おもちゃ映画ミュージアム
おもちゃ映画ミュージアム
Toy Film Museum

2023.03.25column

骨董市で

町家の店番の合間にも、いくつも見に行った祭事や展覧会があるのですが、情けないことに書くのが遅くて、書ききれないまま日にちばかりが経っています。19日の「マジック・ランタン~さまざまな幻燈の楽しみ~」も振り返りを書かなくちゃと思いつつ、、、こちらは小冊子2冊を発行した記念に開催しましたので、記録映像ができ次第振り返りを書きます。暫し、お待ちください。取りあえず今は表紙だけご紹介。

小冊子8『着物柄に見る幻燈・映画・映写機』です。執筆して下さったのは早稲田大学名誉教授の草原真知子先生です。

小冊子9『マジック・ランタン~さまざまな幻燈の楽しみ』。執筆して下さったのは、早稲田大学文学学術院教授の細馬宏通先生と中京大学国際学部教授の岩田託子先生です。

さて、3月5日の骨董市では、小冊子8の表紙に描かれた「おもちゃ映写機」と「おもちゃ映画」7作品を見つけましたが、他にも子どもの着物に描かれた「面白柄」の端切れを1枚見つけて額装し、展示に加えています。

それが、これ。丁度今、甲子園球場で春の高校野球大会が開催されていますが、この着物柄は夏の大会。「明石対中京」とあるので、いつの年かと検索したら、この着物柄の背景になった試合自体については定かではありませんが、両校によって記録に残る名勝負が繰り広げた試合が直ぐにヒットしました。何と延長25回。1933(昭和8)年8月19日に行われた第19回全国中等学校優勝野球大会準決勝第2試合。東海代表で史上初の3連覇がかかっている中京商業学校(現・中京大学付属中京高等学校)対兵庫代表の兵庫県立明石中学校(現・兵庫県立明石高等学校)の試合の一場面が描かれていたのだとわかりました。

午後1時10分に始まった試合は、24回まで両校0点のまま進み、25回へ。先行の明石中が0点で終えたその裏、中京商は無死満塁のチャンス。相手チームのエラーから前田選手がヘッドスライディングしてホームインし、サヨナラ勝ち。既に時間は午後6時5分。なんと試合時間は4時間55分で、中京商吉田正男投手336球、明石中中田武夫雄投手247球で両者完投だったそうです。wikipediaによれば、当時のスコアボードは16回までしかなく、17回以降は球場職員が「O」のスコアボードを釘で打ち付けて継ぎ足し、それもなくなるとペンキで書いて継ぎ足したそうです。

死闘を演じた中京商は翌日の決勝戦で平安中と戦い、ピッチャーの吉田が投げ、見事に勝って3連覇を成し遂げています。このように頑張った選手たちですが、その後の戦争で、両校選手のうち8名が、戦死されているそうです。

3月21日WBC準決勝、22日の決勝に、にわか野球小僧になった私も、テレビにかじりついて侍ジャパンを応援していました。9回裏、大谷翔平選手が登板し、エンゼルスの同僚でチームメイトのマイク・トラウト選手をフルカウントからスライダーで空振り三振に仕留め、優勝を決めます。その瞬間、グラブと帽子を投げ捨てて両手を広げて喜びを爆発させた大谷選手の姿は、きっとこの先もずっと忘れることがない光景だと思います。本当に良い試合でした。時代が違うし、ルールも異なる1933年と2023年ですが、見事な投手リレーで優勝を決めた侍ジャパンと、たった一人で25回を投げ続けた90年前の吉田選手と中田選手の偉業も、この際記憶に留めておきましょう。

そして昨日、連れ合いに留守番を頼んで出かけた骨董市では「面白柄」を探して歩き、幸いにも1枚見つけることが出来ました。赤ん坊の着物。

お馴染みの「のらくろ」の絵を描いたプロパガンダ柄。「これから敵の飛行場へ突進だ。進め!」と勇ましい言葉が書いてあります。田川水泡さんの漫画「のらくろ二等卒」の連載が始まったのは、1931(昭和6)年新年号だそうです。野良犬の黒吉(のらくろ)が猛犬連隊に入り、失敗を繰り返しながらも次々出世していきます。『のらくろであります!ー田川水泡と子供マンガの遊園地』(川崎市市民ミュージアム、2019年)によれば、当初1年間の予定で開始したのですが、読者からの反響の大きさで最終的に約11年にわたる連載となり、10冊もの単行本が刊行される人気ぶりでした。今でも骨董市へ行くと陶器などで拵えられた「のらくろ」人形を見かけます。子どもたちに如何に支持されたかがうかがえます。

この日、朝の京都駅で可愛らしい舞妓さんを見かけました。この出会いがあったからか、また人形を一目ぼれして連れて帰りました。

紙を折って作った兜を被った男の子。心なしか愚息が小さかった頃によく似ています。4月3日が過ぎたら、端午の節句に合わせて出窓に飾りましょう。

もう一つ、和もの。昨年、友達が「宝船」の絵を集めているのを知ったこともあり、目に飛び込んできました。正絹の帯地に手書きされたもの。描いたのは「徳力富吉郎」(1902-2000年)。西本願寺絵所を預かる家系の12代目で、京都市立絵画専門学校(現・京都市立大学)を首席で卒業し、土田麦僊に師事。「京都創作版画協会」や棟方志功らと同人誌『版』を創刊したりもしています。勲四等瑞宝章、京都市文化功労賞などを受賞していますので、調べて見ましたら、依田義賢先生が尽力された「菊寿の会」の記録映像「第9部 昭和55年(版画)」に生前の姿が記録されていました。

この宝船図、ある方に描いて欲しいと依頼していますので、その完成も楽しみ。人との交流によって、今まで知らなかったことを知り、その面白さに嵌っています。京都アンティークフェアは明日26日が最終日です。時代を経たものが廃棄されることなく、それを慈しむ人の手に渡り、継承されていくのはとても良いことだと思います。

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