2017.01.06column
映画看板師
今日たまたま目にした日経新聞に、現役の映画看板師の寄稿文が載っていたのでスクラップしました。
下は、昨年11月25日付け朝日新聞夕刊に掲載された、やはり映画看板絵師の記事。こちらの方には、文末に連れ合いのコメントも載っています。
10月6日付け読売新聞夕刊と、7日付け京都新聞夕刊、ともに1面に、当館に寄託いただいた戦前の手描きポスターのことが大きく掲載されました。報道時はおよそ600枚と言っていましたが、その後戻ってきたものもあり、現在はもう少し増えています。これらを描いた人は京都河原町や新京極周辺にあった映画館の看板をかいていた竹田猪八郎さん。
その長男、竹田耕作さんと孫、啓作さんによって編まれたのが下掲の本。
年明けの4日、啓作さんと弟の章作さんが揃って来館。展示中の阪東妻三郎を中心にした手描きポスター展をご覧いただきました。日経記事の小笠原さんは「写真に撮っておけば良かったと、少し後悔している」と綴っておられますが、竹田耕作さんの機転で、映画全盛時の看板の写真が記録されているのは、素晴らしいことです。前回スタッフブログで紹介した井上優さんも、20代のころ、竹田猪八郎さんの下で、映画の看板をかいておられました。
朝日新聞の見出しのように、現在はシネコンが増えて、手描き看板は著しく劣勢ですが、こうして現役で灯を守り続けている人々がおられることも広く知って貰いたいです。なお『京都繁華街の映画看板❝タケマツ画房の仕事❞』はミュージアムで販売しています。ご参考まで。