おもちゃ映画ミュージアム
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Toy Film Museum

2020.02.03column

私が思う「天才少年二人」と、幸いにして続く交流…その1「谷廣和哉さん」

開館以来多くの人と出会いましたが、その中で私が「天才だ」と特に思う少年2人から、昨日、今日と二日続けて再会・連絡があり、とても嬉しく思っています。

昨日2月2日午前中、そのうちの一人、谷廣和哉さんが、親交がある若手アニメーション史研究家二人を案内してやってきてくれました。一人は「アニメ・マンガ評論刊行会」代表のたつざわさとしさん、もう一人は専修大学大学院文学研究科で研究されている萱間 隆さん。この日14時、神戸映画資料館で「アニメ・マンガ評論刊行会」主催で行われた「戦後初期日本アニメーション上映会」のため関東からお越しになり、その機会を利用しての来館でした。萱間さんが今調べておられることに関する映像が当館にあると谷廣さんが気付き、それを実見して貰おうという目的もあったようです。なお、いただいた資料によれば、2月16日東京の国立新美術館で行われるシンポジウムで萱間さんも発表されるそうです。詳しくは、こちらをご参照ください。

できれば、活発に研究を進めておられる若い彼らに、当館にある映像も用いて貰いながら、それぞれの研究成果をいつか発表して貰いたいとリクエストしました。なんだか叶うような気がしています。

谷廣さんと初めて出会ったときのことは、こちらのブログの最後部分に出てきます。その続きはこちらで書きました。さらに、こちらでも書いています。お読みいただければ、私が「天才少年」と言いたくなる理由が分かっていただけると思います。今春から谷廣さんは、関西の大学に進学されます。合格おめでとうございます‼ 勉強で忙しくなるでしょうが、これからもアニメーションに関する知恵袋として支えて貰いたいなぁと願っています。

北山清太郎ミニ展示A - コピー

昨年の丁度今頃開催していた「国産アニメ誕生102年 パイオニアの一人、北山清太郎関連の資料ミニ展示」の折りに、北山清太郎のお孫さんの安田 彪(たけし)さんを囲んでのトークイベントもしました。その時は、高校2年生になっていた谷廣さんにも登壇して頂き、研究発表とトークイベントの司会進行役を務めて貰いました。

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ずっとその時の振り返りが書けずにいたのを気にしていましたが、丁度この機会に、谷廣さんに書いて貰っていたレポートを掲載することにします。一番左が安田彪さん、中央でマイクを手にしているのが谷廣和哉さん。新美ぬゑさんが発表を終えて、谷廣さんが新美さんに質問している写真です。

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ようやく載せることができた当日の集合写真。チラシを持っておられるのが、映像にピアノの生演奏で華を添えてくださった天宮 遙さん。
 
では、谷廣さんのレポートをどうぞ。
…………

去る2月10日、『北山清太郎』トークイベントに登壇いたしました。
北山清太郎というアニメ作家(というより、彼の場合はプロデューサーと呼んだ方が適切なのですが)の存在は、アニメーション史について関心を持った当初から気になっていました。いち早くアニメーションの商業性について着目し、工業化を推し進めた人物として、その存在は特異なもののように思われたからです。
その数年後、神戸映画資料館さんで行われた『神戸発掘映画祭』にて北山清太郎のお孫さんにあたる安田彪さんと初対面。その後も何度かお会いし、おもちゃ映画ミュージアムさんからのお誘いを受けて安田さん、そして新美ぬゑさんとの3人でトークイベントを開催する事になりました。
そして2月10日、イベント当日を迎えました。TVアニメ史研究の第一人者である「データ原口」さんこと原口正宏さん、かつて「FILM1/24」の編集などで活躍された五味洋子さんと、参加される方々の顔ぶれは錚々たるもの。まだアニメーション史を研究し始めてから間もない私が堂々と登壇していいのかどうか不安になりつつも淡々とイベントは始まりました。
まずは新美ぬゑさんによる研究発表「北山清太郎作品と活動写真興業取締規則」。一次資料を徹底的に調査する新美さんらしく、非常に濃い内容で圧倒されました。1910年代における浅草六区と映画館、そしてアニメーションに関する状況を事細かに調べ上げ、独自の見解を出すそのスタンスはとても刺激的でした。
続いて私の司会進行により安田さんを囲んでの鼎談となりましたが、私の質問に対して安田さんは懇切丁寧に答えてくださり、本当に有難かったです。北山のお孫さんである安田さんのお話からは、当時最先端だった技術に目をつけ、いち早く商業化していく面で突出していた北山の才能を偲ぶことができました。生前の北山は雷や飛行機が苦手だったといった北山の意外な一面も、文献や論文ではなかなか扱われないだけにこうしたトークイベントでしか聞けない貴重なエピソードでした。

休憩を挟んで、次は関連作品の上映。私が前もって調査していた『北山映画製作所検閲作品リスト』を用いつつ、上映作品についての解説を行いました。このリストは、今回のイベントにも参加されていた藤元直樹さんが以前作成された木村白山の検閲作品リストに触発されて作成したもので、1925-26年度の「活動フィルム検閲時報」を用いて調査したものです。今までどの文献にも記載されていなかったと思われる作品もいくつか発見できましたので、参考までに以下に掲載いたします。

上映した作品は北山映画製作所のアニメーション作品「カテイ石鹸」「兔と亀(紙フィルム版)」、大毎キネマニュース製作(だと考えられる)作品「和歌山巡幸の記録」「理科-10『鹿』」「満州事変」「京城だより」の6本と、北山映画製作所出身である山本早苗・山本の門下生である村田安司の作品集。「カテイ石鹸」「兔と亀」を除いて全てイベント開催前に内容を確認していたのですが、最も興味深かったのは今回が初鑑賞となった紙フィルム版「兔と亀」でした。
カテイトーキーという紙フィルム映写機用に作られたフィルムで、基本的な内容は現在『日本アニメーション映画クラシックス』でネット公開されているもの(プラネット映画資料図書館所蔵)と同一。ところが、随所に『クラシックス』のバージョンと異なる点が見受けられたのです。まず、タイトルカードが違う。『クラシックス』版は「教育お伽漫画 兔と亀」というタイトルなのですが、紙フィルム版は「教育漫画 兎と亀」となっていました。そして、『クラシックス』版では欠落していた冒頭部分(太陽が笑うアニメーション)が紙フィルム版ではしっかりと収録されていたのです。他、兔の口の動きなども少し異なっていました。タイトルカードのデザイン性も紙フィルム版の方が高く、現在『クラシックス』で公開されている映像は後に改変を加えた上で再公開されたものではないかと思いました。
興味深い映像たちに華を添えたのは、サイレント映画の伴奏者として活動されている天宮遥さんによる即興ピアノ演奏。サイレント映像はやはり伴奏音楽があるのとないのとでは大違いで、非常に楽しく鑑賞することができました。
最後に行われたのは、北山映画製作所の元スタッフであり、北山の娘婿でもあった嶺田四郎さん宅から見つかった16ミリフィルム『諏訪大社御柱祭』の上映。なんと16ミリ映写機を用いたフィルム上映です。撮影者は、嶺田四郎さんが代表を務めていた日本シネアーツ社に所属していた金木保啓氏。フィルムの色調は極めて美しく、状態の良さに驚きました。
フィルムの上映が終わるとイベントも終了し、引き続き交流会が行われました。交流会ではイベントに関係する事も関係ない事も含め、参加者の皆様から様々なお話を伺うことができ大変勉強になりました。やはり研究者の生の声を聞くのはとても刺激的で、こうしたイベントには積極的に参加するべきだなと強く思いました。
北山の人柄やその作品の魅力に迫れた事はもちろん、これからの活動の刺激になるような事ばかりで実に充実したイベントとなり本当に良かったです。肝心の司会進行は上手く行えたとは言い難いのですが、こちらも今後の課題として努力していきたいところです。

 ………………

谷廣さんの文中でお名前が出た五味洋子さんも、2019年2月13日付けmixiでこの時のことを書いてくださっていて、その転載許可を得たままになっていたこともずっと気になっていました。今ここで紹介させていただき、当日の雰囲気を感じて頂ければ幸いに存じます。

………………

2月10日(日)。京都おもちゃ映画ミュージアムで開催中の「国産アニメ誕生102年 北山清太郎関連資料ミニ展示」のトーク&上映イベントへ。

午前中に到着してまずは屋内の三方に配された展示資料を拝見して回る。
北山清太郎の紹介、年譜、雑誌や書籍等の関連資料と、そのコピー類等の展示。
ミニ展示と銘打つように展示物の点数自体はそう多くはないのだが、中身が濃い。
珍しい写真資料や、関連資料から取られたコピー文献の数々。
北山清太郎のお孫さんであり、この日の登壇者の一人、安田彪(たけし)さんが編まれた私家版の評伝からのコピーもあり貴重。
参考資料からのコピーの中に、まだ映画撮影にレフ版というものが使われていなかった頃、撮影に同行した北山清太郎が、外した障子に光を受け、後のレフ版の元になる行為を始めたという記述もあり、美術家、雑誌編集者、若い画家たちのパトロン、アニメ作家のパイオニア、等々様々な顔を持つ北山が創意工夫に富むアイディアマンだったことが窺える。この才気が彼を日本のアニメーションのパイオニアの一人に導いたのだろう。

さて、トーク&上映は13時から。
登壇予定者は、前述の北山清太郎のお孫さんの安田彪さん、2017年に京都で開催された『にっぽんアニメーションことはじめ~「動く漫画」のパイオニアたち~』展でも活躍された古の漫画の研究者である新美ぬゑさん、現役高校生で新進研究家の谷廣和哉(ツイッターネーム=かねひさ)さんの三人。
観客には写真のような資料(両面コピー)が配布され、これだけでも貴重なもの。

新美さんからは「1916~1918年にかけてのアニメーション関係年表」をはじめとする資料、谷廣さんからは「北山映画製作所検閲作品リスト」等、おもちゃ映画ミュージアムさんからはこの日上映する作品に合わせて諏訪大社御柱祭の参考資料等が提供された。
観客は20数人。多くはないが濃い人揃いで、トーク後の質疑応答では的を射た質問が続出した。

トークはおもちゃ映画ミュージアムの太田文代さんのご挨拶に始まり、安田彪さんのご挨拶の後、新美ぬゑさんによる「北山清太郎作品と活動写真興行取締規則」についての研究発表が行われた。
事前に配られた資料を駆使しての最新研究成果の発表はとても内容が濃く、一つのこともこのように立体的な見地から研究を深めていかなければならないということが伝わる。
新美さんは漫画研究者と自称しておられるのだけれど、アニメーション専門の協会や学会でも、このような研究は進んでいるのだろうか。
先の日本アニメーション生誕100年の際にも、お祭り的なイベントは種々あったけれど、肝心のそのルーツについては「ことはじめ展」が突出していただけに考えさせられる。
しかも、同展での研究成果が図録や参考文献の一つにもまとまっていない現状。ここは是非、研究者の奮起を期待したいところだ。

続いて谷廣君の司会で、安田さん、新美さんを交えてのトークタイム。
祖母に連れられて行った祖父・北山清太郎のお墓参りを機にその業績を知り、研究を始めたという安田さんの言葉は偉大な祖父への敬愛の念に満ちており、私財を投じて私家版の評伝を編まれ、新しい資料がまとまる度に版を重ね内容を更新しているという熱い思いが伝わる。
この熱意は国産アニメーションのパイオニアの一人となった祖父譲りのものだろう。
北山自身は関東大震災の被災後に関西へ移住しているので、その際に失われた資料等も多かろう。改めて歴史の重みを感じる。
この日が研究者デビューになった谷廣君の司会ぶりもきびきびと鮮やか。安田さんのお話に自ら様々な質問を投げかけ、場を広げる。
また客席に配布された谷廣君作成のリストにも、先行する『日本アニメーション映画史』や津堅信之さんによる評伝『日本初のアニメーション作家 北山清太郎』等の文献にも未掲載の北山映画製作所作品が独自の考察を交えて載っており、頭が下がる。
『油断大敵兎と象』は北山の『兎と亀』の誤植かとの指摘等、言われてみれば確かにそうだろうが、様々な映画作品が混じる中から発見するのは大変なことだ。
まだ高校二年生なので、今後大学生となって行動範囲が広がった際にはどんな研究成果がもたらされるか期待してやまない。

休憩後には、パソコンや映写機を駆使しての作品上映。無声の作品には天宮遥さんの即興演奏がついたりと見やすいのも嬉しい。
上映作品は最初に『カテイ石鹸』(1922年作と推察される)。今回の趣旨の一つに北山清太郎が携わっていた映画字幕を見ようというものがあるので、その参考に。1分30秒の短いものだが、工夫が凝らされ面白い。これは神戸の映画資料館の提供による上映で、この資料館も本当に有難い存在だ。字幕と言えば、その文字を書く為の筆も実際に見せてもらい興味深かった。
次に紙フィルム版の『教育お伽漫画 兎と亀』(1924年)。これが、現在、国立映画アーカイブでネット公開されているものと一部が違う(兎の口の動き、太陽の有無)との指摘が原口正宏さんたちから上がり(私も背景が簡略化されていると感じた)、急遽パソコンからアーカイブにアクセスして公開版を比較上映。何という便利な時代!
見れば確かに違う。これが紙フィルム作成の過程によるものか、或いは『なまくら刀』の時のように欠損部分を含む別のフィルムの可能性が出て来るのかは現時点では不明だが、今後に注目だ。
続いて『大阪行幸の記録』。これは実写の記録映画だが、北山が撮影したもので、改めて多才さが窺える。戦前の昭和天皇が海軍の軍服を纏い、お召しの軍艦に乗って大阪を行幸した際の映像。現人神であった昭和天皇の様子が見えると共に、先々で海洋生物の標本を収集する行動も伝わる。見ながら、昭和天皇の戦争における立場や、戦後に現人神から人間宣言に至る軌跡等について思いを巡らせてしまう。
そして、実写の「理科1『鹿』」ほか玩具フィルム3本と、参考用に、北山門下の山本早苗、村田安司らの作品上映。

最後に、北山の娘婿であり、北山作品にも携わった嶺田四郎の家に保存されていたという実写記録映像『諏訪大社御柱祭』。御柱祭は豪快な木落としが有名だが、これは踊り等の出し物を撮影している。16ミリカラーで、色彩が褪せておらず実に綺麗。間近から撮られた映像は鮮明で、当時(1956年)を知る人が見れば誰が写っているか、或いは写っているのは自分だと分かるだろう。映像の力を感じる。
また、このフィルムが、嶺田四郎が設立した字幕スーパーの会社(株)日本シネアーツ社(現存)で働いていたアマチュアカメラマン金木保啓が撮影したものであることも、おもちゃ映画ミュージアムさんと諏訪市博物館の方との遣り取りで明らかにされた。こうした古い映像から諸々を探っていく映画探偵的な活動にも頭が下がる。

さて、ここで、今回のイベントは予定通り終了。椅子を崩して恒例の懇親会へ。
私はこの日の新幹線で帰宅予定だったので、ここで失礼させていただいたが、意義深い会だった。また何かの機会には是非おじゃまさせていただきたいもの。
家に帰った今となっては、もう少し粘って、おいでの方々とお話すれば良かったとも思うのだが、ともあれ、こうした上映も出来る環境は本当に有難い。今回は参加者が少なかったとのことだが、またの機会があれば、可能な方は是非参加されることをお勧めしたい。

…………

 登壇頂いた皆様、参加いただいた皆様、掲載が1年後になってしまったことを深くお詫び申し上げます。そして、改めてご協力いただいた皆様に心から御礼を申し上げます。ありがとうございました!!!!!

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