おもちゃ映画ミュージアム
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Toy Film Museum

2019.08.03column

内容豊かに開催!~「祇園祭」の映像を見て、1150年記念「祇園祭」還幸祭神輿渡御見物~Part2

祇園祭の映像を見ながら、トークイベントを展開している途中も、祭り好きの私の頭は、還幸祭神輿渡御見学のことでほとんど一杯になっていました。今年は祇園祭が始まって1150年という節目の年だということで、ミュージアムに近い八坂神社御供社に3基のお神輿が勢揃いするというスペシャル版。祇園祭というと、大概の人は、豪華な懸装品に包まれた山や鉾が都大路を進む様子を想像されるのでしょうが、本来祇園会は神事と山鉾巡行の二つで構成されるお祭りです。山鉾巡行をご覧になって、「あぁ、今年も祇園祭をみた」というのは、祇園会の半分しかご覧になっていないということになります。と、偉そうにいう私ですが、実はその神事がミュージアムの直ぐそばでも繰り広げられていることを昨年偶然見学して知りました。それで、「山鉾巡行だけが祇園祭じゃないよ、神事だよ」と知ってもらいたくて、このイベントを計画しました。

Part1に参加して下さった京樂真帆子先生の論考『映画「祇園祭』と歴史学研究-“「祇園会」じゃない「祇園祭”’の創出-」が面白いです。映画は「町衆」の自立を描くために、歴史上の事実とは異なった描写をします。中村錦之助演ずる主人公の笹谷新吉に「おかみのための祭りじゃない。わしら京町衆、みんなのための祭じゃないか。それなら、神事停止のお触れの通り、神主様の神事を抜きにした祭、祇園祭、でけっこうじゃないか。祇園会でのうて、祇園祭。わしらの祇園さんのお祭りだけなら、一向に差し支えなかろう。おい、みんな!神事は無くとも、山鉾渡そう!」と語らせます。

論考「おわりに」で、京樂先生は「祇園会ではない祇園祭、つまり、「町衆」による山鉾巡行こそが祇園祭なのだとの認識は映画によって創り出された。そして、映画公開後、祇園祭の観光資源化とあいまって、一般に流布していったものと考えられる」はとりわけ興味深いです。

もう何年も前のことになりますが、奈良大学の河内将芳教授が、祇園祭について新説を発表された折り、講演会を聞きに行ったことがあります。祇園祭は疫病が多く発生する夏に、物語の世界を視覚的に見せ、そこにお囃子の賑やかさも加えて疫神様を集めてもてなし、障りなく退散していただこうと行われてきたものだとばかり思っていましたが、文献を紐解くと幕府や祇園社を末寺、末社にした延暦寺や日吉社の意向に左右され、雪が降る日や大晦日に山鉾巡行が行われたこともあり、祇園社の神輿が出なくても幕府の要請で行われたこともあったと知り、びっくりしたことを覚えています。

8月3日付け京都新聞夕刊1面「知ってるつもり!?室町時代」を読むと、小見出しに「山鉾巡行は町衆の祭りでなかった?」とあり、

…「神事これなくとも、山鉾渡したき(神輿渡御が停止になっても山鉾巡行は行いたい)」。こう記された当時の祇園社の日記を基に(歴史家の故)林屋辰三郎氏は自説を述べたが、近年には山鉾巡行を中止・延期した際に幕府が課した「失墜料」を逃れるためとする、指摘もある」そうです。…

ともあれ、疫神退散を願って、祭が継承されるよう時代、時代の人々が努力されてきたことは、確かなようです。

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67184122_2242541159196712_9097790830957035520_n前日23日14時、八坂神社御供社で「オハケ清祓式」と呼ばれる神事がありました。24日の還幸祭で中御座(祭神:スサノヲノミコト)、東御座(祭神:クシイナダヒメノミコト)、西御座(祭神:ヤハシラミコガミ)の3基の神輿が渡御される前に、清めの儀式です。四隅に斎竹を立てた巾7尺、奥行き2尺の芝に、3本の御幣が立てられました。その後、祭関係者が玉串を奉納して、斎行の無事を願いました。御幣は神様の依代です。

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いつもは閉まっている三条若中会所(中京区三条通神泉苑西入今新在家西町11)で、弁当を拵えておられると昨年知ったので、どんな様子なのかとちょいと覗いてきました。ひょっとしたらこの青い箱の中に四角いしゃもじで作ったお弁当が入っているのかも。

DSC00578 (2)巡行に必要なものを積んでおられます。お話をお聞きしたら、17日と24日の朝6時に頃から準備を始めて、両日で6000食の弁当を男性だけで作られたそうです。荷台に乗っている緑色した植物は「お稲」さん。府内丹波下山の八坂神社神田で5月26日に御田植えされた稲で、3基の神輿の一番上に飾られます。

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18時過ぎにPart1を終えて、見学希望者を急き立てるように京都三条会商店街の中にある八坂神社御供社に向かいましたが、途中で白馬に騎乗した久世駒形稚児と出会いました。御供社での玉串奉納神事は終わった後でした。「後の祭り」ですね。

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ミュージアム近くの武信神社にお参りされて、玉串を奉納。

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今年の久世駒形稚児を務める戸倉悠翔君(8歳)。京都市立久世西小学校3年生。例年、南区の綾戸国中神社の氏子から選ばれます。八坂神社の「和御魂(にぎみたま)」と綾戸国中神社の「荒御魂(あらみたま)」が一体になると、祇園祭が始まるとされています。馬の形をした木彫りのご神体「駒形」を首にかけて乗馬し、神輿を先導します。とは言え、今年のご神体は御幣でグルグル巻きにされていて良くわかりませんので、

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昨年の稚児さんの写真を掲載。17日神幸祭で注目される長刀鉾の稚児さんより位が高く、唯一、馬に乗って八坂神社の境内に入ることができます。このあとしばらく武信神社で休憩されるので、私たちは急いで、御池通りの神泉苑へ向かいました。

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神泉苑にお参りされるのは中御座だけ。三若の提灯に先導された神輿は、三条大宮から真っすぐ北上して、御池通りを西に進んで、神泉苑に到着。今年は良い位置で見ることができました。

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19時、東寺末寺なので、仏式での拝礼が行われています。神輿の一番上に乗っているのが、先ほどの「お稲さん」。

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差し上げをしたあと、勇ましく「ホイット-、ホイット―」の掛け声とともに、千本通に向け西進。その後千本三条から、三条通りを東へ進んで八坂神社御供社へ。

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 中御座の拝礼が済んで、勇ましい和太鼓の演奏が繰り広げられていました。私たちは御供社へ向かい、3基の神輿が集まるのを待ちます。

DSC00618 (3)今年は3基揃うので、予定を少しは止めたそうですが、19時半頃宮本組がご奉仕する神宝奉持列がやってきました。宮本組は明治初頭に結成された募金組織清々講社第一号に指定され他氏子組織で、八坂神社のお膝元である弥榮学区の人々で構成されています。ネット検索すると、7種類17個あるご神宝を誰が何を持つかは7月1日「吉符入り」の夜にクジ引きで決まるのだそうです。

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そして、20時前に中御座、その奥に東御座、写真では見えませんが西御座の神輿が京都三条会商店街に集まりました。

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もの凄い熱気で、詰め掛けた観客が少しでも見ようと大変な人出でした。写真右手が御旅所(八坂神社御供社、又旅社)。

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御旅所祭。神主さんのすぐ後ろに門川京都市長さんの姿も。

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神事の間、中御座の三若会、西御座の錦神輿会、東御座の四若神輿会の担ぎ手が並んで祝詞を聞いておられました。祇園祭が始まって1150年を記念してみられる特別な光景。

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20時半ごろ神事が終わり、中御座から八坂神社に向かって出発。八坂神社の主祭神スサノヲノミコトを奉祀していて、屋根に鳳凰を頂く六角形の屋根が特徴です。直接確認はできませんでしたが、おそらく久世稚児は、この先東に行った堀川三条で白馬に乗って、八坂神社に向かって出発されたのでしょう。

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続いて、東御座が出発。スサノヲノミコトの妃神クシイナダヒメノミコトを奉祀し、屋根に擬宝珠を頂く四角形の神輿が特徴です。

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 最後に西御座が八坂神社に向けて出発。スサノヲノミコトの御子神八柱御子神を奉祀して、屋根に鳳凰を頂く八角形の神輿が特徴です。

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この写真では、辛うじて3基が揃っている様子が見えますね。記事によれば、八坂神社への還幸行列が、三条通から寺町通、四条通を三基一緒に並び、同じ順路で進むのは明治期以前の形なのだそうです。

とにもかくにも、もの凄い人出で、三条通りは見動きもままならず。ふと、日本最初の映画スター尾上松之助の葬送行列を見ようと大勢の人が詰めかけて、その様子は「蟻の這い出る隙もなく」と形容されましたが、全くそのような有り様でした。そこで体力を消耗したので、八坂神社までついていくことは断念して、どこかで空腹を満たそうということに。もう21時頃になっていましたので、開いている店もなく、三条通りを西に歩いていてお好み焼き屋さん「ハニー」を見っけ。ちょっと見たところ「別に入らなくても良いよ」的な感じも受けましたが、話して見ると観光客はなるべく断っているのだとか。「やがて80歳」という店主の女性が一人で切り盛りされていて、「馴染み客も少なくなったので、いつまで店ができるか」と話し乍ら、豚玉のお好み焼きを焼いてくれました。

その話ぶりが、何ともカッコイイのです。根っから広島カープのファンで、映画好き。映画は一人で見に行くのが良くて、最近見た中では『CALD WAR』がお勧めだとのこと。三条会商店街に店を出して、もう随分経つので、界隈のいろんなことをご存知。「地域のことを知りたい」と私が言うと、さっと1冊の本を取り出して、貸して下さいました。背筋が伸びる生き方を貫いて来られた様子が言葉の端々から伺われ、店を出た後、参加者からは「良い案内人がいて、貴重な祭りを見学できたし、素敵なお好み焼き屋さんとも出合えて、とっても良かった」と褒めてもらいました。

この日は連れ合いが古希を迎えた日。おかげ様で、良い記念になった一日を過ごすことができました。最後までお付き合いいただいた皆様、本当にありがとうございました。

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