おもちゃ映画ミュージアム
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Toy Film Museum

2016.05.16column

「キネ・プレ」でも紹介、傾向映画の代表作「何が彼女をそうさせたか」上映会

関西の映画・映像情報のウェブマガジン「キネ・プレ(Cinema Press)の5月12日号で、当館が開館1周年を迎え、記念に活弁と生演奏付きで映画「何が彼女をそうさせたか」を上映することを紹介していただきました。ミュージアムのことも含めて、とてもわかりやすく書いていただきましたので、そのままUPします。お読みいただいて、ぜひとも22日の上映会にお運びくださいませ。お待ちしております。

今、ミュージアムでは上映に関連し、手元にある資料を展示しています。この作品との出会いは、「貴重な映像を発掘し、復元し、フィルムで次世代に残す」という私どもの活動の大きな契機になりました。当日は上映だけでなく、復元を手掛けた館長が、フィルム発見から復元に至る道のりについても話します。

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展示資料の中には、ソビエト公開時の新聞や、日本公開時の新聞などもあります。これらセピア色した貴重な資料類は、今回上映する作品の監督鈴木重吉さんのご遺族から寄贈を受けたものです。製作された昭和5(1930)年第7回キネマ旬報ベストテンの日本・現代映画部門第1位に輝いた傾向映画の代表作です。

展示している中に「映画女王」というタイトルの新聞紙面があります。日付は「昭和5年2月20日」第15号。「映画女王」というネーミングに興味を持ち、ネットで検索してみましたら、国立国会図書館サーチでヒット。それは27㎝厚さの雑誌の体裁をとったもののようです。「刊行頻度、刊行状態は不明」で、注記として「本タイトル等は最新号による」とあります。出版社は「東京日刊キネマ新聞社映画女王編集部」。今はその情報程度しかわかりませんが、もう少し調べてみたいです。ともあれ、この新聞社が発行したと思われるセピア色した紙面に、当時のロシア文学の泰斗秋田雨雀(うじゃく)さんが「何が彼女をそうさせたか」をご覧になっての寄稿文が掲載されています(長文なので部分引用)。

「(略)現実主義的手法を用いた最初のプロレタリア映画の曙光を見たような気がした。この作品のイデオロギーはプロレタリアのものではなく、封建主義ないしは貴族主義に反抗したブルジョア・イデオロギーに近いものである。すなわちすべての犯罪は個人的なものでなく、『社会の責任である』とは実にブルジョア社界(ママ)の確立のために発生した思想である(略)」と書いておられます。この作品は帝国キネマの最初の輸出作品となりました。

鈴木監督は続編も製作し、そのタイトルは「何が彼女を殺したか」。フィルムは残念ながら未発見ですが、今回は関連資料も展示しています。1931年の第8回キネマ旬報ベストテンの日本映画部門第7位を受賞(因みにこの年の第1位は五所平之助監督の「マダムと女房」)。この作品が1931年3月に完成した後、ソビエトから招きを受けた鈴木監督は、袋一平さん、帝国キネマ社長立花良介と一緒に渡露することになったと上掲写真左上記事は綴っています。

時代は日増しに厳しくなり、この作品も検閲を受けますが、僅か1メートル半切除で通過したと「北国夕刊新聞」昭和5年4月9日付けは書いています。曰く「検閲官は『この映画が余りに芸術的に完成した立派な作品であるために切除するのに忍びなかった』そうである」と。

この映画を製作した帝キネ初代社長山川吉太郎氏のお孫さんが、苦心の末、平成5(1993)年にロシアでこのフィルムを発見。それは、ロシア語字幕で、欠損箇所が多いものでしたが、シナリオ集やご遺族から寄贈を受けた台本など資料を重ね合わせて字幕を作って復元しました。19年前の京都映画祭プレイベントで復元後初披露した折には、欧州の文化や芸術を学んだ鈴木監督の意図でもあろうと、ドイツのギュンター・A・ブーフヴァルトさんの演奏付きサイレント上映でしたが、今回は特別に、片岡一郎さんの活弁と、上屋安由美さんのキーボード演奏でお送りします。活弁・生演奏付きで関西で上映するのは初めての試みです。

空前の大ヒットとなり、社会的に一世を風靡して流行語にもなった「何が彼女をそうさせたか」、この機会にぜひご覧ください。お申し込みは、info@toyfilm-museum.jpまたは、ファクス075-803-0034でお願いいたします。

 

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