おもちゃ映画ミュージアム
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Toy Film Museum

2026.01.25column

電動Phenakistoscope と秋山好正さんが遺した“驚き盤”

昨日は神戸芸術工科大学名誉教授橋本英治先生に来てもらいました。大切に使い続けているフィルムスキャナーの調子が16日ごろから悪くなり、心配していました。試行錯誤しても良くならないので、再び橋本先生にSOS発信。そして快く応じてくださいました。

振り返ると2023年11月に突然スキャナーが動かなくなり、製造していたアメリカの会社はすでになく、連絡の取りようがない状況でした。フィルムの救出が最大の仕事と思っていた連れ合いにとっては、せっかく入手したフィルムをなんともできないのは「手足がもがれたような辛さ」でした。そこに橋本先生との出会いが生まれ、2024年11月19日に橋本先生が直して下さったのですが、その時の喜びは生涯忘れることはないでしょう。

それからこの機械は本当によく動いてくれて、多くのフィルムを救って保存することに貢献してくれました。昨日の見立てでは、2本のベルトがモーターに負荷をもたらしていたので、手動で回すようにすると動くようになったらしいです。機械なので恒久的ではありませんが、原因が分かったことで当面の操作ができるようになり、先ずは一安心です。

その恩人の橋本先生が、昨年末に製作して、寄贈してくださったのがステッピングモーターで動くPhenakistoscope。アニメーションの原理が分かる初期の映像装置です。

ツマミを回すと回転速度が変えられます。大阪市北区中崎町の“PLANET+1”が昨年12月1日に30周年を迎えた記念に橋本先生が提案し、代表の富岡さんの希望を聞きながらデザインして作られたもののようです。1月14日にこの装置をSNSで紹介したら、直ぐに見に来てくださった人がおられ「工芸品的にも良いですねぇ」と絶賛。如何にも欲しそうにされたので、昨日橋本先生にお聞きしたら、「何台かを“PLANET+1”に納めているので、富岡さんに連絡すれば買うことができると思う」とのこと。それで早速代表の富岡さんに尋ねたら、「直接申し込みをして下されば、着払いでお送りすることができる」ということでした。そのことを夕べfacebookでご紹介しました。せっかく橋本先生が作られた作品ですので、お手元で楽しんできただけたら良いなぁと思います。自分で書いた絵を動いてみるようにもできるそうですよ。

先生と話をしていて、手元にある“驚き盤”(Phenakistoscope)を動かしてみるために、その円盤に合った大きさの道具を作って欲しいと依頼しました。先日も書いたASIFA-JAPANメンバーだった秋山好正さんが、第1回広島国際アニメーションフェスティバルの時、会場周辺で驚き盤制作ワークショップを自主的にされた折に集まった作品があり、2017年に持参されました。きっと国内外をフーテンの寅さんのようにふらりふらーりと旅する方なので、保存する場所にと思ってくださったのでしょう。一目見て「これは貴重だ」と思いましたので、当時日本アニメーション協会会長だった古川タク先生にご尽力いただいて、それらの“驚き盤”が誰の作品か、それはどのような人物なのかを判る範囲で書いていただき、その年秋に展覧会をしました。

その後、秋山さんは第2回の折のワークショップで集まった作品も持参され、その頃から、きちんとアーカイブしたいと思っていました。そんな折、当時は神奈川工科大学教授だった連れ合いの教え子の福本隆司先生が来館され、現物をお見せして協力を呼び掛けました。それから時間がかかりましたが、今は大阪芸術大学教授の福本先生が昨年12月に来館され、具体的にアーカイブへ動き出すことが決まったと教えてもらいました。そのことを秋山さんにお伝えして協力もしていただきたいと連絡をとろうとしたのが昨年12月18日のことでした。けれども如何なる方法でアクセスを試みても繋がらず、親しくされていた方々にも尋ねましたが、どなたもご存じではなかったです。11日の真夜中、SNSで「秋山さんに会いたい」と呼び掛けましたが、情報は得られないまま、ASIFA-JAPANNより「昨年春ごろ亡くなったらしい」と正式にお知らせが発せられました。

2017年当時、秋の展覧会の案内をTwitterでしたところ、大きな白い画用紙の裏を墨で真っ黒に塗り、それを円盤に切って、12のスリットを入れるという手間がかかる作業を手伝ったという人が、リツィートして書き込んでくださったことがありました。私が動かしてみたいのは、いろんな思いが籠ったこれらの“驚き盤”です。アーカイブが終わった後で、英治先生が作ってくださるこの装置を用いて展覧会をしたいなぁと思っています。きっと秋山さんも喜んでくださることでしょう。

生前の秋山さんを知っている坂井靖夫さんから、夕べメールが届きました。それを受けて、私もfacebookで書きました。

……

「秋山さん、非常に残念です」と昨年春ごろに亡くなったらしい秋山好正さんを偲ぶメッセージが届きました。そういえば、2023年10月1日にfacebookに書いた記事を読んで、秋山さんが「本が出来て良かった」と直ぐに書き込んでシェアもしてくださったことを思い出しました。植岡監督の8㎜映画『夢で逢いましょう』で美術を担当されたのだそうです。「大量の段ボールに囲まれてコツコツ作り物をしていた姿が目に浮かびます。植岡監督の訃報をお知らせした時、非常に驚かれていました。作家としては植岡監督を尊敬していたようで…」と当時の秋山さんを思い出して綴ってくださいました。大量の段ボールに囲まれてコツコツ作りものをしている秋山さんの様子は私でさえも目に浮かぶようで、涙があふれます。私も、ただただ残念です。……

この記事というのは、坂井さんの企画で銀河書籍から出版された『植岡喜春のみた夢』を寄贈いただいたことを書いたものです。

その書き込みで、秋山さんは、

『夢で逢いましょう』の画像を直ぐにアップしてくださいました。いつでも取り出せるよう手元で大切に保存されていたのでしょう。晩年にお住まいだった場所が今となっては不明ですが、きっと最後まで秋山さんの傍にあったVHSなのだろうと思います。そして、坂井さんは、「社会的には不器用な根っからのクリエーター、自身の好きなものを求めて生き抜いた、実に愛すべき人でした」とも書いてくださいました。書いているうちに秋山さんの話し声が思い出され、なお一層もう会えなくなったかもしれない秋山さんのことを思い、淋しくて泣けてきます。

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