おもちゃ映画ミュージアム
おもちゃ映画ミュージアム
Toy Film Museum

2024.09.06column

都留文科大学の三井敏朗先生

「漸く来れました!」と仰って下さったのは、都留文科大学で英米文学を教えておられる三井敏朗先生。こうしたお仕事をされていることを知ったのは、お帰りになる少し前。

丁寧に展示を見ておられるので、「脆い紙製の日用品は使ってもそのうち破れて捨てられるのがオチなのに、綺麗な状態で残っているのも凄いことですね」と話しかけ、「表の女優さんたちの絵は、当時写真を使うよりもコストが安く済むし、所属映画会社も宣伝になるからと、それぞれの店舗が加盟する組合や協会とコラボして販促グッズとして配っていたものでしょう。盆と暮には、ツケで買っていたお得意先に売掛金回収に行って、お返しに「これ、使うておくれやす」みたいな感じで渡していたのでしょう。団扇の裏には、いろんな商品を扱っている店名が記されていて、化粧品や酒屋、呉服店や洋服屋さん、食料品店など多種多様。【●町▼】と身近な住所表記がなされていて、それが全国各地。こういった団扇の裏に描かれている情報も分析すれば面白いかもしれませんね」と思いつくまま話しました。

展示している1つの団扇を「原節子さん」が描かれているとして紹介していましたら、先日、轟夕起子研究家の山口博哉さんが来館され、「これ、原節子と違いますよ、轟夕起子ですよ」と訂正を求められました。「轟夕起子さんは原節子さんに似ているとよく言われていたそうですよ」等と話しましたら、三井先生は、「そういえば、小津安二郎監督の『東京物語』に原節子の義理の姉役の杉村春子が、団扇を使ってパタパタ扇ぐ場面があり、団扇には店の広告が載っていて、扇いでひっくり返した時に高峰さんの顔が描いてあるのが見えた」と教えて下さいました。展示している中にも、高峰秀子さんが描かれた団扇は何本もあります。人気があった証ですね。

「よく覚えておられるなぁ」と感心しながらあとでYouTubeで見直したら、確かにそうでした。細部にこだわりが強かったと聞く小津監督ですが、リアルタイムではありませんが、このように覚えていてくださる観客もおられると分かったら、さぞかし喜ばれたでしょうね。1953年の映画です。この作品には、涼をとる場面で団扇がいろいろ出てきました。

世界的に評価が高い小津監督の『東京物語』ですが、海外の方は映画には魅せられても、小道具の団扇にはさほど関心を持たれる風ではないと見ていて思います。これが扇子なら「ジャポニズム」で注目された日本の暮らしの小道具としてご存じの方も多いです。今回団扇を貸して下さったコレクターの永本さんは、当初「ミュージアムグッズとして団扇を作ったらどうですか?」と提案して下さいましたが、差し上げるのでしたら喜ばれるかもしれませんが、買う人はそうおられないように思って実行しませんでした。

三井先生に「涼を得るのに手軽でエコな団扇を使う文化がもっと世界中に広がっても良いのに、さほど関心を寄せておられないように見受ける」と申しましたら、スマホで検索して1枚の絵を見せてくださいました。ランドルフ・コールデコットというイギリスのイラストレーターで美術家の絵です。モノを知らない私は初めてその名前を知りましたが、アメリカには「コールデコット賞」という優れた絵本に贈られる賞があるそうです。その彼が1870年代末から彫版師エドマンド・エヴァンスとともに制作した16冊の子ども向け絵本の中にある『マザーグース』の「ヘイ・ディトル・ディトル」(1882年)に団扇を手にしている女の子が描かれていました。

ファイル:ヘイ ディドル ディドルとホオジロの赤ちゃん pg 5.jpg

これはネットでの拾い物で、小さくてわかりにくいですが、水色のワンピースに白いエプロンをつけた女の子が手にしているのが、それかと。19世紀半ばの子ども向け絵本に団扇が出てくることを、教えて貰いました。こんな早くから団扇を知っている人たちがいたことが分かった瞬間でした。

そんなこんなで物知りな三井先生とのお話に夢中になっていると、ふと「ヨハンはここに来たことがあるのかな?」と仰られたのに、「えっ」と私はすぐ反応しました。というのも、2日前から私の頭の中に巣くっていたのも「ヨハンさん」だったからです。190㎝はあるぐらいの大きな方で、声も大きいと教えて貰ったので、私が知っているそうした方は「オラフさんだ」と答えましたが、いろいろ話をしていると、どうやら「ヨハンさん」は同一人物だということに決着。

実は、当館他が所蔵している紙フィルムをデジタル化して下さったバックネル大学のエリック・ファーデン教授と一緒に、イタリアのボローニャ復元映画祭で世界中の人に見て貰える場を設けられないかと夢見ています。ロチェスター大学のジョアン・ベルナルディ教授から、この映画祭にパイプを持っておられそうな人を教えて貰ったのですが、その内の一人が「ヨハンさん」だったのです。ネットで検索すると「ヨハンさん」は都留文科大学で教鞭をとっておられることがわかり、7月まで開催していた「毛利清二の世界-映画とテレビドラマを彩る刺青」展でお世話になった山本芳美先生と同じ大学でした。早速山本先生に事情を話して、「ヨハンさん」の連絡先を教えて貰って、「力をお貸し願いたい」とお願いメールを2日前に送信したばかり。ご本人はサバティカルホリディで海外におられるらしく、さらにメールも頻繁にご覧にならないのでしょう。今日まで返事を頂戴していないので、どうやれば希望を伝えられるのかと頭の中をグルグルしていました。

そこに、「ヨハンさん」をご存じの三井先生が現れたので、何という偶然か!!!!!と躍り上がって喜び、手をたたきました。早速三井先生は、「ヨハンさん」をよく知っておられる方に電話して、私からお送りしたメールを読んで力を貸してほしいと希望していることを伝えて貰いました。全く、世の中は狭いですし、このタイミングで三井先生にお会いできた偶然にも驚きました。当館のことは、「いろんな書き物で目にしているので知っていましたが、休館日と重なったりしてなかなか来れず、ようやく来ることが出来ました」と言って下さったことも嬉しかったです。

9月17日は山中貞雄監督の命日。今年も大雄寺(上京区)で14時から法要が営まれ、東京都江東区の古石場文化センターの方もお参りされると連絡があったので、小津安二郎監督が揮毫した「山中貞雄之碑」拓本を見て貰おうと出しました。その前で三井先生の記念写真を撮りました。この拓本には三井先生も喜んでくださいました。左に並んでいるのが原節子さんを描いた団扇と、その下に「轟夕起子さんの説あり」と追記した団扇。

そして、つい今しがた、「ヨハンさん」から連絡があったそうで、来週に旅行から戻り次第、メールを読んで返事を下さるとのこと。いやー、三井先生が今日訪ねて下さったおかげで一歩前進‼ 本当にありがとうございました。この流れで、企画していることが実現できますように。つくづく人の世はご縁で繋がっていますね。

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