当館にあったミュートスコープ(1894年に発明)のリールが実はアメリカのアーケードセンターやゲームセンターなどでコインを入れて1作品を選んで写真を動かして動画として楽しむ“セクレターミュートスコープ”のリールの一つだと気付かせてもらったばかりですが、同じようなゲーム機が大阪の千日前などで楽しまれていたのだと知りました。それから、当館で展示している立版古(関東では組上灯籠)についても、店先や涼み牀几の上に持ち出して遊ぶ様子の記述もあって面白く読みました。
残念ながら寄贈いただいたパテ・ベビーの映写機は部品が欠けていて、このままでは動かせませんが、挿絵のように本体正面にニワトリが描かれているのは、これまでのコレクションにはないので、さっそく展示に加えました。
その時、隣に置いていたパテの映写機に今頃気付きました。以前は展示していなかったものですが、なかなか興味深い形をしています。
パテ・ベビーの純正映写機であることはわかりますが、レンズ前にフィルターのリングが付いていていて珍しいものです。映画がモノクロームの時代に赤や青などのカラーへの試みであったのかもしれません。おもちゃ映画でフィルムを青や赤に染色したり、調色したりするのと同じ試みであったと思えます。場面によっての色彩効果を、家庭でも楽しんだのでしょう。
七戸優さんがお送りくださったおかげで、正面にトレードマークのニワトリが描かれたパテ・ベビー映写機がコレクションに加わっただけでなく、1910年代、戦争に勝ち続けていた日本にあってその後の悲惨な時代を想像することもなく穏やかな日常生活の一端を垣間見せてくれた稲垣足穂の著作とも出会えました。七戸さん、そして繋いでくださった吉田稔美さんにも御礼を申し上げます。ありがとうございました‼
【20日追記】
今日ブログに気付いてくださった七戸さんが、SNSで以下のように助言してくださいました。
………
稲垣足穂初心者の私としては、付箋をいっぱい貼りながら読んだだけに「えぇっ」という思いですが、忠告をありがたく受け止め、心して読もうと思います。