おもちゃ映画ミュージアム
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Toy Film Museum

2021.08.13column

8月8日の京都「原爆と戦争展」賛同者会での出会いから

8月9日は長崎に原爆が投下されて76年。私が富山県で過した子どもの頃は、8月6日と9日は全校登校日でしたが、今はどうなのかしら?京都新聞「凡語」によれば、今も長崎の多くの小学校では、例年全校登校日だそうです。富山の小学校で、被爆体験者の話を直接聞いたことはありませんでしたが、この時期、テレビの特集番組が放送されるので、そうした機会に学ばせていただいています。

8月6日に行われた広島での首相原稿読み飛ばしは、部下の糊付けの所為だと尚更お粗末な幕引きを諮ろうとしていますが、首相自らの「心ここにあらず」「関心がないこと」を表すもの。どんな方でも、大切なスピーチの前には、事前に一度は目を通して準備しておくものでしょう。軽んじているから、それさえも端折ったとしか思えません。情けない。挙げ句、9日の長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典にも遅刻。トイレに行って遅れたそうですが、生理現象とは申せ、式典そのものを軽んじておられるのではないかと、つい思ってしまいます。

8日は、京都市南区の唐橋公民館に初めて行ってきました。ここで9月4~6日2021年夏 京都「原爆と戦争展」が開催される予定で、その賛同者会が開かれるというので、誘われて私も参加しました。主催者は「京都原爆展を成功させる会」で、私どもが今開催している戦後76年、戦争パネル展「戦争の真実」で展示資料をお貸しくださっている団体です。

唐橋公民館前の掲示板に、「原爆と戦争展」だけでなく私どもの「戦争の真実」のチラシが並んで掲示してありました。「京都原爆展を成功させる会」事務局の竹下さんが子ども食堂の活動もされていて、同地域の唐橋文化教育会館で「ハピネスこども食堂」を運営されている宇野さんと連携。その繋がりから唐橋自治連合さんからも協力を得られたということで、唐橋公民館開催が実現に至ったのだそうです。竹下さんのご活躍で私どものチラシも貼って頂けることになり幸運です。

8日の会には、長崎出身の西田松子さんとご一緒しました。偶然にもミュージアムを通して存じ上げている方のお母様でした。松子さんのお父様は新聞社社長で政治家としても活躍された西田竹次郎さん。竹次郎さんの孫に当たる知人がFacebookで書かれた記事によると、政治家では唯一人、広島と長崎での二重被爆者だったそうです。それだけでなく、言葉「ピカドン」の生みの親でもあるそうです。そういった環境もあって、松子さんは「京都原爆展を成功させる会」や竹下さんがなさっている子ども食堂の活動を熱心に応援されているのだそうです。

8日の会には、上掲新聞でも紹介された小倉勇さんもお越しでした。この日竹下さんから中村光博著『「駅の子」の闘い―戦争孤児たちの埋もれてきた戦後史―』(幻冬舎新書、2020年)を教えて貰い、早速11日に購入したばかりでしたが、届いたその日の新聞で再会できて、驚くやら、嬉しいやら。

2018年8月に放送されたNHKスペシャル「“駅の子”の闘い~語り始めた戦争孤児~」とその年12月に拡大版として放送されたBS1スペシャル「戦争孤児~埋もれてきた“戦後史”を追う~」は同年度ギャラクシー賞・選奨に輝き、番組をご覧になった多くの視聴者の心を動かしたそうです。惜しいことに私は見ておりません。

この中には小倉さんだけでなく、幾人もの“駅の子”の辛い体験が紹介されています。「戦争孤児だった過去を明かしている人は多くない。ましてや、親を亡くした後に行き場を失い、駅の地下道などで雨露をしのぎながらその日暮らしをする“道の子”の経験を明らかにしている人は、ほとんどいない」ので、取材は困難を極めたそうです。

本を読むと、初めてお会いした日の小倉さんが最初に発した一言目が「夕べは腹が立って寝られなかった‼」の激しい憤りの口調だった理由がわかりました。

7日夕方の番組TBS「報道特集」で、独自ダネとして東京五輪のゴミ捨て弁当問題が取り上げられて、その内容に腹が立って仕方がないというのです。追求されて開会式の4000食を廃棄したことは公表しましたが、それだけでは済まなかったのです。全48会場中のうち入手できた20会場分の7月3日~8月3日でさえ、13万461食にのぼり、1食890円として、約1億1600万円が賞味期限前に廃棄されたことが明らかになりました。国立競技場だけでも8月3日までに2万3千食以上が廃棄処分されたそうです。おそらく、こうした報道がなければ、闇に葬っていた事実でしょう。

上掲本に証言が載っている山田清一郎さんは、残飯をあさって、飢えをしのぐ生活だったといい、「人間の一番の欲は、食欲ですよ。本当の空腹となると、もう人間でなくなるというか、犬猫と同じで、食えるものならなんでも、どんなものでも手に入れて食う、これは生きるための本能じゃないですか」(187頁)と語りますが、小倉さんも同じだったでしょう。

「サツマノカミ」(無賃乗車の隠語)で福井から大阪に出てきた小倉さんは、8歳にもならない裸足の女の子が、日に日に衰弱して大阪駅前の路上で餓死していった光景が今も忘れられないと涙をこぼします。“駅の子”たちは、復興が進むにつれて虫けらのように扱われ、社会の冷たい視線を浴びながらも、懸命に生き延びます。

東京五輪運営にもいろんな事情があるのでしょうが、食べるものを粗末にしないよう創意工夫が講じられても良かったのではないでしょうか。何から何まで後手後手、その場しのぎの政府の対応がこういう残念な事態を招いたとしか思えません。このコロナ禍で生活が苦しくなって、炊き出しや食糧配布の場所には老若男女の長蛇の列ができ、子ども食堂の活動もあちこちで取り組まれている現状があります。無駄を廃し、必要なところへ手厚く支援する施策を切に望みます。

唐橋公民館での「原爆と戦争展」では、9月4日に亀岡にお住まいで、昨年当館で「満州」から引き上げて来られた体験をお話いただいた黒田雅夫さんが、5日には小倉勇さんが、6日には子どもの頃福井で空襲に遭って逃げ惑った経験があり、「ニューギニアで戦死した父親の遺骨が戻ってくるまで、自分の戦争は終わらない」と国に遺骨を探してくれと言い続けておられる橋本善則さんが、それぞれ午後2時から登壇されて、貴重な体験談を聞かせて下さる予定です。今も連絡をマメにくださる黒田さんは、家族で渡満の前に、唐橋公民館近くの南大内小学校に4月に入学し、大陸へ渡る5月まで1ヵ月通われた経験があるのだそうです。きっと懐かしく思われるでしょう。ぜひ当事者の方々の証言をお聞き頂ければと思います(コロナの状況によっては変更になる場合もございますので、要事前確認)。

なお、当館では今夏トークイベントは計画しておらず、小原浩靖監督のドキュメンタリー映画『日本人の忘れもの  中国とフィリピンの残留邦人』(第26回平和・協同ジャーナリスト基金賞奨励賞受賞作)を毎日14時から上映しています。高齢になった日系二世の方々に一日も早く日本国籍取得を叶えてあげたいです。終戦後フィリピンに置き去りにされた日本人を父に持つ人々も、隠れ住みながら苦労に苦労を重ねて今日まで生きてこられました。小原さんが作られたチラシには「いま救わなければ、消滅してしまう。」と書かれています。先ずは現状を知ってもらい、活動を支援する声を高めていくことが国を動かす力になると思うのです。

ぜひ、一人でも多くの方にご覧頂きたいです。どうぞ、よろしくお願いいたします。

 

【8月15日追記】「終戦の日」に掲載された京都新聞の社説を頷きながら読みましたので、ご参考になればとご紹介。戦後生まれの人口が85%も占め、戦争は記憶から歴史に変わろうとしています。戦争経験者の話を聞ける場は大切な学びの場ですね。

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