おもちゃ映画ミュージアム
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Toy Film Museum

2025.07.16column

祇園祭:弓矢町武具飾りと長江家住宅屏風祭

今日の午後、京都市東山区の弓矢町へ行き、15、16日に町内6か所で展示されている「武具飾り」を見てきました。途中土砂降りの雨に遭ったりもしましたが、6月14日に祇園の弥栄ふれあいサロンで開催した「祇園祭と弓矢町―半世紀ぶり武者行列復活―」の折にお世話になった弓矢町の皆様と再会し、いろんな話を伺うことができました。いよいよ明日が本番ですが、山鉾町も弓矢町も準備万端ですが、気がかりはお天気だけ。少しでもお役に立てれたらと、お利口なテルテル坊主さんに好天を祈りました。関わっている方皆さんが、笑顔で無事神幸祭を終えられるよう祈っています。

これは15日付け京都新聞社会面の記事です。6月14日に取材してくださった浅井記者さんの記事がようやく紙面に載り安堵しました。14日の催しに参加してくださった八坂神社の野村宮司様から、その日のうちに、大将に「宣状」授与を復活させることを提案下さり、12日に山中さんのご長男、秀起さんに授与されたことも載っています。

その「宣状」が弓矢町の町会所「弓箭閣」2階に展示してありました。下段は中断する前の年の「宣状」で、半世紀前のもの。今朝の京都新聞市民版でも「武具飾り」のことが載っていましたが、それらの記事よりも早く7月9日付け毎日新聞夕刊一面トップで、大将役を務める山中秀起さんを主にした曽祖父から4代の話が大きく載っていたことを教えてもらいました。

そして、7月12日読売新聞京都版にも「武者行列『神輿守る』胸に」「東山・弓矢町 半世紀ぶり再興」の見出しで、大きく載っていました。

今日は記事に載っている4人の方と話しましたが、復興できる喜び、ようやく責任が果たせるという思いで溢れていました。復興に町内の人や企業からの寄付金ももちろん大きかったでしょうが、大将の甲冑を修復した鎧司の明珍阿古さんの応援が大きかったように思います。昔から南から流れ込む積乱雲を京都市では「山城次郎」と呼ぶそうで、17日の本番も南から「山城次郎」が北上してくるのではないかと皆さん心配していますが、今日、明珍阿古さんから山中さんに「たとえ急に雨が降ってきても、八坂神社や御旅所などでは雨具など用いずに毅然と進んで。責任は持つから」と連絡があったそうです。この思いの強さが、半世紀ぶりに武者行列を復興させる最も大きな力になったのだろうと思います。素晴らしいです‼

前日にもテレビニュースで放送されたこともあり、次々と見学者が来館の弓箭閣。今回5人の若者が甲冑装束でお神輿を先導しますが、大将以外の甲冑は個人がレプリカを調達された(上掲毎日新聞)ということです。写真に写っている先代たちが身に着けた甲冑も寄贈されたものも含め、もとは自前でしたから本当に維持しつつけるのは大変だったろうと思います。

なかなか見ることができない甲冑の後ろ姿。

足利時代(室町時代)と伝わる古い兜や、町内に伝わる古文書の類も展示されていました。

14日に見学した長江家住宅奥の間床の間に掛かっていた軸で初めて知りましたが、祇園祭の時には、好んで武者の絵が掛けられていたと知ったばかりでしたので、床の間に注目しましたら、弓箭閣でも掛かっていました。

良い絵ですね。「文嶺」でしょうか?前川文嶺だとしたら、明治初期の京都画壇の中堅的な画家のようです。

この日、六原清々講社社長高橋慎司さんのところで武具飾りを見ながらお話を伺っていた時に、たまたま居合わせた林原さんから杉本家住宅床の間に掛けられていた「武者の図」の写真を送っていただきました。下掲の村瀬雙石(1822‐77)の絵だそうです。

杉本家は写真撮影可だったので、林原さんを介して町家の雰囲気を感じることができます。床に置いた明かりで楽しむ設えで、この茶の間の床に見られる垂れ壁が珍しいです。瓢を半分にしたような形が面白いです。キャプションによると、茶の間の改装を手掛けたのは茶道薮内流九代薮内紹智の次男、随竹庵四代節庵だそうで、「垂れ壁下端に壁留めがなく限りなく薄く仕上げられ、当時の熟練を極めた左官技術の粋を伝えている」とのことです。来年はぜひ実見したいものです。

林原さんから、もう一枚写真が届きました。松原通を歩いていて、急な土砂降りを避けようとカフェに入ったところがギャラリーも併設されていて、16日まで、日本甲冑武具研究保存会企画の「祇園祭屏風飾 祭礼と風流武者 かつて祭を華やかに彩った甲冑武者を現代に」が開催されていたのだそうです。写真は展示されていた明治時代に作られた「風流武者人形」。

6月14日下坂守先生の講演で、多くの武者行列を描いた絵画を見せて貰いましたが、その時に知った「大母衣」を背負い、大太刀を佩いた甲冑武者を造形した「生き人形」です。キャプションによれば、「アメリカの万国博覧会に当時の日本人の姿を世界の人々に見せるため甲冑やさまざまな装束を着せ会場に展示された。この生き人形(個人蔵)は2018年に約100年ぶりにアメリカより里帰りしたもの」だそうです。いやぁ、惜しかったです。実際に見たかったです‼ 林原さんがこのカフェで雨宿りしている頃、私どもは建仁寺の門前で既にずぶぬれで、大雨警報(浸水害)から洪水警報も発令されて大変な状態でしたから、知っていても見に行けたか、否かですが。それにしても波長の合う面白い人と出会えた日でした。

長江家では3人の「弦召(つるめそ)」を描いた軸の写真撮影ができなかったので残念ですが、キャプションをメモしてきました。羽田月洲の「祇園会弦召」は明治期に描かれたもの。

……弦召は祇園会の神幸祭と還幸祭において甲冑を身にまとい、神輿を先導した犬神人の通称である。この呼び名は弓弦を製作し、市中へ売り歩いた生業に由来している。彼らは東山の麓、清水寺へ続く「坂」に居住していた。現在その地には、弓矢町という町が存在しており、住民らによって武具飾り、武者行列の伝統が継承されている。祇園祭を象徴する画題の一つとしてもよく用いられ、長江家でも祭りの期間中、オクの床の間に好まれて掛けられていた。……

やはりこうなると、祇園祭に半世紀の間武者行列が参加できなかったことが何とも惜しい。このキャプションにもあります通り、本来なら還幸祭でも先導していました。そのことを山中さんに尋ねましたら、八坂神社の野村宮司様からも「還幸祭でも復活を」と望まれているそうです。夏場の行列で布製品の痛みもひどくなるでしょうし、修復と調達など個人、あるいは町会で負担するのは容易ではありませんから、勝手ながら、山中さんらに「せっかく文化庁が京都に移転してきたのだから、助成金を嘆願しては如何でしょう?」と提案しました。半世紀ぶりに復活することで多くの人々から注目を浴びている今を好機ととらえて、ぜひ挑戦してもらいたいなぁと思います。

 

さて、最初に載せた京都新聞の記事左下に載っているのは、船鉾です。これを撮影された京都新聞の松村記者さんに、偶然長江家住宅見学の折に出会い、マジックアワーのタイミングで記念に一枚撮らせてもらいました。もう何年振りの再会でしょう、懐かしくて、思わず声をかけてしまいました。

「世界報道写真展2024」で、認知症の本人とご家族の物語を紡いだ写真シリーズ「心の糸」が入賞。良かったなぁと思っていた記者さんです。前祭でしんがりをつとめる船鉾の左に軒が見えている家が、長江家住宅です。いつも前を通り過ぎるばかりで屏風祭を拝見するのは初めて。訪問の主目的は化粧部屋で展示紹介してくださっている「京都ニュース」の様子を見ることでしたが、伝統的な京都らしい町家の設えを拝見できて良かったです。立派なおくどさんがあり、建物のそこかしこに明り採りの工夫がありました。板戸の向こうには、二階への階段もあるらしく、北棟など見えない部分への想像力もかきたてられました。

手入れされた庭も素敵で、奥には2棟の蔵があり、調度品などはここに収納されているのだそうです。黒田庄七郎家でも思いましたが、季節ごとに設えを替える作業は大変だろうなと思いました。長江家のご当主伊三郎さんは船鉾の囃子方で太鼓を担当されていたそうで、1931年8月に太平レコードから市販された「船鉾(囃子)」のレコードテスト版も展示されていました。当時のカタログによれば長刀鉾のレコードも同じ8月に市販されていたようです。

素敵な庭の西側05「化粧部屋」には、1956~94年まで京都市によって制作された「京都ニュース」244本のうちの祇園祭を撮影した7作品が常時上映されていました。足を止めて見入ってくださる方も相次ぎ、その光景を見ることができて良かったです。南にはお風呂場があり、今では珍しくなったタイル張りの浴槽と壁で、色使いも含め興味深かったです。ダイドコにあったガラス乾板とカメラも貴重で、展示されていたガラス乾板は祇園祭を写したもの。戦後80年を意識しての展示なので、団用一號「市民防毒面」も目をひきました。物々しい防毒マスクが市内の町会に配布されていたことを知りました。「防空壕はなかったですか?」と尋ねましたが、ないようです。家の手直しの時に塞がれたのかもしれませんが、一昨年京都国際写真祭の折に会場となった大きな家では、2つも大きな防空壕があって「へぇ~」と驚いたことが頭にありました。

大きな蓄音機のラッパが保存されていたり、家業の呉服の商いに関連して、色見本帳などが綺麗に保存されていて、主だったかたの几帳面さもうかがえました。目を見張ったのは明治時代の谷口靄山という富山県出身の南画家の手による六曲一双屏風「春夏秋冬山水図」。絵もですが、達筆な書に見入りました。私の郷里出身者にこのような人がおられたことを誇りに思います。伊三郎さんは旅好きだったらしく各地の絵葉書なども多く残され、マッチやSPレコードの吉本三平原作「コグマノコロスケ」スリーブ、1970年大阪万博資料なども含め、様々なものを大切に保存されている人柄を思いました。

案内してくださった人の話によると、毎年屏風祭の展示品は内容を替えて行われるそうです。その時の入館料は屋根の葺き替えなど家屋維持管理にあてられるそうです。長井家住宅は京都市指定有形文化財で、京都市の助言も得ながら、㈱フージャースホールディングスが所有し、立命館大学と連携しながら保存活動をされているそうです。産官学連携の取り組みを羨ましく思いながら「私どもも何とか手がないものかしら」などと思いながら、ゆかしい京町家を後にしました。

 

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