おもちゃ映画ミュージアム
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Toy Film Museum

2025.08.03column

イラストレーター古川タク先生登場の「阿川佐和子の この人に会いたい」第1548回

昨日の朝、イラストレーターで日本アニメーション協会名誉会長の古川タク先生から連絡があり、早速「週刊新潮」8月7日号を買ってきました。6ページにわたって、阿川佐和子さんとの対談の内容が文字おこしされています。阿川さんの聞き方上手で、終始この写真のような穏やかで楽しい雰囲気で進行し、少年のままのような先生の笑顔が、失礼ながら可愛いです。

今知り合いのfacebookを見たら、この記事が文春のサイトでアップされていることを知りました。こちらの写真の方がクリアで💗ただし、全文読もうと思ったら登録(有料)が必要です。先生は、このインタビューがあった日に、敢えて当館で作ったTシャツをジャケットの中に着て臨んでくださったのです。その思いやりが、本当に嬉しいです。古川先生、どうもありがとうございました‼

昨年12月28日から今年2月28日まで、ミュージアムの引っ越しを応援して頂くクラウドファンディングに取り組みました。その折に先生にお願いして、リターン用Tシャツにイラストをデザインして頂きました。デザインを纏めてくださったのは、東京工芸大学アニメーション学科の山中幸生先生です。そのデザインで着心地の良い素材を用いて製造してくださったのは私どもの恩師宮川一夫先生のお孫さんの一平さんです。3名の方には温かい応援を賜り、改めて心より御礼を申し上げます。

古川先生の思いやりが嬉しいので、早速「TAKUN WALK」のTシャツのところに誌面を広げて置きました。記事を読むと、伊賀出身の松尾芭蕉の生家 から50mぐらいのところでお生まれになったとのこと。「木津川の地名を歩く会」を主宰していた時に伊賀上野を仲間とともにフィールドワークしたおりのことを懐かしく思い出しました。ひょっとしたら、ご実家の前を歩いたのかもしれないなぁと。

久里洋二さんや和田誠さんに憧れていたことも話しておられます。昨年古川先生が久里さんの訃報に接せられたのは、私たちがギャラリーでお会いした12月15日の夜、京都での個展からの帰りのことだったようで、「いつも通いなれていた道を間違えた」というようなことをfacebookで書いておられたのが記憶にあります。それほど大きなショックだったのだと胸中をお察ししていました。

文春の記事を読みながら、今年5月31日付けfacebookで書きながら、他で紹介していなかった山中生先生の論文についても思い出しましたので、ここで再掲します。

…………

先日、東京工芸大学アニメーション学科山中幸生先生から同大学芸術学部紀要に掲載された「映像時代初期アニメーションに於ける和田誠の果たした役割~NHK「みんなのうた」立ち上げ期における関わりとその経緯およびアートディレクター ソウル・バスとの比較に関する一考察~」をお送りいただきました。
「みんなのうた」が始まったのは1961年4月3日。本当は和田誠さんがクレヨンで描いた前半と、後半が中原収一さんが担当した切り紙による“アニメーション最初の作品”『誰も知らない』だったのですが、「NHKの番組にアニメを持ち込むなんてとんでもない」と猛烈な反対にあい、実写版の『おお牧場はみどり』が1曲目となったそうです。隔世の感がありますね。ちなみに2004年に販売されたDVD-BOX『NHKみんなのうた』では1番目が『誰も知らない』、2番目が『おお牧場はみどり』となっているそうです。
 
それに先立ち、久里洋二さん、真鍋博さん、柳原良平さんは「アニメーション3人の会」を立ち上げ、活動と発表の場として映画監督勅使河原宏さんが始めた草月ホールに持ち込みます。彼らに共感した武満徹さんら音楽家たちも協力して、1960年11月第1回目の上映会が行われたのだそうです。久里さん曰く「なにしろアニメーションという意味がわからなかったんだけれど、超満員だった」。彼らの活動が「日本に“アニメーション”という表現と、ことばを普及させるきっかけに」と山中先生。
 
和田さんは、アートディレクター、ソウル・バスを敬愛していたそうです。ソウル・バスについては当団体会員の西岡りきさんが、2016年12月23日と2017年3月18日に2回にわたり「ソール・バスとその時代」と題して研究発表してくださったので、そのことを思い出しながら読みました。/news/information/2472.html
映像時代初期アニメーションの様子が伝わって、大変興味深く読みました。山中先生には、2月まで挑戦したクラファンのリターン用につくった古川タク先生デザインTシャツで大変お世話になり、ご縁を頂戴しました。今回の抜刷ご恵贈も併せ心から御礼を申し上げます。
…………
 
ここで登場する「NHKみんなのうた」に関しては、古川先生は、久里洋二さんに紹介されて「みんなのうた」のアニメーションを作るようになられたそうで、NHKが内幸町にあった時代(~1973年7月31日)モノクロ映像の時からで、20曲以上もあるそうです‼ 凄い数ですね。今では世界的に日本のアニメーションが評価されていますが、山中さんの論文で、「アニメーション」という言葉が1960年初めには、まだ真新しい言葉だったことを知りました。文春のネットでの記事を読まれた方も多いらしく、それについて古川先生は「ボクは普通にベラベラ喋ってた、楽しかった」と書いておられますとおり、記事には先生のお人柄が滲み出ていて、何度読み返しても心がまん丸くなるようなほっこり感が味わえ、楽しさのお裾分けを頂戴した気分になります。
 
 
 
 
 

 

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