おもちゃ映画ミュージアム
おもちゃ映画ミュージアム
Toy Film Museum

2026.03.04column

3月3日の見聞から

3月3日は上巳の節句、ミュージアムにも雛人形をいろいろ飾ってお祝いをしました。1日はミュージアムが位置する近くの大宮今出川周辺で千両ケ辻ひな祭りが行われ私どもも参加しました。人形好きの私はよその家のお雛様飾りを観に行きたい気持ちを抑えて館内にずっといましたので、来年は展示はすれどもイベント参加は見合わせようと思います。古くからある商家が多いので、周辺にはさぞかし見ごたえのあるお雛様が展示されたことでしょう。そういえば昨年は、朝刊で読んで居てもたってもおれずに、そのまま京都市右京区水尾・岩陰地区に残るお雛様約100体を観に行ったことを思い出します。クネクネした細い山道をハラハラしながら行きましたが、そこで見せて貰ったお雛様たちと、大事に保存しておられた地元の人々とのおしゃべりがとても印象に残り、良い思い出です。

1日の日に観に来てくれた幼い姉妹にとっても、そのような思い出の一つになったなら嬉しいです。

さて、3日は朝からあいにくの雨でしたが合羽を着て確定申告に行って来ました。雨が幸いしてか例年より申告の手続きを待つ人が少なく、すんなり処理できて、全くの少額ではありましたが、無事還付申請を終えることができました。帰りに例年なら一条戻橋の河津桜を観に行くのですが、遠めに見てもまだ満開には時間がかかりそうだったので、そのまま堀川商店街を自転車で走りました。20代の頃、この商店街近くで間借りしていたことがあり、懐かしい商店街です。当時に比べれば寂れ感は否めませんが、食堂が目に入ったのでランチを依頼しましたら、

それが、ちらし寿司。自分で作らなくても節句料理を頂くことができて幸せに思いましたので、珍しく写真を撮りました。その時「そういえば」と数日前に読んだ新聞記事を思い出して、西陣織会館にUターン。3階の西陣織資料室で所蔵品展「西陣 絣織の魅力」をやっていました。

以前住んでいた京都府南部には相楽木綿(さがなかもめん)が地場産業としてありましたが、廃れようとしていたのを、地域の女性たちが立ち上がり復興に取り組んでいました。それは久留米絣、伊予絣、備後絣と同じように木綿でした。けれども西陣の絣は絹糸の経絣でした。絣の着物と言えば普段着のイメージでしたが、振袖もあったのですね。チラシ下段中央の虹色モザイク文様絣御召振袖は、はしご技法を用いた精緻な柄出しです。

西陣絣の見本帳。かつて、私は、田んぼで燃やされそうとしていた相楽木綿の見本帳をもらい受けて活かして下さる場所に寄贈したことがありましたが、こうして残っていることが貴重です。

好きだったのは矢絣文様の御召着物。江戸時代からよく見られる絣柄の定番。紺やエンジ色の袴によく合い、これから迎える卒業式の定番ですね。エンジ色に近い色にエビ茶色がありますが、阪急電車のボディーカラーとして採用されていて、この色を生み出したのは稲畑勝太郎の染料店で「稲畑染」とも呼ばれて明治中期に流行しました。一方のエンジ色は立命館大学のスクールカラーになっています。

経絣整経機の模型。西陣独自の「はしご」と呼ばれる装置が取り付けられています。

ひと際目を惹いたのが「桐竹文様紅白段締切絣唐織能装束」。昭和期の織物だそうです。とても美しかったです。以外なことにこの能装束にも絣の技術が用いられていました。祝賀の象徴である紅色と白色で大きく大胆に市松を表す「段替り」の意匠です。

段になる紅と白の部分の染分けには「締切絣」と呼ぶ西陣伝統の絣織技法が用いられています。能装束にも絣の技法が用いられていることを初めて知りました。

これは会場入り口手前に展示してあった「吉祥文様几帳」(2001年)です。平安時代以降室内の仕切り幕として用いられてきたものです。おめでたい図柄を組み合わせて大変な手間をかけて織られた豪華な室内調度品です。会場には美しい糸を巻いた「杼」(ひ)も展示していましたが、経糸(たていと)に緯糸(よこいと)を通すシャットルとも呼ばれる道具ですが、これを作る職人さんが1人だと随分前に聞きましたが、つい先日ニュース番組で国内の養蚕農家が113軒になったと言っていました。前年より21軒も減って過去最少になったということです。かつて絹は日本の輸出産業の花形でしたのに隔世の感があります。

その会場手前の展示コーナーは撮影禁止だったので残念ですが、「空引機」(そらびきばた)の絵が左側に掲げられ、描かれた高機は平安時代に渡来し明治時代まで使われていた織機です。鳥居状の空引(そらびき)は先ほどの模型に似ていて、機の上に一人が座って文様を織り込むための経糸を引き上げ、それに合わせて下に座っている織手が緯糸を織り込みます。二人一組で阿吽の呼吸で織り上げる機でした。やがて明治になってフランスのリヨンからジャカードという紋織装置がもたらされました。

ということで、その導入に尽力された1872年京都府の命でフランスに渡った吉田忠七、井上伊兵衛、佐倉常七の写真が掲示されていました。翌年井上と佐倉の二人はジャカード機とその技術を持ち帰りました。1877(明治10)年西陣の織大工荒木小平は、日本の状況に合うように改良し、木製ジャカード機を完成させました。フランス人のヴェルドールが発明したヴェルドール式ジャカードは1899(明治32)年に今西平平衛が最初に購入したといわれていて、その2~3年頃後に鳥居精三郎が持ち帰ったヴェルドール式ジャカード機が展示してありました。

こうしたことに対する私の興味は西陣にミュージアムを構えたことばかりではなく、京田辺市に住んでいた頃に地域に残る養蚕の歴史を調べたことがあります。随分前のことですが、こちらで書いています。そして今は、先ほど袴の色のところで書いた稲畑勝太郎の染織業への貢献です。1877年、京都復興を目的にレオン・デュリーにより京都府派遣留学生8名が選ばれ、稲畑少年は最年少の15歳でフランスのリヨンへ留学します。最先端の技術を学んで1885年に帰国した後は、京都染工講習所講師を務めるなど洋式最先端染織技術の普及に努めます。稲畑染料店ではフランスのサンドニ―社から合成染料を直輸入して、それまでの天然素材から合成染料へと変化したことは生産効率向上に大いに貢献しました。シネマトグラフを持ち込んだことから稲畑勝太郎に興味を持って2024年1月から稲畑にも注目した展覧会をしましたが、それに先立つ人物たちの活躍についても今回の展示で知ることができました。

西陣織会館は3月13日まで開催中の京都ミュージアムロード参加館でもありますし、「西陣 絣織の魅力」展は31日まで無料で見学できます。

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