2025.06.11column
最近出会った海外からのお客さま
あっという間に半年が過ぎてしまいました。最初のうちは引っ越しのことでバタバタし、未だ4月3日の内覧会の振り返りが下書きのまま。書き上げるのは、まだ少し先になりそうです。今は、今後の催しのことで申請書を書いたり、資料を受け取りに行ったりと相変わらず。そんな日々の中でも、お客様との出会いがあって、そこで交わす会話は楽しいもの。中でも海外からのお客様には、その都度世界地図に出身地をマークしてもらって写真を撮ったりしていますので、交わした言葉の記憶が残っている間に何とか綴ろうと、遅ればせながら。
4月2日に新しい拠点にアメリカのドキュメンタリー映画監督アンナ・ウェルトナーさんが『Toy Film Story(仮題)』の続きを撮影のために来館。彼女が英国の大学院に留学中に知り合ったドキュメンタリー映画監督アーガス・ハットンさんも急遽加わって。通訳の中島綾子さん、奥に見えているのは撮影の黒瀬政男さん。映画は8日に無事撮影を終了しました。綾子さんは6月が出産予定でしたので、今頃は二人目のお母さんになっておられるかも。アンナさんは今年いっぱいかかって編集をして作品を仕上げる計画。エンドロールにクレジットを希望された皆さんは、その完成を楽しみにお待ちくださいね。アーガスさんは、アジア諸国を旅しながら撮影しているのだそうです。
4月3日「どうしても展示を見たい」と、映画製作者で大学で映画を教えておられるDamien Spicciaさんが、オーストラリアのバースから旅行日程のわずかな時間を活用して、内覧会に参加してくださいました。
……先週はミュージアムに迎えてくださり、ありがとうございました。
初期映画の宝物のような作品を見られて、大変うれしかったです。
次に京都に行くときに、また訪れるのが楽しみです。
私の学生たちにも、あなたの素晴らしいコレクションについて伝えます。……
とメールが届きました。中央は、初期映像装置を研究している橋本典久さん。昨年3Dプリンターを駆使して作ってくださったミュートスコープは、日々お客様にハンドルを手回ししてご覧いただいています。橋本さんには、今年も2作品を作ってくだるよう依頼しています。向かって左の佛教大学名誉教授原田敬一先生には、1945年8月26日に襲った西陣空襲をテーマに「京都の空襲-都市伝説と事実ー」の演題でお話をしていただきます。28日(土)13:30~です。まだ、お席に余裕がございますので、お誘い併せてどうぞご参加くださいませ。
4月4日、アメリカのロチェスターから来館のLindsey Kuranoさんと彼。ロチェスターと聞いて、すぐに「ジョアン・ベルナルディ教授のことをご存じですか?」と尋ましたら、
「わたしはベルナルディ先生の教え子で、今は学芸員をしています。先生から聞いて、ずいぶん前から来たかった場所に、ようやく来ることができました」と、とっても嬉しい言葉が返ってきました。
親しくなったノリで、「ジョージ・イーストマン・ミュージアムには、これまでのフィルムの様々な規格が展示してあり、そこに去年紙フィルムが加わったと思うので、次に見学に行く機会があったら見てきて欲しい」と厚かましいお願いごとまでしてしまいました。本当は毎年5月に開催されている「ナイトレート映画祭」に一度は出かけて、実際に見てみたいし、その時に自分の目でも紙フィルムを確認してみたいです。
ちなみに今年は6月1日に閉幕。日本に関していえば、ジョアンさんからのメールによれば「成瀬巳喜男の『妻よ薔薇のように』(1935年キネマ旬報最優秀作品賞受賞)の世界唯一と思われるナイトレート・プリントが上映されました。1951年、成瀬の映画を米国に紹介したシカゴ系配給会社ウェズリー・グリーンからジョージ・イーストマン・ミュージアムに持ち込まれて収蔵されているプリントで、1937年の4月にニューヨークの映画館で、日本の音楽紀行映画と共に公開され、一週間上映されたと思われるプリントです。この作品は、アメリカで商業公開された最初の日本のトーキー映画でした。1982年ごろ、修士論文を研究していたとき、その1937年の上映のことについて初めて分かったのです。ニューヨークでは題名が『キミコ』に変更されました。数年後、ドナルド・キーン先生が14歳ごろ、その『キミコ』をニューヨークで鑑賞したという話があって、びっくりしました。ナイトレート映画祭で、プリントの上映を紹介して、添付したプログラムの24ページの解説文も書きました」とあり、彼女の『妻よ薔薇のように』についての解説文が載ったプログラムを送ってくださいました。1951年からきちんとナイトレートフィルムが保存されていて、それが米国公開オリジナルプリントの完全な状態のまま今も上映できるのが素晴らしいですね。
もう夏を思わせる気候なのに、筆が遅くて冬服の記念写真で申し訳ないです。ジョアン・ベルナルディ教授が良き出会いをもたらせてくれました。そのジョアンさんに、6月25日に久しぶりに会えます。今は指折り数えて待つ心情です💕
4月4日にフランス出身のVincent Gailhaguetさんと奥様の台湾出身Lichen Kuo郭立貞さん。彼女はオランダでフィルムアーカイブの仕事をされていて、「映画や映画アーカイブに何らかの関わりを持っている人の間で、おもちゃ映画ミュージアムはとても良く知られていますよ」とお聞きして、天にも昇るような嬉しさでした💖
台湾で光学玩具の研究などを通じて、子どもたちへの教育活動に熱心に取り組んでいる許岑竹さんと友達という繋がりもありました。世の中は面白い縁で繋がっています。
4月12日にカリフォルニアからお越しのルーシー・ハリソンさん。スタンフォード大学で学んでおられた時に同志社大学に留学し、その折は溝口健二監督の脚本を手掛けたことで知られている依田義賢先生宅にホームステイされていたのだそうです。ご長男の義右先生とはその頃からの長い友人で、義右先生の奥様裕子さんとお嬢さんの直知さんが案内してくださいました。
この時、お聞きした依田義賢先生と名キャメラマン宮川一夫先生の対談が載った資料が見つかったことを書くと約束しながら、それもまだ実行できていない。11月14日の依田先生命日までには何とか💦
4月19日にアイルランドから初めてお越しのSam Manningさんと奥様のLauren Browneさん。Samさんは映画の歴史を研究しておられる教授で、Laurenさんも教師をされていて、日本語を勉強されていました。2021年、ケネス・プラナー監督『ベルファスト』の舞台となった北アイルランドの首府ベルファストから来日。映画は1969年を舞台にした監督の半自伝的な作品で、アカデミー賞脚本賞受賞作。正直に言えば、私は観る機会を逸していました。映画を観ていたなら、もっともっと思い出に残る会話が弾んだことでしょう。残念。
(続きは後日)