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2019.11.05column

京都民報に上倉庸敬・大阪大学名誉教授が寄稿した「映画監督山中貞雄生誕110年」についての文章が掲載‼

京都民報

京都民報11月3日付け「論壇・オピニオン」コーナーで、大阪大学名誉教授の上倉庸敬先生がお書きになった上掲記事が掲載されました。記事1段目に私の名前があり、びっくり。フィルムが残っていないのは、リユースされたからばかりではなく、いろんな理由が挙げられますが、いくつか話した中で、上倉先生には最も強く印象に残った理由だったのかもしれまん。DSC01239 (2)

今回の資料をお貸しくださった日本映画史家の本地陽彦先生(向かって右)と劇団前進座の看板俳優藤川矢之輔さん(同左)。写真は9月28日の催しでギャラリートークの一コマ。この催しの振り返りはまだ書けずにいて申し訳ないのですが、お二人の背後に巡らした横長の巻手紙は、日中戦争に赴く山中監督に宛てて、映画仲間が武運長久を願って書いて送ったもの。5メートルを超す長さで、中には若かりし日の黒澤明監督のお名前も。

巻手紙を読むと、みんなに愛されていたことが、よく分かります。この巻手紙を含む山中宛書簡類60通が、京都の骨董市で見つかったのが監督の死後48年ぶりのことでした。これを報じた1986(昭和61)年の新聞記事に、映画評論家の故・滝沢一先生は「映画人の軍事郵便などがこんなに大量に出てくるのは珍しい。よくも検閲をくぐり抜けたものだ。昭和10年代は、無声からトーキーへ移り、せっかく盛り上がった映画界が、戦争で優秀な監督、俳優らを奪われ、がっくりした時期でもあり、その間の様子がよくわかる。大変な資料だ」とコメントを寄せておられます。

見つかった書簡類は、山中監督の作品『河内山宗俊』(1935年)、『街の入墨者』(1936年)、結果的に遺作となった『人情紙風船』(1937年)の3作品に「前進座一黨總出演」(当時のポスター)して深い信頼関係で結ばれた前進座さんに寄託されました。良い人に見つけて貰い、良い団体に寄託されたものです‼。

前進座さんは、「資料類を大勢の人にご覧頂く機会が余りないので」と、今回私どものところで公開展示することを快く了解してくださいました。本当に有り難いことです。最終日の10日には「映画史における山中貞雄」と題して、連れ合いが話し、関連上映もいたします。お席にまだ余裕がございますので、ご都合良ければ、お誘い合わせてお越し下さい。よろしくお願いいたします。

 

 

 

 

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