おもちゃ映画ミュージアム
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Toy Film Museum

2017.03.07column

第12回大阪アジアン映画祭開催中

亡命記

昨夜は、大阪阪急うめだホールで、第12回大阪アジアン映画祭特集企画<アジアの失職、求職、労働現場>上映作品として、1955年松竹で作られた『亡命記』、35㎜フィルム上映(東京国立近代美術館フィルムセンター協力)を観ました。監督:野村芳太郎、出演:佐田啓二、岸惠子。この二人の出演となれば連想するのは『君の名は』(1953年。脚本家菊田一夫の代表作。1952年NHKラジオドラマで人気を博し、後に大庭秀雄監督、佐田、岸コンビの3部作として映画化され、大ヒット)。氏家真知子と後宮春樹が「会えそうで会えない」お話にファンがヤキモキし、岸のストールの巻き方が「真知子巻き」として社会現象にもなるほど大人気に。この作品も「会えそうで会えない」中国の青年、顔昌唱と妻になった日本人女性左千子の二人でしたが、ようやく会えた後にも中国から亡命してきた顔に仕事はなく…、と、重いメロドラマ。戦中戦後を必死に生きようとする人々の様子を丁寧に描いた作品でした。

亡命記2

募集子役の日印ハーフのシリア・パールさん。どうみても主演二人の子どもに見えず、彼女には悪いのですが違和感を覚えてしまい、何故彼女なのかと思いました。今なら大人顔負けの演技をする子どもタレントがワンサカいますが、当時は少なかったのでしょうか。年表を調べてみると1952年にインドは戦争賠償請求権を放棄し国交樹立、1955年にはインドの支援で、日本はバンドン会議(アジア・アフリカ会議)へ参加できました。1953年に監督デビューしたばかりの野村監督は、そういった政治事情もあって彼女を子役にしたのかもしれませんね。

野村芳太郎と聞いて連想するのは父・野村芳亭。前回も触れた1月28日に開催した「反論!…日本『映画』事始め」で、発表者の森恭彦さんから「京都電燈での試写には後の松竹監督で、日本映画の基礎を作った一人、野村芳亭も立ち会っています」の文言です。息子の芳太郎は1919年京都生まれで、監督作は89本を数え、そのうちの1本松本清張原作『砂の器』は数々の賞に輝く名作として知られています。

さて、3日から始まった大阪アジアン映画祭は12日まで、梅田ブルグ7、シネ・リーブル梅田、ABCホール、阪急うめだホール、国立国際美術館を会場に過去最多の58本が上映されます。ミュージアムがあるのでなかなか観に行くことができませんが、可能な限り出かけてみたいと思っています。

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これは3月3日19時から梅田ブルク7で開催されたオープニング・セレモニーの様子。向かって右から特集企画<アジアの失職、求職、労働現場>から『世界の残酷』のサンジェイ・クマール・ぺルマル監督。2016年マレーシア映画祭で最優秀作品賞受賞作。全編ほぼタミル語で、少数派のタミルをめぐる、マレーシアの社会矛盾を浮き彫りにした作品だそうです。その左は特集企画<ニューアクション!サウスイースト>から『パティンテロ』のミーク・ヴェルガラ監督。フィリピンの伝統的なストリートゲーム「パティンテロ」に夢中な10歳の少女を中心に子どもたちの友情と成長を描いた熱血スポ根ドラマ。

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そして中央でスピーチをされているのが、マレーシア、香港合作のオープニング作品『ミセスK』のホー・ユー・ハン監督。今映画祭の審査委員も務められました。傍で花束を抱えておられるのが、主演のカラ・ワイさん(ペティ・ウェイ、クララ・ウェイとも。カラ・ワイさんによれば本人の英語名はカラ・ワイ一筋ですが、ベティという英語名は日本セールス用にウィリー・チェンが付けたのだそうです)で、大阪Asiaスター★アワードを受賞されました。彼女の体調が悪い時も、ずっと復帰を待ち続けての作品。ステージ上でも彼女の写真を撮るなど、彼女への尊敬と愛が感じられ、お茶目ぶりも垣間見える監督さんでした。

続く日本の若い女性3人は<インディ・フォーラム部門>『恋とさよならとハワイ』を代表して登壇された綾乃彩さん、亀田梨紗さん、篠原彩さん。そして、その左に同部門『バーミー』の田中隼監督。

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現在57歳のカラ・ワイさんは、とてもスタイルが良く綺麗で、格好いい女性。「初めて観た映画はブルース・リーの『怒りの鉄拳』で、彼のように大スターになりたいと思った」のだそうです。16歳でデビューし、アクション女優としてアクション映画に10年間で120作品ほどに出演されましたが、この『ミセスK』が最後のアクション映画になるそうです。「私の体はボロボロです」と話されたのが印象に残りました。

私はアクション映画にさほど関心はなかったのですが、『ミセスK』を演じられたのは56歳の時といいますから、恐るべし身体能力と忍耐だと思いました。ホー・ユー・ハン監督自身も「アクションシーンがたくさんある作品は初めてでしたが、肉体的には厳しいので、アクション映画はもう辞めたいぐらい」とコメントするくらいですから、現場は想像を絶する苛酷さなのでしょう。上倉実行委員長は「様々な時代の波にひるまぬ努力を重ねてこられました。今回の『ミセスK』では、女性アクションという確立したジャンルにアジアの新風を吹き込み、アジア、また世界の映画に新しい扉を開きました。同時に、豊かな経験を積んだアジアの大女優は、その生き方、仕事の仕方でも、後に続く全ての女優達、俳優たちに一つの典型を示し、大きな刺激となっています」と、大阪Asiaスター★アワード受賞の理由を述べられ、会場から大きな拍手が送られました。

映画祭を見ていて、若い観客がとてもたくさんおられることを頼もしく思いました。大阪アジアン映画祭は回を重ねて今年で12回。積み重ねた努力があったからこその光景でしょう。一喜一憂せず、たゆまぬ努力の成果だと思い、励まされる思いで会場を後にしました。ほとんどの作品はこの映画祭以外では日本で見る機会がありません。お時間があれば、どうぞお運びください。

詳しくは大阪アジアン映画祭運営事務局      TEL06-6373-1211  FAX06-6373-1213 

 

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