おもちゃ映画ミュージアム
おもちゃ映画ミュージアム
Toy Film Museum

2022.03.26column

寄贈品のご紹介

二日続いて寄贈品がありました。

23日は、大阪芸大映像学科卒業生の柳 俊行さんから、レーザー・ディスクを15枚とDVDを20枚受け取りました。以前にもたくさんの脚本を寄贈していただきましたが、なかなか活かしきれないでいたところ、「少しずつ脚本をデジタル化してみよう」と仰ってくださって今はお手元に。デジタル化できれば、脚本を勉強しようと思っておられる方たちの参考になるでしょう。それから今ではレーザー・ディスクをご存じじゃない方も多いでしょうね。配線を工夫してみましたら、当館で見ることができました。

24日は、今月仏教系の大学を卒業されたばかりの松山明憲さんから、SPレコードを17枚と映画館のチラシ「KABUKIZA NEWS」2枚を寄贈していただきました。そのうちの映画劇温泉情話『山中小唄』(山中節入)はオリエントレコードから発売の3枚組。吹込みは松竹キネマのスター、梅村蓉子、柳さく子、岡田宗太郎、藤間林太郎の吹込みで、説明(弁士)を東堂荷村が務めています。

東堂荷村といえば、昨年活動写真弁士片岡一郎さんのコレクション展をした折、最終日の3月27日に東堂荷村のご子息の奥様が来館してくださいました。その時持参された写真3枚をブログで紹介しています。東堂荷村は京都の観光地として知られる新京極にあった松竹発祥の地「歌舞伎座」の筆頭活動写真弁士でした。今は「京都松竹阪井座ビル(東急ステイ京都新京極通)」が建っていて、ビル名の由来を書いた駒札があります。いただいた「KABUKIZA NEWS」第84号には、「解説部員」として8名の名が連なり、最後に「主任 東堂荷村」の名前が載っています。

このチラシには、2通の投書が載っていて、その1つの題は「映写技師の為めに」。冒頭に「電燈が消えて映画が写るとき我が国独特の暗中の声が…。現今それは痛切に腹立だしさ感ずるものがある。いや感ぜずにはいらない。もっと明快な頭で時代に順応せなければならない。映画に対する理解を持って字幕を根底に音楽と説明の調和を保つことが肝要だ。」となかなかに手厳しい。続けて「箱のような映写室の中で強い電光とセルロイドの匂いを友としている隠れたる貢献者技師の努力を知らないもの往々ある。冬はまだしも夏の生活は恐らく並大抵のことではあるまい。説明者の流す汗はある観客の拍手を迎うるけれど技師の油汗は一般に認められぬ。その手腕の優秀は映画より受ける興味に多大なる関係を有しているものである。現れたる弁士の努力よりも、隠れたる映写技師の苦心に私たちはより大きな感謝を捧るべきである」。手回しクランクを回して上映していたサイレント映画が、弁士と映写技師の協力の下で興行していたことがわかり、縁の下の力持ちにも目を向ける投書主のまなざしが優しい。

もう一つのチラシには京都歌舞伎座で12月6日封切『不如帰』(1922年公開)『金色夜叉』(1922年公開)『恋の選手』『生さぬ仲』(1921年10月21日公開)『狼の血』の上映プログラムが記載されていることから、1922年12月のチラシかなぁと思います。このチラシには、カテイ石鹸「クラブ白粉」の広告が載っていて、おそらく日本アニメーションのパイオニアのひとり、北山清太郎の文字ではないかと思います。

さて、いただいたレコードの一枚を松山さんと一緒に聞いてみました。それがこちらです。

昨年12月に尾上松之助最晩年の『忠臣蔵』を活弁上映した折に、余興で松山さんに協力してもらって披露した童謡劇『うれしいお正月』です。この日は他にも参加者の方に往時大活躍された弁士さんのレコードも聞き比べてもらいました。今回寄贈いただいたレコードの中にも含まれています。面白いレコードに『ベティとミッキー』(サロン児童劇団)があり、別々の会社の人気キャラクターがレコードでコラボしています。当館所蔵の“おもちゃ映画”でもミッキーとポパイ、それから冒険ダン吉が共演している映像があります。今日では考えられませんが、著作権や肖像権お構いなしで、人気者を登場させた映像や音楽がお茶の間で親しまれていた時代があったのです。

松山さんと初めて会ったのは、2019年5月18日開館満4年を記念して開催した講談師旭堂南陵さんによる活弁『荒木伊賀越三十六番斬り』(1930年)上映の時でした。もともと演芸ものに関心があったのだそうです。何度かイベントに参加してくださっていたのですが、すごく親しくお話しするようになったのは、2021年3月6日片岡一郎さん活弁『ロストワールド』上映とトークショーの時から。活弁上映の面白さにはまり、トークショー登壇者高槻真樹さんの本『映画探偵』と片岡さんの本『活動写真弁士 映画に魂を吹き込む人びと』をその日に買い求め、一気に読み込んだそうです。ますます無声映画や弁士さんに魅せられ、東寺や北野天満宮などで開かれる骨董市でSPレコードを探すようになり、引っ越し準備で数えたら300枚を超えていたとか‼

3月31日故郷の北海道に戻られるので、ちょくちょく会うことは叶わなくなりますが、ネット社会は便利なのでこれからも交流を深めていけたらと願っています。24日も夕方まで長くおしゃべりして楽しい時間を共有したのですが、その中で面白い資料を教えてもらいました。いずれ彼が落ち着いたら送ってもらう約束をしましたので、届いたらご紹介しましょう。お楽しみに‼

お二人から寄贈いただいた紙資料や物品も、今後工夫しながら活用できるようにしていきます。柳様、松山様どうもありがとうございました!!!!!

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